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第1話 どちらが良い?

 レナがくすりばこに現れたのは、野分の月の頭だった。  中華風のドレス姿で片膝を立てて座っているせいで、美しさと雄々しさを同時に放っている。彼女がいるだけで竜宮城内にいるかのような錯覚を覚える。  ニケは彼女の前に正座し、眼鏡を頭に引っ掛けたキミカゲはゆったりと薬草の書物に目を通している。レナが苦手なフリーは隅っこで膝を抱えていた。 「本題に入るぞ」  挨拶もそこそこに、レナはニケに目を向ける。 「ニケ殿の宿は、元の形に直すか、一度全部潰して新しく作り直すか。……ニケ殿はどちらが良い?」  ニケはうつむいて考える。  以前なら迷わず「元の形に直す」を選んでいただろう。家族の思い出が残る家でもあるのだ。だが今は、 (姉ちゃんとフリーとの三人暮らしなら、新しくしてもらった方が良いか?)  片目を瞑り、ちらりとフリーを見る。  彼を見ながら、何か問題点があるか考えてみる。  家族五人で住んでいた家だ。広さは十分にある。祖父と両親の部屋は物置になってしまっているので、姉ちゃんが帰ってきたらフリーは…… (庭に犬小屋作って、そこに移ってもらうか)  良い考えだ。もちろん冗談である。ニケの部屋に来ればいいだけだ。  彼は背が高い方だが、アキチカのように角を持つ種族のことも考慮して、ニケの宿は天井を高めに設定してある。まあ、これはどこの宿も同じだろう。なのでこれも問題ではない。 (悩むな……)  よし。ここは同居人の意見も聞いてやろう。 「フリー。お前さんは? 僕の宿に居た時、何か不満はあったか?」  不満があったら殴ってやろうと拳を握りながら平静を装うレナに気づかず、フリーは「うーん」と悩みながら天井を見上げる。 「……特に、無いかなぁ? ニケがいるだけでどんな場所も天国に感じるし」 「……」  すっと立ち上がるとちょこちょこ歩いてきたニケがぎゅっと首に腕を回してくる。一瞬殴られるのかと身構えたフリーは笑顔で抱きしめ返す。レナはイラっとした。  ばしっと「リニューアルオープン!」としたいところだが。 「姉ちゃんに相談もなく、勝手に改装してしまっていいものだろうか」  幼子の呟きに、キミカゲとフリーは胃が痛くなった。レナは興味なさげに首の後ろをかく。 「今はニケ殿が宿主なのだから、ニケ殿が決めても問題ないだろう? ナターリアもそんなことでいちいち文句を言うまい」 「レナさん……」  フリーの膝に座り、レナを見て眉尻を下げる。  彼女と姉は仲が良かった。というか、ナターリアが一方的に「かっこいい」と憧れていたように思う。レナはよく懐いてくるワンコに苦笑気味だった。  レナにそう言われると、元気が出てくる。  ふむ、と顎に指をかける。その仕草が愛らしくて、全員がニケを見た。  ニケはそれを「みんなが僕の決定を待っている」と解釈したようで、きりっと表情を引き締める。  それを見た途端、レナが胸を押さえてうずくまった。心臓の病だろうか。焦ったが、キミカゲがのんびりとお茶を飲んでいるので違うようだ。  んん、と咳払いする。 「新しく作り直してほしいです」  キミカゲとフリーはホッとした顔を見せる。 「よかろう。宿の外観や内装もニケ殿が決めるか? 面倒ならこのままプロにぶん投げるが?」 「え? ええっと。そうですねぇ~……」  内装が変わっていなかったらリニューアルオープンにつられてやってきたお客様、がっかりなさるだろうか。とはいえすぐには思いつかない。  腕を組んでうんうん唸っていると、眼鏡をかけなおしたおじいちゃんが片手を挙げた。 「ニケ君。口を挟んでいいかな?」 「いつでも挟んでください」  何も浮かばないので助言や忠告はどんどん言ってほしい。  期待でそわそわした目を向けられ、おじいちゃんは「そんな大層なことを言うつもりは……」と、内心で焦る。 「他の旅籠(はたご)を見て参考にさせてもらったらどうだい? 紅葉街は宿場街の顔も持っているから宿屋は多いし。そういえば、スミ君に首都に遊びに来てと誘われていなかったかい? ついでに首都にある宿屋を見て……実際に泊ってきてもいいんじゃないかな? ただ見に行くよりは、客として行った方が宿のサービスや良い点も見えてくると思うよ?」  他の宿を参考にする。  ニケは感心して口を開けたままポンと手を叩く。 「それは良いですね」  レナは首を傾げる。 「スミ? 誰だそいつは」 「あ、ああえっと。衣兎(ころもうさぎ)族の方で――」  レナにもスミに助けられた話をさっくりと語ると、彼女はどうでもいいという顔になった。 「そうか。ま、首都の方に行くなら気をつけてな。今、首都はピリついているようだから」  一言で片づけられた。そういえばスミもそんなことを言っていた気がする。フリーはニケの頬を「たぷたぷしてる。きもち~」と両手で挟みながら訊く。 「ピリついているって、何かあったんですか?」  返ってきたのは凍光山(とうこうざん)の空気より凍てついた声音だった。 「黙れ。話しかけるなと言っただろうが。チャレンジャー海淵(最も深い海底凹地)に沈め。二度と戻ってくるな」 「なんでぇ?」  泣きそうになるフリーをほっといて、ニケが同じ質問をするとようやく答えてくれた。 「首都の方で事件が……事件などしょっちゅうだが。ううむ……」  ニケを見て言い淀んでいる。お子様には聞かせられない内容なのだろうか。なにそれ怖い。  レナはおじいちゃんの肩を掴むと引き寄せた。ごにょごにょとなにかを耳打ちする。 「……どうだろう。これ、子どもに聞かせられる内容だろうか」  キミカゲは笑顔で頷く。 「絶対だめだね。ニケ君。首都行くの……あの、やっぱやめない?」 「ええっ?」  座椅子(フリー)から飛び降りるとニケはおじいちゃんのところまで移動する。ニケが近くに来たおかげで、レナの機嫌はすこぶる良くなった。  キミカゲの足をつんつんする。 「なんですか? なんでですか? 遠慮せず仰ってくださいよ!」  遠慮しているわけでは……  つんつんつんつん。  くすぐったいおじいちゃんとレナが内心焦って言葉を探していると、フリーがのんきにまた膝を抱える。 「首都って藍結(あいゆい)でしたよね? 首都でそんな大きな事件とか起きるんですか? よく馬車の通る街道や小さな町ならともかく」  即座に鮫に睨まれる。 「誰が喋って良いと言った?」 「なんでぇ?」

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