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第15話 悪夢
何事もなかったかのように話し出す。
「もう日が落ちましたけど、今から作品作りに取り掛かるんですか?」
何か言いたそうだったが、ファスは外に目をやる。
「まあね。幽霊描いているから、ってのもあるけど。夜の方が筆乗るんよね。ボクは眠かったら寝ててええよ? 私はモデルを描くときは、まずじっくり観察してから描くから」
ファスはコルセットの上からティルアの腹を叩く。
「ほれ。布団敷くの手伝ったれ。いつまで寝ているねん」
刺されまくったティルアだが、当然のように起き上がった。
「マイハニーに刺されたうえ、放置プレイまでされてたんやけど?」
涙目でフリーたちを指差して喚く。
「てか、なんであんさんらも突っ込んでくれへんねん! 死体(生きてる)の横でしれっと会話しよって。心無いんか?」
「よく生きてましたね……」
「僕に蹴られたフリーみたいな表情しておられたんで、放置で良いかなって」
しくしくと泣きながらも布団を敷き始める。
「ええわけないやろ……。うちは着物の下に防具着込んでいるから、刺されたぐらいじゃ死なへんねん……ぐすっ」
ファスが大真面目な顔で頷く。
「せやで? この程度で死んでくれるなら、結婚を決められた際に地上から消えとるわこいつ」
神頼みからついに殺し合いにまで発展したようである。よく相思相愛になれたものだ。ファスが折れたのか、ティルアの執念か。ここまでくれば執念というか、怨念じみたものを感じる。
「俺は何をすればいいんですか?」
「こっちに移動して。とにかくじっとしててくれるか?」
「着物は脱がなくていいんですか?」
「全裸幽霊を描く気はないから、着といてな?」
そんな会話を聞きつつ、ニケはティルアが敷いてくれた布団の上で寝間着に着替える。肉球柄の浴衣。普段着の着物はティルアが壁にかけてくれた。
「ありがとうございます」
「教育の行き届いたお子様やなー」
風呂敷を結びなおし、部屋の隅へ寄せておく。
あとは眠るだけとなったニケだが、フリーとフリーを観察しているファスの背中を体育座りで眺める。寝間着に着替えたらもう正座をしようとは思わない。
暗い部屋にフリーの白がぼんやり浮き上がり、壁から染み出てきた幽霊のようだ。
「眠らへんの? 寝ないと大きくなれへんで?」
ごろんと隣で寝転がったティルアが大あくびをする。
「ティルアさんはもう寝るんですか?」
「もう寝た」
その割にはコルセットも防具も付けたままである。
布団の上でぼーっとしていたニケだったが、いつの間にか眠っていたようで、気がつけば部屋に朝日が差し込んでいた。
「……?」
朝日の眩しさで目を覚ますと、部屋には誰もいなかった。隣を見てもティルアは居ない。
寝ぼけた眼でくんくんと鼻を動かす。ほんの数時間前まで三人ともいたようだが、そこから戻ってきた形跡はない。
汗で張り付いた前髪を払う。
(ファスさんたちはともかく。フリーまでいない)
静かだった。自分は今、首都にいるはず。朝はもっと賑わっているものではないのか。それともこんなに静かなのが普通なのか。ニケでは判断がつかない。
朝日の中、豆雀(まめすずめ)がちゅんちゅんと地面をつついている。
「……」
暑い。残暑がきつい。これから夏の間は凍光山(故郷の山)で過ごした方が良いなと思い、水を求めて部屋を出る。長屋の共同井戸のところで三人を見つけた。
「?」
何やら井戸を覗き込み、深刻そうに何かを話している。なにか落としてしまったのだろうか。
「フリー。ファスさん。ティルアさん。おはようございます」
声をかけても三人はこちらを見ない。
(あれ? 聞こえなかったか?)
おかしい。ファスたちはともかく、フリーがニケに気づかないなんて。
怪訝な顔をするも、ニケが足元に行くとさすがにフリーが反応した。
「あ、ニケ! おはよう」
「なにしてんだ?」
苦笑を浮かべ、フリーは身を乗り出して井戸の中を覗く。
「お、落とし物しちゃって」
「やっぱりか。そんなに乗り出すな。落ちるぞ」
あれ。こんなところに井戸なんてあったっけ?
