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第14話 モデル料
空き地で、鮮烈な火花が散る。耳をつんざくような鋭い音と共に弾けるそれは剣戟に似たものだった。
のどかな夕暮れの雰囲気の中、いきなり始まった斬り合いを周辺住民が足を止めて見つめる。
一方は夕陽に染まる純白の髪を振り乱した青年だ。白い着物を身につけ、その辺にあったクワを拝借し、振り回している。
呼雷針(刀)を使うのは大げさだと判断してのことだったのだが――判断を間違ったかもしれない。呼べばよかったと後悔した。
クワを掻い潜り青年を翻弄しているのは、細身の少女。
オレンジ(夕陽)の光を跳ね返す夜を思わせる紺の髪に、紺色の尻尾。縹色(はなだいろ)の着物に帯ではなくコルセットを巻いた変わった出で立ちで、少女が動くたびに背中の金魚の尾のようなリボンが、ひらひらと舞う。
とにかくすばしっこく、強化したフリーの動体視力でも追うのがやっとなのだ。
金緑の瞳が上下左右と忙しなく動く。
「やるやん! フロリンとやら」
「フリーで……くっ!」
瞬きに合わせて踏み込んできた少女の爪を、ギリギリのところで防ぐ。しかし所詮はその辺のクワ。強度は頼りなく、ミシミシと音を立てる。
「……」
しかし誰かの持ち物を壊すのは気が引けるのか、紺髪の少女、ティルアはそれ以上押し込むことなく後ろに跳んだ。間合いを開け、宙で身を捻り音もなく地に落ちる。
ホッとして、フリーは両腕を下げると情けなく叫ぶ。
「ティルアさん。もうやめましょうよ!」
「やめてほしかったらそのタマ取らせんかい。なに。ちょっと漢女(おとめ)になるだけやん。何が不満なん?」
なぜ不満がないと思っているのだろうか。ニケのためなら大抵のことはするつもりだが、男を捨てるつもりはない。
(というかこのヒト、本当に強いし速い)
戦いに慣れている。
大型の魔獣や魔物との戦いを主にこなしてきたフリーと、王の警護として対人戦に特化しているティルア。戦えばどちらに分があるかは明白。
「がんばれー。姉ちゃん」
「おうおう。お兄ちゃんどうした? だらしねーぞ」
見れば、いつの間にかギャラリー(観客)が出来ていた。酒を飲んでいる者もいれば、どちらが勝つか、賭け事をしている者たちもいる。小さな子もきゃっきゃと声援をくれていたが、巻き込まれては敵わないと親に回収されていった。
「マイハニーのためや。な? あきらめよう?」
「いやいやいや! 嫌ですよ」
泣きそうになっているフリーに、そろそろ助け舟を出すべきかとニケが迷っていると、ファスが口の横に手を添え大声を出した。
「いつまでやっとんねん、ティルア。もういいわ。戻っておいで!」
「はぁ~い」
あっさりと身を翻すと、紺髪は嫁の元へ突撃していく。だらしない顔でファスを抱きしめると、ぐりぐりと胸に顔を埋める。
「あー。この小さくてあるのか分からへんおっぱいも好きやわぁ。あ、間違えた。大きくないのにおっぱいなんて言うたら失礼やな。ちっぱいも好きやわぁああ。この壁」
「……」
ファスの瞳が凍てつく。
裁縫箱から鋏を手に取ると、紺髪に思いっきり振り下ろす。
ざくっ。
「ぎにゃああああっ! おっ、ああああ?」
「誰がまな板の擬人化だお前っ。お前ちょっとでかいからってお前っ! 調子乗るな」
「そんなこと言ってな……ぎゃああぁ……ぁぁ」
何度も何度も、鋏を縹色の着物に執拗に突き立てる。
ザシュッ。ザシュッ。
突然始まった殺人事件に、ニケはたまらず部屋を飛び出しフリーの胸に飛びついた。
日も暮れ、夜暗(やあん)に包まれる部屋を、花火が描かれた行灯の火が揺れる。
「それでモデルの件は、引き受けてくれるん?」
髪を縛りなおしたフリーが頷く。
「えっと。明日の夜までに終わるのでしたら」
何事もなければあと一日で手紙がスミに届く。その間に首都の宿を見回る予定だったのだが。
『どうする? なぜかタマ取られかけたけど、宿の内装見学を優先する?』
『えっ⁉ ……べ、別にそこまで急ぎでもないし? 彼女のモデルになれるなんて、僕にとってはうらやま、名誉なことだし? お、お前さんがどうしてもモデルをやりたいなら、僕は構わないぞ?』
