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第16話 印象に引っ張られる

 ティルアが腕まくりをする。 「着替えさせるくらい、手伝ったるわ」 「……ティルアさん。何気に良いヒトですね」 「それ、褒めとる?」  ティルアの手を借り、フリーに浴衣を着せることが出来た。古着屋で安く買ったものだがこれにも「ニケ」と書こうとしたので流石に止めた(拳で)。なので、真っ白な寝間着に身を包んでいる。  介護で汗だくになった二人は同じように濡らした手ぬぐいでさっぱりし、朝食をとることにした。ティルアが漬物を切ってくれたので、それを茶漬けと一緒に流し込む。  さっさと食べ終えたティルアは扇子でファスの寝顔を扇ぐ。 「なあ、ボクちゃん」 「ニケです」 「ニケちゃんたちは何用で首都に来たん?」  簡単に人探しだと伝える。出来ればティルアに案内をしてほしいが、このヒトは何と言うか、フリーと似た空気を感じる。つまりファスの傍から離れないだろう。 「ふーん。でもあっちの方(十二区)はいま、治安ゴミやで?」 「そ、そんなに? 抗争が起こっているとは聞きましたが」  しっかり噛んで食べているニケに、ティルアはさらっと暴露する。 「まあな。ちょっとそれが激しいねん。見せしめかただの悪ふざけかは知らんけど、日中でも死体がぶら下がっとったし」 「ブッ!」  むせた。 「あちこち家屋やらが破壊されて、倒壊の危険があって封鎖されているところもある。酷いとこやと死体や汚物が道端に放置されてたで。この時期やし、ハエと悪臭すごかったわぁ。布で鼻と口覆ってた治安維持隊の赤犬族が、気絶しとったな。流石にもう片付けられとるとは思うけど。麻薬の類も……大丈夫か?」  米粒が変なところに入った幼子の背中をとんとんと叩く。  翁やレナが気を遣って言わないでおいてくれた部分なのだろう。全部言われた。「小さい子の耳に入らないよう配慮したのに、なに台無しにしてくれてんだ」と、この場にレナがいたら斬り合いになっていたと思う。  ショッキングな内容だったが、危険地帯出身のニケは泣き出したりはしない。 「だ、大丈夫です。ティルアさん。わざわざ見てきたんですか?」  「まあな~」と、どうでもよさそうにティルアは頷く。 「十二区付近にハニーのお客さんがおるから、心配したハニーに「見てきて」って言われてな」  抗争は終わったのか一時休戦中だったのか、そのときは静かだった。十二区の住人も、早足だったが出歩いていたくらいだ。 「うろうろしてたらガラの悪いニーチャンらに絡まれて、怖かったわ~」 「怖かったっ……て、ティルアさんに絡んでしまったヒトが、ですか?」  真顔で言うと、ティルアに頭を鷲掴みにされた。ぐっと笑っていない笑顔が迫る。 「おいこら。ミニチュア紳士。こういう時はレディの心配をするもんやぞ?」 「ティルアさん。大丈夫でしたか?」  機嫌良さそうに腕を組む。 「ふっふっふっ。まあね~。しっかし丸腰の可憐な少女を、武器持った男が複数で囲むなんて、酷い話やで。そう思うやろぉ?」 「男のヒトたちは無事だったんですか?」  頭をまた鷲掴みにされる。 「あ、ティルアさん、無事でしたか?」 「うんうん。日頃の行いがええからやろうな。無事に帰宅できたわ」  ショッキングな話を聞いたからだろうか、今朝見た夢を思い出す。 「そういえば今朝。悪夢……というか、意味わからん夢をみて疲れました」  お茶碗を持ったままため息をつくニケに、ティルアはけろっと言う。 「あー。そういうヒト多いな」 「え? ここ、呪われた土地とかそういう場なんですか?」  ティルアは腕を組んだままため息をつく。 「ハニーの仕事場を呪われた土地にすんなや。あれちゃう? 幽霊の絵に囲まれているからとちゃう?」  「うちは見たことないけど」と言い、ティルアの目線が上がる。つられてニケも上を向くと吊るされている紙があり、そこには白髪の幽霊が描かれていた。 「あれは?」 「ハニーがお試しで描いたフリ子ちゃんや。ちゃちゃっと描いたとは思えへん質よな」  自慢げな声もほぼ聞き流していた。  