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第27話 好待遇

「手ぬぐいを濡らしてきました。これで拭いて差し上げなさい」 「はい」  係のヒトが世話を焼いてくれるので、ニケはすることがない。派手な色ではない扇子で風を送りながら、黄昏着物の女性は心配そうな目をニケに向ける。 「坊ちゃんは、大丈夫ですか?」 「はい。僕は大丈夫です」 「それでおふたりは、中庭の見学でいらした御方、でしょうか?」 「はい。よければ、少しここでこやつを休ませてやれませんか?」  駄目だと言われれば、出て行くしかないな。今のフリーを太陽の下で歩かせるのは酷だが、僕が抱えて歩こう。フリー一人くらい余裕である。……が、背丈が百八十もあるから、どこかは絶対に引きずってしまうのだ。  ――ま、薬札を貼っておけばいいだろう。  鞄に入れておいたはずだし。  旅行時に必要になる薬のアドバイスをキミカゲから聞いて、傷薬やその他諸々を入れた小さな箱。  怪我をしてもそれで僕が手当てしてやろう。しょうがないな~。  フリーを手当てして、感謝されて撫でてもらって「ニケ。ありがとう」って頬ずりまでされて……。うむ。悪くないな。  自分の妄想にドヤッていると、女性は当然のように頷いた。 「もちろんです。ゆっくり休んでください」 「え?」 「え?」  ぽかんとした二人が見つめ合うが、ニケはぴしっと頭を下げる。 「ありがとうございます。ご厚意に甘えさせていただきます」  子どもらしからぬ丁寧さに一度瞬きをするも、口元の笑みは消さなかった。 「でも良いのですか? 宿泊客ではありませんよ?」 「良いのです。困っている方を見捨てたとあれば、大女将に叱られてしまいますもの」  流石は高級旅館。汗を拭う際に笠を取ったとき、目を丸くしただけで、「白髪だ!」などと騒ぎ立てる者はいなかった。  しかし客はそうはいかないだろうと判断し、再び笠を被らせている。  フリーの隣に腰掛け、冷たいお茶をこくこくと飲む。  休んでいると先ほどの女中さんが持ってきてくれたのだ。身体を冷やすにはいいが、水分補給には水が好ましかった。お茶は利尿作用があるからな。無いお茶もあるが、ニケはそこまで詳しく覚えていない。キミカゲの側にいるとはいえ、彼ほどの知識量に到達するには気の遠くなる年月が必要になる。それでももっと、書物を読み込んでおけば良かった。  まあ、ニケに「お茶ではなくお水下さい」と言える図々しさと胆力がなかったせいなのだが。いやだって、放置で良いのにわざわざ持ってきてくれた女中さんに。言えないや……そんなこと。  ちらっと見上げると、フリーは相変わらず赤い顔でぼーっとどこかを見つめている。手にはニケと同じお茶が握られているものの、口をつけようとはしない。そもそも、お茶を持っていると認識しているかどうかも怪しい。 「おい。フリー……」  彼の手の上に手を重ね、軽く揺するも反応はない。  どうしたものか。ほっぺくっつけたらいいだろうか。こんなヒトのいるところでは出来ないぞ。 「ニケ?」 「うお」  反応無いなと油断した直後にこっち向くな。尻尾がぶわっとなるだろ。時間差で反応するのやめろ。 「……あ」  フリーは自分の手に小さな手が重なっていることに気づく。あたたかくて、やわらかい。  思わず顔が緩んでしまう。知らないヒトが見れば即通報されそうな笑みだ。  フリーはその手に自分の手を重ねてサンドしようとして、片手が埋まっていることに気づく。  湯呑を目線の高さに持ちあげる。 「あれ? なにこれ。お茶? なんで持ってるの?」  まじかこやつ。 「女中さんがくれたんだ。冷たくて美味しいぞ? 飲め」 「え? いつの間に……?」  ニケはツッコミを放棄した。呆れた顔でお茶をすする。 「ニケ。ありがとう」 「は?」 「体調悪くなって、中庭散歩できなくなったのに。文句も言わずに日陰まで連れてってくれて。俺はいつも、ニケに助けられてばかりだな」  恥ずかしい奴め。  ぷいっと顔を背ける。 「ばっ……馬鹿か、お前さん。僕はそんな器の小さな男じゃない。それになんだ。好きで体調悪くなるやつなどいないのに、文句言うとか。縁を切れ、そんなやつ!」  本音を言うと、友人すべてと縁を切ってニケだけを見てほしい。そんな気持ちと、それは流石に気持ち悪いな、という気持ちがある。  二つの思いがホクトとミナミのように喧嘩している。まあ、これは放っておいていいだろう。