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第2話 今しかない
えぐえぐ泣き出すフリーに、キミカゲは苦笑する。
「まあまあ。ここが抜群に治安良いだけで、首都だろうとどこだろうと事件は起きるよ。むしろヒトが多い分、大きい事件が起こりやすいまであるね」
フリーは納得いかないと言いたげな顔になる。
「首都には良い人材が引き抜かれると聞きました。ここより質の良い治安維持のヒトがいるから、治安は良いはずなのでは?」
レナは呆れたように息を吐く。
「貴様が維持隊に何を期待しているかは知らんが、奴らが守っているのはあくまで首都の中心部……。一部の権力者や金持ちが多く住む区域のみだ。首都と言っても中心部の周囲はスラムが囲んでいるしな」
「スライム?」
「耳取り替えろ貴様。退廃地区や貧民窟ともいうが、貧困層が過密状態で住んでいる地区のことだ。だいたい無法地帯だな」
「へえ。この街も大きいですけど、スラムなんて無いですよね?」
ニケはフリーを見上げる。
「リーンさんが住んでいる場所も、スラムの近くだぞ?」
「えっ? そうなの? スラムあるの? スラムだったのあそこ!」
驚く白髪に、レナは面倒くさそうにキミカゲに視線をやる。
指を三本立てると、一本ずつ畳んでいく。
「竜に神使にそこの平和ボケした薬師。この三点セットが揃っていても貧富の差はうまれるしどうしようもない。ま、紅葉街のスラムは、スラムにしては、治安は落ち着いている方だと思うがな」
「なんか平和ボケしたとか言われた気がするけど、ニケ君にも大丈夫なように説明すると、組織犯罪集団(マフィア)AとBが争っているみたいで。街中に……えっと、うん。争っているみたいなんだ」
「そ、そうですか」
一部ぼかされているがきちんと説明してくれたので、キミカゲをつつくのを止める。
「だから、行くならまた護衛でも連れて行ってほしいなと、私は思うねぇ」
「それは大げさではないか? 道を外れたり好奇心から危ない場所に近寄りさえしなければ、一応、ここに並ぶほどの治安の良さはあるぞ」
それに何かあればそこの白いのを囮にすればいいだけだしな、と付け加えられ、フリーは背を向けていじけた。
ニケはそんなフリーの背中にもたれる。
「ふーむ。そうしたいのですが」
スミの家はごりごりのスラム地区にあるのだ。
ホクト達さえよければついてきてほしいが、その依頼をするのに竜の屋敷に行かなくてはならない。
すっかりオキンに怯んでしまっているニケの脳内で、天秤ががたがたと傾く。
「いえ。やはりここは僕とフリーのふたりで行きます。スミさんが、ミナミちゃんはともかくホクトさんのこと苦手そうでしたし……」
「分かった。ニケ殿の意志を尊重しよう。ちゃんと囮に使うんだぞ? では私はこれで」
レナさんいつも僕の意志を尊重してくれるな、と思いつつ、さっさと帰ろうとするレナを引き止める。
「ま、待ってくださいよ」
「? また来るから、内装の案が纏まったら報告してくれ」
すたすた行ってしまうレナのドレスの裾を掴む。
「毎回来てもらうの悪いですよ。こちらから伺います」
「といっても、私は各地を転々としているからな……」
「あう」
そうだった。
レナについてきてもらおうかとも考えたが、この人は一年中忙しいのだ。魔獣退治で。
「では帰る前に頭を撫でていってください。でないとこの手は放しません」
ぷうっと頬を膨らませ手に力を込める。レナなら軽々振り払えるが、もちろんそんなことはしない。
レナに撫でてもらうのが好きだ。姉ちゃんを思い出すから。
レナの脳内で「撫でなかったら一生このままでいてくれるのだろうかヤッホゥ!」と煩悩が横切ったが、両膝をつくとニケを抱きしめた。
「相変わらず可愛いな。何か嫌なことがあれば、いつでも私に相談するんだぞ」
