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第1話
結婚式の披露宴に招待されて三つ揃いのスーツで行くのは礼儀に適っている。
ただその生地が油膜のようにぎらぎらテカっているのは如何なものだろう?
音羽亭松吉 が自慢げに着ているスーツは、
「師匠が前座から二つ目に昇進した時に、初めて自分のお小遣いで買ったスーツだよ」
とのことである。
松吉は落語家の前座である。
師匠は音羽亭弦蔵 である。
落語家の師匠と弟子は親子のようなものだが、実際の親子よりはるかに濃い関係かも知れない。何しろ親は選べないが師匠は選べるのだ。
弟子自らが心に決めた師匠の元に出かけて入門依頼をするのだ。
何度断られても頭を下げて、ようやく師弟関係を許される。
そして見習いになり、前座、二つ目、真打と位が上がって行く。
前座の松吉はまだまだ下っ端なのだ。なのに師匠からお下がりをもらったのだから喜びもしよう(たとえ油膜ギラギラスーツだとしても)。
喬木直己 は褒めなければと思いながらも、
「はあ」とため息のような声しか出ない。
「サイズが合わなくなったから私にくださったんだよ。見て。ぴったりでしょう?」
「確かにサイズは合ってるな」と言うしかなかった。
松吉の部屋は〝ワンルーム〟と言うより〝六畳一間〟と言った方がふさわしい木造モルタルアパートの一室である。
室内に金木犀の香りが漂っているのは、安いトイレの芳香剤ではない。アパートの前に立派な金木犀の木が立っているのだ。
秋真っ盛りの今やオレンジ色の花房が見事に咲き揃っている。その香りがアパートを包み込んでいる。
昭和の邦画さながらのシュチエーションに、油膜ギンギラスーツの若い男は似合っていると言えば似合っている。
けれど直己の好みかどうか問われれば首を傾げてしまうのだ。
「梅吉 は私のスーツが気に入らないの?」
不満そうに問われれば、
「いや! いやいやいや。そんなことないよ」
と、ぶんぶん首を横に振ってしまう。
直己は松吉に〝梅吉〟という愛称を与えられている。
その名で呼ばれるとついふにゃっと頬がゆるんでしまうのだ。
友人のレズビアンカップルの結婚披露宴に招待されたのだ。
同性愛カップルとして連名の招待状をもらった時、直己は涙ぐみさえした。
何しろ三十四才まで隠れ同性愛者としてウリセンばかりを利用して来た素人童貞だったのだ。
それが初めて松吉という恋人が出来て〝梅吉〟なんて愛称までもらった。
のみならず二人揃って公の場に出席するのである。
大いに張り切ったものである。
直己は開業医である。
都下真柴本城市 に古くからある喬木 医院の院長である。
なのに安い国産車に乗ってるし、ファッションだってユニクロ無印GUである。
だが、さすがに礼服はそれではまずいと知っている。
どんな礼服がふさわしいのかバイト先の病院で看護師にアドバイスを仰いで、銀座の一流店でダークスーツを仕立てたのだ。
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