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第12話 王の剣

「ほんまごめん!」  招いておいて申し訳ないと、ファスは顔の前で両手のひらを合わせる。 「い、いえ……」 「お構いなく」  仕事部屋に戻った白黒に、ファスにもたれかかって幸せそうな自宅警備員を紹介する。 「で! この娘はティルアメガ。ホーングースやで」 「ホーングース?」  ニケの言葉にファスは、自慢げだが憎悪も混じった瞳で頷く。  ホーングースとは「王の剣」という意味があり、王の護衛や側近に与えられてきた名前である。 「え?」  フリーが間抜けな声を漏らす。 「え? じゃあこの、蹴られて下着丸見えになってひっくり返ったカブトムシみたいになっていた、このヒト⁉ 偉い御方なんですか?」 「言葉に気をつけろお前さん……」  頭痛そうにニケが額を押さえるが、紺髪……ティルアメガは「いかにも」というように胸を張る。 「せやで! まいったか。うち、偉いんやで!」 「す、すごいです。知らなかったです。ヒトって見かけによりませんね」 「はっはっはっ。そう、褒めるなや」  IQの低い会話をしている二人は置いておいて、ファスは真面目そうな子(ニケ)に目を向ける。 「あ、勘違いせんとってな? だからって私が高貴な姫、とかじゃないから」 「そう……なんですか? 王かそれに近しい血族の方なのかと」  ファスは「ちゃうちゃう(違う違う)」と首を横に振る。 「私は生粋の一般市民や。そりゃ、ばあちゃんはちょいと名の知れた浮世絵師で、そのおかげで食うものには困らんかったけど。まあ、そんくらいや」  ある日突然家に来て、「娘さんをうちにください!」って王の剣が土下座したときは、一家揃って目が点になったものだ。初対面も初対面。王家との交流があったとか、街中で見かけたことがあるとか、なにもなかったというのに。 「ほんであれよあれよと、王の剣の嫁になってもーたってわけや。こちらは一般市民。拒否権なんて無しや、無し」 「よめ? 失礼ですけど、女性どうっ」  ニケの肘打ちが脇腹に刺さる。 「猫妖精は妖精寄りの種族だから、性別とか関係なしに子どもを授かれるんだ」  脇腹を押さえ、ニケの顔を覗き込む。 「マジでございますか⁉」 「うるせえな」  なので、猫妖精はパートナーが同性の割合がやや高いと聞く。 「ほへー。ではホーングースさんがマイハニーとおっしゃっていましたが、「マイハニー(友情の誇張表現)」ではなく、「マイハニー(マジ)」だったって、ことですか?」 「せや?」  むふんと腹立つ笑顔を見せる紺頭をファスがはたく。 「いま、なんで叩かれたん? うち」 「顔が腹立った」 「顔があかんの?」 「あの、そんな方を雑に扱って良いんですか? 王様の護衛や腹心とかなんでしょ?」  ティルアメガは自信満々にファスを抱き寄せる。 「ええねん、ええねん。うちはマイハニーになにをされても。だって愛しとるもん! なんたって高名な「王の剣」やし? どーんと構えてやなあかんしな!」 「留守番も出来ない無能だがな、お前は」  鋭く切り捨てられ、紺髪は項垂れる。  ニケは意外そうにフリーを見上げた。 「腹心とか、よく知ってたな」 「……キミカゲさんの鬱本に出てきました」  他にも「自首」や「お見合い」という言葉や、罪を他人になすりつける主人公も出てきた。  ファスは紺髪を邪魔くさそうに部屋の隅へ押しやる。 「さて。部屋暗くなってきたな。いま、明かりつけるわ」  「どこ置いたっけな~」とファスが火打石を探しに立ち上がる。フリーが一瞬こちらを見てきたが、ニケは知らん顔を貫く。凍光山(とうこうざん)ならともかく、人目の多い所で使う力ではない。  行灯がぼんやり照らす室内で、ファスはやっと本題に入れた。 「えっと。お兄さん、フロリンさん、やったっけ?」 「フロリアです」  風呂は好きですけど。 「そうやそうや。はいこれ、これが浮世絵っつーもんや。その幽霊画や」  差し出される一枚の紙。そこには儚くも恐ろしい幽霊が描かれており、フリーは手のひらでニケの視界を塞いだ。 「どけ。見えん」  その手を、小さな手が払いのける。 「あれ? ニケ? 怖いの苦手なんじゃないの?」  こそこそと耳打ちすると、ニケの耳が神経質そうにピピンと揺れる。 「どこ情報だ? 僕はこ、怖いの苦手なんかじゃ……ない」 「で、本音は?」 「うるしゃい! 怖いのはその、ま、まあ? 多少は苦手かもしれないが、この、花札市代の幽霊画は別!」  ニケは幽霊画を指差す。 