ぎゅうう。
「むぐうううっ」
なにやらニケちんが手足をバタつかせているがどうしたのだろうか。そんなに力を込めて抱きしめているわけでもないし……。謎だ。
「謎だ、じゃないって。窒息するって」
キミカゲに言われ、はっと納得した。
ニケを離すと深呼吸された。レナは堂々と詫びる。
「すまんな。胸がでかくて」
「あ、い、いえ……」
姉ちゃんのよりでかい。何を食ったらこんなに大きくなるのか。大きいとなんだか強そう。
レナさんに相談したら相手が死にますよね? などとは言わずに、お礼を言っておく。
「ありがとうございます。強いのは知ってますけど、レナさんも何かあれば言ってくださいね。力になりますよ!」
むんっと両こぶしを握るニケに目眩がした。こんな可愛い生き物が存在して許されるのか。許そう。
「ああ、その時は頼りにさせてもらおう。ではな」
最後にニケの頭を一分ほど撫でると、足早に帰って行った。忙しいのか眼中にないのか、キミカゲとフリーに挨拶のひとつもない。レナの目には、室内にニケと海藻がふたつあるようにしか映っていないのだろう。
キミカゲはそんなことに腹を立てることもなく、心配そうな顔でニケににじり寄る。
「本当にふたりで行くのかい? 行くのならもう少し時期をずらしてもいいんじゃ……?」
過保護なおじいちゃんにニケは頭を横に振る。
「いえいえ。暑さがおさまったらフリーは仕事に行っちゃいますから。今しかないんです。それにちょっとでも早く宿を直さないと、ずっと翁の家に居候する羽目になっちゃいますよ」
構わないし、なんなら一生居てほしいと口から出かけたが、キミカゲに彼らを縛る権利はない。
がっくりと項垂れるが、ニケに向かって小指を立てる。約束をするときのアレだ。
「じゃ、ひとりで行動しないって、約束出来るかい?」
「もちろんです!」
頷くとニケはキミカゲの小指をぱくっと銜えた。
「え?」
頭が真っ白になる翁に構わず、その指をちゅうちゅうと吸いだす。
キミカゲは困惑した。
――ええっと……。指切りげんまんをしたかったんだけれど……。
「何してるの~? わあああ、きゃわいい」
固まっているとフリーまでやってきた。ニケを見て真似しようと思ったのか、フリーはキミカゲの左手を掴んで開けた口に運ぼうとする。
白い歯に噛まれそうになり、流石に声を上げた。
「ちょちょちょっ、ちょっと待って? なにが起こってるの、今!」
キョトンとするふたりに「あれっ? あれっ? 指切りげんまんってもう古いの? 若い子知らない?」と、慌てて小指を立てた意図を説明する。
「これは指切りと言って、約束を……」
「知ってますけど、噛みたくなったのでつい」
「指切るって……なんでそんな怖いこと言うですか?」
舌を出して「てへっ」とするニケと、引いた表情のフリーにホッとした。
紅葉街から首都・藍結(あいゆい)まで、旅人の足で約一週間。
スミに行くと手紙を出しておいた。手紙は二日か三日もあれば届くから、ニケたちはのんびり向かえばいい。
歩いていく気満々なニケに体力のないフリーが背後でげんなりしていると、キミカゲが馬車を貸してくれた。
親指を立て、キミカゲは茶目っ気たっぷりにウインクする。
「ま、オキンのものを勝手に持ってきたんだけどね」
「それってパク……」
フリーが何か言った気がするが、キミカゲはお盆の時に里帰りに使った豪奢な馬車――竜車――を撫でる。
車を引く部分には馬ではなく小さな童が、「自分なんでここにいるんだろう」といった表情で空を見上げている。
金髪金目、オキンの義理の息子にして、金剛石を上回る硬い鱗を持つ(ようになる)世界最硬の竜、金護竜(きんごりゅう)族である。
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