何か言いたげにチラチラ見てくるが、相手はあのフリーである。当然、空気は読まないし察しもしない。
『ふーん。別にそこまでモデルやりたいってわけじゃないかな。断ってくるよ』
『ああ~』
半泣きのニケが着物に縋りついてきた。いつもすまし顔の瞳が涙で潤んでいるというのは破壊力が凄まじく可愛すぎて意識が遠のく……ではなくて、フリーはモデルの話を受けた。
ファスは「ふむ」と顎に指をかける。
「私はひとつの作品時間かける方やからな……」
いや。これは新たなる挑戦ではないだろうか。いつもはゆったり描く作品に、時間制限を設ける。そうすることで新たな何かが見えるかもしれないし、さらなる高みへ行けるかもしれない。
前向きな彼女は、これを成長のチャンスと受け取った。
人気絵師として評価は高いが、ファス自身、自分の絵にまだまだ納得が出来ていない。
そもそも師であるばあちゃんに「良い絵をかけばいい」と教わったが、ファスはまだ「良い絵って何?」のところで躓いている状態である。それなのに描く絵が次々に評価されるので、彼女はますますわからなくなっていた。
泥の中でもがいている現状を、少しでも変えられるなら。
ポーズというか、かっこつけないと落ち着かないファスは、真剣な顔でパチンと指を鳴らす。
「ええで。明日の夜までに描き切ったるわ。報酬は……そろばんどこ置いたかな?」
紺髪の惨殺死体を押しのけ、そろばんを引っ張り出す。
「報酬はこの額でどう?」
フリーはニケの耳に顔を近づける。
「絵を描いてもらうだけなのに、なんで俺が報酬を貰えることになってるの? なんの報酬?」
「ん? ……ああ。モデル料だろ」
「絵を描いてもらって、お金まで貰えるの?」
理解しがたい話である。フリーはニケの絵を描けるなら、こちらがお金を払いたいくらいなのに。
ちんぷんかんぷんなフリーに、ニケは肩を竦める。
「タマ取られかけたんだ。貰っとけ」
フリーがフリ子になるところだったのだ。迷惑料と思っておこう。もちろんニケは彼の性別が変わったところで一ミリも気にしない。
「そ、そうだね……」
ファスの目を見て頷く。
「では、報酬はもらっておきます。ていうか、もっと早くティルアさんを止めてくださいよ」
「報酬は前払いの方がええか? すまんすまん。二割ぐらい冗談やと思っとったから。まさか本当にタマ取りに行くとは」
「はい。前払いで下さい。八割本気だと分かってたんじゃないすか」
「わかった。ちょっと待ってな。しかし即フリ子になると思っとったのに、ティルア相手によく生き延びたやん。なに? 自分もなにか王の警護とかやっとったん?」
ニケがすっぽり入るような大きさの車箪笥(くるまたんす)を開ける。今でいう「金庫」である。火事の時に運び出せるように下部に車輪がついており、商人などが重宝している。
花札市代と書かれた袋にお金を入れ、フリーに渡す。
「中身、確認してや」
「はい」
お金を数える。不安なのでニケにも手伝ってもらい、財布に移し替える。この財布はニケと一緒に市場に行って、購入したものだ。それを見たニケが、悪夢でも思い出したかのように顔を両手で覆う。
真っ白な財布を購入した。ニケは『柄ものじゃなくていいのか?』と言ってくれたが、フリーは白い財布が欲しかったのだ。
レナの渋い「鮫」財布を見て、真似したくなったのだ。
『よし! 俺はここに「ニケ」って書くぞ!』
『はあっ? それじゃ僕の財布みたいになるだろう。おいやめろ! 紛らわしいからやめろ。やめないと僕は財布に「フリー」って書くぞ』
……フリーが本当に財布にニケと書いたため、引っ込みがつかなくなったニケはフリーと書いた。なんだかバカップルの持ち物みたいになってしまい、ニケとしては恥ずかしい。
そんな悶えているニケを気にせず、空になった包みを畳む。
「この袋は、貰っていいんですか?」
「ん? 欲しいならやるけど、いらんなら返してや?」
フリー的には必要ない物なので返そうとしたが、横から伸びてきた手が包みを取り上げる。二人が見ている中、ニケは花札市代と書かれた袋を大事そうに懐へ仕舞った。
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