どうしようもない。  フリーはお茶を一気飲みする。 「……っぷはぁ。美味しい! 縁を切れって、友人は大事にするものじゃないの?」 「なんで?」 「え? ……ゆ、友人、だし?」  しどろもどろのフリーにため息を落とす。 「そんなやつを友人とは言わん。合わないやつと無理して付き合っていられるほど、人生は長くないぞ。翁じゃないんだから。合わないやつはさっさと捨てろ。捨て方が分からないのなら直接ゴミ箱に叩き込め」  それはただのやばい奴ではないだろうか? と言いたいのをぐっと堪える。  縁切りしたい友人は今のところいないので、フリーは話を逸らすべく館内を見回す。 「あーえっと……。ここって黄昏旅館の中? 見学のヒトは立ち入り禁止じゃなかったっけ?」 「僕も入って良いのかと思ったんだけど、ここで働いているヒトは体調不良の人を見捨てろという、教育はされていないようだな。ありがたい」  両手で湯のみを掴んでちまちま飲んでいく。  ぷにっと頬を指で突かれた。  うぶっ。口からお茶が漏れるかと思ったぞ。 「こら。飲食時はやめろ。口からこぼれたらどうする。食べ物を粗末にしたら畑に植えるぞ」 「作物にされる⁉ ごめん。そこにほっぺがあったから」  どこの登山家だお前さん。  フリーはうずうずと身体を揺らす。 「うう~。ほっぺに触りたいよぅ。早くお茶、飲んでよ~」 「それよりお前さん。身体の方はどうだ? 頭痛いとかだるいとか、報告しろ。日照り病舐めんなよ」  すっと目を閉じ、数秒後にまた開ける。 「うーん。頭痛は収まったかな? ちょっと頭がふらつく、かも」 「目まいか。下手に立つなよ? 倒れるぞ。座っとけ」 「うん。ニケは……」 「ん?」  ニケは中庭、散歩してていいよと言いそうになり、わざとらしく咳払いする。 「エッホエッホ。ニケは~……体調どう?」 「僕は平気だ。生まれた時から吹雪と初夏を行き来していたんだぞ。そりゃ、この暑さは多少堪えるが、身体に影響が出るほどじゃない」  と言っていると、先ほどとは違う女中さんがやってきた。「そろそろ出て行ってください」と言われるのかと身構える。  女中さんは笑顔でニケの前で膝を折った。 「調子はいかがですか?」  伝達ミスだろうか。もしかして、体調悪くなったの、僕だと思われている?  フリーを一度見て、こくんと頷く。 「落ち着いてきたようです」 「それはなによりです。あの。よろしければこれ、我が旅館の人気料理です。召し上がってみてください」 「「へ?」」  フリーと声が重なる。  盆に乗せていたガラス製の小鉢をフリーとニケに渡す。 「東村柿(ひがしむらかき)と豊水幽霊梨(ほうすいゆうれいなし)を凍らせ、砕き、その上に生くりぃむと黒蜜をかけた一品です。美味しいですよ」  にこっと愛らしく笑うが、ニケたちは目が点になった。  引きつり気味のフリーが目で「え? ニケが注文したの?」と聞いてくるが、首を振って否定する。こんな、器だけですでに高価な料理を頼める金はない。そもそも客ではないのだ。この好待遇は何なのか。  ニケは小鉢と女中を交互に見る。 「えっと……。頼んでませんが?」  女中さんが間違って持ってきた可能性がある。食べる前に確認しておかなくては。  しかし女中さんは首を静かに振った。 「この果物は日照り病の症状を和らげる効果があるのですよ。早く治して、心行くまで中庭を楽しんでいってくださいね?」  最後に少女のようにウインクすると、「失礼します」と言って去って行く。  あ然とその後ろ姿を見送ったニケだが、フリーはさっさと食べ始めていた。 「なに? うまっ! うっまー……でも甘いなこれ。果物は美味いんだけど、上に乗ってる白いのと黒いのが甘いな……」  銀色の匙で甘い部分を避け、凍った果物をさくさく口に運ぶ。 「日照り病に効くなら、一つでいいと思わないか? なんで僕の分まで?」  思わず声に出すと、フリーは当然のように答えた。 「多分これ。ニケのために作ってくれたものだと思うよ? あのお姉さんたち、なんかそれっぽい理由つけてるけど。単に子どもが好きだから、ニケに構いたいだけな気がする」  ニケは「はぁ?」と顔を歪める。 「適当なこと言いおって……。そう思う根拠は?」 「俺と同じ「におい」がする」  咀嚼しながらキメ顔を見せるフリーに、がっくりと項垂れる。  すさまじい説得力だ。

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