「見ろ! この怖さの中にある儚さを! 幽霊の抱く、もうどうしようもない恨みと悲しみを。それを、涙を描くことなく表現している表情の上手さ。彼女の代名詞でもある色気のある恐怖」  そこでニケは立ち上がる。  炎の瞳がメラメラと燃えている。フリーの頭部を掴み、ぐいっと一枚絵に近づける。 「その全てが詰まった作品を見ろ! これを見て「怖い~」しか言わない薄いファンと僕を一緒にするな! 確かに幼い頃は直視できなかったけど、僕は花札市代の幽霊たちに、怖いけども、怖い以外の感想を抱くんだ」  フリーの顔を両手で挟んでぎゅっと潰す。タコみたいになる。 「だから、僕に気遣う必要はない! 僕はこの絵を見たい。分かったか?」  カァカァ。  巣に帰る烏の鳴き声が聞こえる。 「「「……」」」  あっけに取られた表情でニケを見ている。倒れたはずの紺髪まで口を開けて見つめており、ニケは手を離すと円座の下に潜り蹲った。ムキになって熱弁したのが恥ずかしくなったのか、黒い耳の先まで真っ赤に染まっており、これをからかうと真面目に殺されるなと思う。  ニケの背に乗せられている円座が風で揺れる。それを見てお寿司を思い出したフリーは、ニケの頭部をやさしく撫でる。 「恥ずかしがること、ないと思うよ?」 「せ、せや。私は嬉しかったで? ファンの生の声を聞けて」 「ふぉ~ん? 僕ちゃん。マイハニーの絵の良さをまあまあ分かっとるや~ん。褒めてやるで?」  ぐっと親指を立てるホーングース。  青年とお姉さんたちが慰めるも、ニケは十分くらい円座の下から出てこなかった。  十分後。 「それで、モデルってなんですか?」 「モデルって何ですか⁉ ……ああ、そうか。知らんのか」  無表情から驚きに満ちた声が飛び出してくるので、脳が混乱する。  開き直ったのか、ニケはフリーの膝に座っていた。それを見た紺髪が羨ましそうに「うちらも~」とマイハニーを見上げるが、ファスは無視する。 「無視せんといてやー」 「……よし。ティルア。そこで四つん這いになり?」 「え? は、はい」  四つん這いになる王の剣。  ファスは当たり前の顔でその背に尻を置いた。 「モデルってのは、私の場合なら絵をかくときの見本、製作の対象として使う人物のことや。……ようは、そのヒトを見ながら絵を描くってことやな」  フリーは自分を指差す。 「俺を描いてくれるってことですか?」 「その通りや」  ニケの頬が膨れる。その顔にはうらやましいすごくうらやましいと書いてあった。 「……あの、良かったらニケも一緒に……」 「え? ……あ、ああ。そうやね。考えとくわ」 「!」  嬉しさのあまり、ニケはフリーの顔面にしがみついた。うへへへへ。 「お兄さん、幽鬼族なんやろ? 私な? 一度幽鬼族をモデルに、絵を描いてみたいと思ってたんや」  両手を合わせ、夢が叶うんや~と、アイスブルーの瞳が輝く。だが表情は無だった。  と、そこで椅子が「ん?」と反応した。 「マイハニー? 何言うとるん?」 「何って、私前から言うてたやん。幽鬼族を描きたいって。ほわ~感激やわ」  ティルアの声に真剣さが帯びる。 「どこに幽鬼族おるんや?」  ドキンと、フリーとニケの心臓が跳ねる。  上機嫌のファスは人差し指で空中に幽の字を書く。 「このお兄さん。幽鬼族やねんて。こんな街中で会えるなんて、運がいいわ」 「ごめん。マイハニー。ちょっとおりて?」  硬い声音にファスはぱちくりと紺髪を見下ろす。 「もしかして腰痛めた? ごめんな?」 「そう言いながらおりないハニーも最高に好きやけどごめん。下りてくれる?」  嫁が円座の方に座ると、パンッとフリーの笠を弾き飛んだ。 「!」  反射的にニケを抱きしめる。  ――なんっ、なに?  なにが起こったんだ。突風か?  そう思い、即座に違うと気づく。いつの間に隣にいたのか、ティルアが落ちてきた笠を掴んでいた。  冷や汗が流れる。  なにも、何も見えなかったし。何も感じなかった。高速で動けば発生する風すらない。ニケも同じようで、信じられないと言った顔でティルアを見上げている。  ふわりと鈴蘭の手ぬぐいが舞い、ニケと出会った頃より伸びた白髪が背に落ちる。 「おるんよたまに~。嘘ついてマイハニーに近づこうとする虫が」  これは、さ、殺気? 腕が、いや全身が震える。 「その虫を払うのが、うちの役目や」  紺色の瞳から目を逸らせない。  魔物相手でも戦えるフリーが、初めて腰を抜かした瞬間だった。

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