着物を掴んでやる。ドジ、というか魔九来来(力)の反動でドジっ子みたいになってしまっているこやつのことだ、真っ逆さまに落ちていく絵面が簡単に浮かぶ。
フリーは乗り出すのを止めて、ニケの横にしゃがむ。
「それもそうだね」
「で、なにを落としたん……だ……」
言いながら、違和感の正体に気づく。なぜかフリーの顔が自分の真横にあるのだ。
そりゃ、しゃがんでいるのだから当然だろう。
目線を下げていく。ニケの隣にいるフリーに、腹から下がなかった。
ニケはそれを見て頭が真っ白になる。
「お前さん……。下半身は、どう……したんだ?」
なんだそんなことかとフリーはにっこり微笑む。いつもの声で井戸を指差す。
「井戸に落としちゃって」
ニケは目を覚ました。
汗だくの身体に浴衣が張り付いて気持ち悪い。
「なあ~。ハニー。そろそろ休憩しようや」
「今、ええとこやねん! じゃーすんな(邪魔するな)」
「あ、あの……。この体勢、きつ、きついんですが」
「動くなこらぁ! ハニーが動いて良いと言うまで我慢せい。本当にフリ子にすんぞ」
「うああ~ん。お腹すいたああぁっ。もう朝になってるしいぃぃ!」
背後が騒がしい。
そろっと肩越しに振り返る。
休むように嫁の肩を摩っている紺髪と、やる気で目が燃えているファス。そして、変な姿勢で泣いているフリーがいた。
昨日と特に変わらぬ光景。夏と墨のにおい。
どっどっどっどっと、心臓が走っている。
夢、だったのか。夢、か。
慣れない環境だし、思ったより疲れているのだろう。
脱力のあまり耳がへにゃっと垂れる。たれ耳になるニケを見逃すフリーではなかった。
「あっ! ニケ! 起きたはああああ? なに可愛いっ。なにその耳。たれ耳。ファスさん。あれ。あれ描いて! あの世界一可愛い生物を描いて今!」
「え? なに?」
変なポーズを維持したままはしゃぐフリーに、二人が振り返る。
「あ、ボク。おはようさん」
「世界一可愛い生物って、ハニーのことやろ?」
「黙らんかい」
「え? 照れてる? はうぅ……。赤面しているハニーきゃわグホッ」
フリーが駆け寄ってきた。
「ニケ~。おはよう。お腹すいたようう」
「こら。動くな」
「ちょっと休みましょうようううっ」
犬耳を抱きしめて泣く白髪に、ファスも肩の力を抜く。
「はあ……。せやね。根を詰めすぎるのも、良くないしな」
筆を置いて、ファスは大の字で後ろに倒れる。外れたキャスケットをティルアが拾って埃をはたく。
「ハニー。布団で寝えや」
「お前さん。一晩中起きていたのか?」
ファスやティルアもそうだが、フリーはもっと汗だくだった。結露のような汗を流している。こやつだけ雨に打たれたのだろうか。
「数時間もすれば、「寝ていいよ」って言ってくれると思ったんだよ……。ふにゅう」
ニケを抱いたまま布団に倒れ込む。
ぼすんっ。
かなりくたびれた様子。ニケは頬に張り付いた白髪を払ってやる。
「こんなに汗かいて。ちゃんと水分補給はしたか? 頭は? どこか痛いか?」
「ううん……。大丈夫。どこも……痛く。眠い……」
そういうと二秒後にはくかーと寝息をかいていた。背後からも同じような寝息が聞こえるので、ファスも眠ったようだ。
大の字で寝たファスを抱き上げ、自分の布団の上に寝かせる。
「ファスさんたちはいつもこんな、昼夜逆転生活しているのですか?」
少し呆れたような声音に、ティルアは首を傾げる。
「? うちら(猫妖精)は夜型やで?」
「あ、そうでした」
妖精は夜行性が多い。
ティルアは水を汲んでくると、ファスの服を脱がして汗を拭っていく。このままでは風邪を引いてしまうし、いい判断だ。いい判断だが同じ部屋に男がいるというのに大胆な。妖精は気にしないのだろうか。それかニケが幼くて男と思われていないだけか。
まあいい。ニケはそれをガン見するような男児ではない。背を向け、自分も真似してフリーの汗は拭ってやる。だが着物は。
「どうすっかなこれ」
怪力の持ち主とはいえ、意識のない人に服を着せるというのは資格が必要なんじゃないかと思うほど難しい。広い部屋なら寝間着を広げ、その上に転がせて袖に腕を通せばいいが、この部屋狭い。くすりばこといい勝負だ。稼いでいるヒトは狭い家に惹かれるのだろうか。
相手が小さい子どもならともかく、フリーは巨人であるので余計に。
「全裸で放置したらダメでしょうかね?」
「おまっ、ハニーの横に全裸男を置いておくつもりか? 絵面が許せなくて反射的に殺ってまうで、うち⁉」
それは困る。
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