死装束を着て、ただそこに佇んでいるフリーの絵。青白い顔色に、唇の端から流れる血。 「うーん……」  花札市代の腕前でとても儚い印象を抱く絵になっていた。が、ニケとしてはこの霊、ほっぺを求めてさまよい出てきたモノにしか見えない。 (フリーのほっぺ大好き野郎な印象に引っ張られて、素直に儚いな~と思えない……っ)  残念そうな悔しそうな呆れているような、形容しがたい表情の幼子に、ティルアは口を曲げる。 「なんやニケちゃん。ハニーの熱烈なファンなんやろ? ハニーの絵見れたんやからもっと嬉しそうにせえよ」 「あ、えっと。そ、そうですよね」  愛想笑いも引きつっていた。このお化け、「うらめしや~」ではなく、「ニケ~」や「ほっぺ~」と言いながら出てきそう。 (いかん! モデルのアホ度が高いせいで、幽霊画の恐怖の邪魔をしとる)  頭を抱えそうになっていると、あることに気づく。 「このフリー、上半身だけなんですね」 「ん? 足のない霊なんて珍しくないやろ?」  描かれたフリーは、夢の内容と全く同じだった。下半身のない霊。 (ただの夢……だよな)  胸騒ぎなどしない。不安などない。すべては気のせいだ。  そう己に言い聞かせる幼子の背を、寝ているはずのファスが見つめていた。 「もう夕方じゃん!」  ファスとフリーが目覚めたのは、ニケとティルアの起きている組が洗濯をして掃除して買い物をして、さて夕食の支度と、ふたりも並べない小さい厨房に立ったときだ。  起きて外を見るなり叫んだファスに、起きていた組が揃って目を向ける。 「おお、ハニー。おはようさん」 「ファスさん。おはようございます。まあもう、夕方ですが」  わなわなと震えていたファスがきっと振り向くと、足取り荒く近寄ってくる。 「おい。ティルア! 起こしてってゆうた(言った)やないかっ。期限があと数時間しかないやんけ。仮眠は二時間程度にしておこうと思ったのに、もう夕方やん」  半泣きで胸ぐらを掴んでくる嫁の可愛さにときめいてると、ふとファスの動きが止まる。 「……私、起こしてってゆうたっけ?」 「聞いてないなぁ」  苦笑するティルアの足元で両手をつく。 「うん……。言ってなかったわ。ごめん。寝ぼけとった」 「謝らんでええよ。うちも気ぃつこて(遣って)起こせばよかったな。ごめんな」  やさしく背を摩るティルアの首に腕を回してしがみつく。紺髪も「我が人生に悔いなし」とと叫んで抱きしめ返す。  一方。自力で起きたわけではなくファスの声で起きたらしい。目を擦っているフリーの横にしゃがむ。 「おう。おはよう」 「なぜ包丁を持っているのっ?」 「おっと」  これから野菜を切るところだったんでな。包丁の峰で肩を叩き、もう片方の手で眠気が飛んだフリーの額に触れる。 「ニケ?」 「お前さん。寝る前、汗すごかったから熱がないかと思ってな」 「寝る前……。あ、そうだ!」  フリーがすごい勢いで詰め寄ってくる。 「もう一回あれやってよ! あれ!」 「あれじゃ分からん。ニケ頭突きか?」 「ち、違う違う。あれだよあの、耳をぺたんと寝かせてたやつ!」  ニケに両手のひらを向け、それをそのまま頭上へ持って行き犬耳のジェスチャーをする。「あー、あれか」と思い出して半眼になるニケの肩を揺する。  フリーの目は輝いていた。 「見たい見たい! あの時は眠すぎて眠っちゃって……俺の馬鹿野郎! もう一回。もう一回してくださいませんか? あはっあはははは」  なんで笑っているんだろう怖い。  鬱陶しそうにフリーの手を払いのける。 「あれは……そうか。そんなに見たいか?」  夢のことを言いかけたが、吐き気がしたのでさっさと忘れることにする。 「うんうん! 見たい見たい!」 「ふ~む。どうすっかな~」  腕を組んでにやける。いまならどんな要求も呑んでくれそうだ。まあ、フリーは元々大抵の言う事は聞いてくれるが。  「それじゃあ――」と言いかけ、心の中で暗い声が発された。  ――死ねと言えば死にそうだな。

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