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第19話 頼れるヒト

 視力が回復する頃には、男も布の人物もいなくなっていた。意識が飛んでいたんだと思う。  どのくらい気を失っていたのか見当もつかない。持っていた荷物もすべて盗まれてしまっていたが、どうでもよかった。 「に、ニケ……? 大丈夫か?」  霞む視界のなか。手探りでニケを探す。  ぱたぱたと虚しく地面を触る手が、やわらかいものに当たる。  黒髪に赤い着物。  ニケだ。 「ニケ!」  すぐさま抱え上げるも、小さな身体はピクリともしない。揺すって何度大声を出しても、返事は返ってこない。 「そ、そん――」  絶望で塗りつぶされそうになるが、ニケの胸に耳を押し当てる。とくんとくんと鼓動が聞こえ、涙が滲んだ。  ――生きてる。大丈夫。呼吸もしてる!  でも! 「はあっ、はあっ。ど、どうしよう。どうしよう!」  真っ青な顔で周囲を見回す。キミカゲがいるはずないのに、頭でわかっていても探してしまう。  見知らぬ土地。ろくな知り合いもいない。たった一人。 「はあっはあっ――はあっ」  どうしよう。どうしよう。どうすればいい? どうすればいい?  ニケは一体どうなったんだ。なにをされた? あの光が原因か? こういう場合、俺は何をすれば?  頭の中は真っ白なのに思考はぐちゃぐちゃにこんがらがって、フリーは過呼吸になりかけていた。 『水路に叩き落としてやろうか?』 「――ッ!」  頭をよぎるニケの声。腕の中に視線を落とすが、ニケは目を瞑ったままだ。  小さな頼りない身体。それでも彼は大人びて冷静沈着だというのに、俺のこのざまはなんだ? 「……」  急激に心が冷める。短く息を吸い、長く吐き出す。キミカゲに教えてもらった、心を沈める呼吸法。三秒吸って、三秒息を止める。そして六秒かけて吐き出す。  長く息を吐くだけで、多少は落ち着くものだ。 『緊張もほぐれるし、眠りやすくなるよ』  鬱本を読んで眠れなくなったフリーに、元凶の薬師は人差し指を立てて自慢げに教えてくる。 「……うん。もう大丈夫」  知らない土地? それがどうした。ここが地の果てでも、俺は諦めない。  ニケを諦めてたまるものか。  フリーはニケを抱えたまま走り出す。絶対に助ける。 「――まあ、気持ちは分かるよ? だからってあだ名とはいえ、自分の名前大声で叫びまくるのやめてね?」  文句を言いながらものんきな口調で話すのは、以前凍光山(とうこうざん)で出会ったうさ耳がすてきな青年だった。  この首都にいる唯一の知り合いと出会うためにフリーが取った方法。 『スミさん! フリーです。どこにいるんですかスミさーーん』  スミの名を叫びまくり、十二区中を走り回る、だった。  問題だったのは、地下で備蓄の整理をしていたためその声に気がつかなかったということだ。隣人が勝手に家にやってきて(いつものこと)「お前の名前叫んでる変な奴がいる」と地下室にいたスミに教えてくれて、ようやくスミの耳に届いたのだ。ちなみに、地上に出てニケを抱えて叫んでいるフリーの姿を見た時、スミはつまみ食いしていた非常食を吹き出したものだ。 「あだ名とはいえ、犯罪集団のやつらに名前覚えられたくないし、目をつけられたくない。だからここでは他所もんがヒトの名前を大声で言わない。オーケー?」 「スミさん。会えて嬉しいです」  スミの忠告も、ようやく知り合いに会えて嬉しいフリーの耳には届いていなかった。  駄目だこりゃとスミは木箱に腰掛け、汗だくのフリーの腕の中に視線を移す。 「ニケじゃん。どうしたの?」 「実は――」  説明するも、聞く気がないのか何かを気にしているのか、スミは落ち着かない様子で家の出入り口付近を見つめる。  自分は布をかけた木箱に腰掛け、フリーには円座の一つも渡さない。なので、フリーはささくれが目立つ木の板の床に直座りしている。床は砂汚れが酷く、草履を脱いで上がるのに躊躇した。 「……」  話し終えたフリーがスミの反応を待つ。ニケのことを助けてくれたことがある(らしい)彼なら、「話は分かった。協力してやる」とか「ニケを助ける方法を一緒に探そう」とか、言ってくれると思ったのだ。  期待を膨らませるフリーに、出入り口を指差す。 「うん……。今は外に誰もいないみたいだ。帰ってくれる?」 「え?」  聞き間違いだろうか。  フリーは膝歩きで詰め寄る。 「助けてくれないんですか?」  必死なフリーの顔を見て、小馬鹿にするように笑った。 「最弱に近い自分(衣兎族)に「助けて」と言う生物がいるなんてね。恥とか自尊心とか、ないの?」 「ちょっと知らない言葉ですね」  間髪入れずに返され白目を剥く。 「……そう」 「え? で、なんで助けてくれないんですか? ニケと知り合い……なんですよね?」  スミは背中を丸め、膝の上で頬杖をつく。 「自分のこと善人だと思ってる? 衣兎(ころもうさぎ)族は誰かを助けたりなんてしないよ。弱いんだから」 「……いや、強い弱い関係ないと思います。助けてください。スミさん」  困惑気味なフリーに、スミも不思議な生き物を見るような表情を浮かべる。「衣兎族に助けを求めるのは恥」という世界共通概念を、この白髪の彼はまるで知らないような話し方をするのだ、無理もない。 「「……」」  互いの顔を見つつ、沈黙が流れる。  それでもスミは白けていた。  さも対岸の火事と言わんばかりの彼に、遠慮なくフリーは顔を近づける。 「スミさん!」 「ちょ、近い近いっ」  顔を鷲掴みにされるも、フリーは引かない。 「頼れるのはスミさんだけなんです! お願いします」  全力でフリーを押しのけ、スミは鬱陶しそうに立ち上がる。 「はいはい。うるさいわもう。帰れって。自分はごたごたに巻き込まれるの嫌いなんだって!」 「……っ」  凍光山で会った時とは別人のようだ。  温厚なフリーが、わずかにムッとした。  腕の中にいるのはニケなのだ。 (手段を選ばなくていいか……)  金緑の目が冷める。言葉を尽くして無理なら、別の頼み方がある。 「なに? 睨んでも気持ちは変わらないって。ここに住んでるヒトはな、犯罪組織の連中に目をつけられないように静かに生きないといけないんだ。諦めてくれる?」  ここで生きていく知恵というものか。スミの気持ちは分かった。 「……。そういうことでしたら。はい」 「聞き分けが良くてなにより」  ホッとした様子だったが、青い瞳にはわずかに残念そうな色が滲む。  話は終わりと背を向けるスミに、フリーはすっと扉を指差した。 「あ、あんなところにホクトさんが」 「イヤァーーーーーッ!」

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