40 / 57

第40話 無理に横字を使わなくてもいいと思うんだ

「リニューアルすることになりまして。他の宿を参考に見させてもらっているんですよ。で、良い宿がないか聞いたら、ファイマさんがここを」 「ほおー。おばば様が聞けば、全面的に協力しそうですね。それでおたくは? 荷物持ちですか?」 「従業員です」 「左様でしたか」  「リニューアルと言いたかったんだな。俺もたまに噛むから気にするな」と幼子を励ましている旦那を見つめ、狐耳はボリューミーな尻尾をふわんと揺らす。 「赤犬族同士、ああしてると親子に見えますねぇ」 「お兄さんは最小狐(こぎつね)族ですか?」 「お兄さんって年じゃないですよ。おじさんですよおじさん。……それとどうして尻尾をガン見されているんで?」  何かついてる? とおじさんは自分の尻尾を抱え込みあちこち確認する。  羽梨(はねなし)の巫女は尻尾が大きくて巫女装束が前掛け状態になっていたが、このおじさんは下半身の部分がのれんのようになっている。後ろ半分を潔く撤去した巫女袴と違い布はあるが、それでもきわどいことに違いはない。 (俺も狐尻尾抱きしめてみたい~)  と見つめていると、ぽんぽんと膝を叩かれる感触。ニケかなと思い首をめぐらせると、むすっとしたニケだった。考えるより先に手がニケを抱き上げる。 「はあ~……。かわいい」  もちもちのほっぺに頬ずりしてご満悦。ニケはムスッとしたままだが、嫌がる素振りはない。  それをじっと見つめているトマを茶化すように笑う。 「どうしました? 旦那。そろそろ子どもがほしくなりました? その前に嫁さん見つけにゃ、ですよ?」  はっと旦那は我に返る。 「ふんっ。なんと言われようと嫁はもらわん。跡取りが心配なら、養子でもお前の娘でも構わんと言っているだろう。早くお前の娘を寄こせ。でないと他の者に跡を継がせるぞ」 「っか~。またそれですか」 「まあまあ。いいではありませんか」  そういって顔を出したのは、頭皮に毛が一本もないおじいちゃんだった。白衣を着ているので薬師なのだろう。  トマがサッと立ち上がる。 「先生。ご足労いただき、ありがとうございます」 「いえいえ。おばば様が自分の足でお立ちになられたと聞き、『そんなばかな』とすっ飛んできただけです。好奇心です」  そういうことを言わなきゃいいのにと狐男は呆れるが、トマは真面目に薬師を玄関まで送る。 「家まで送りましょうか?」 「いえいえ。ここで結構結構。それと……春夏秋冬の旦那さん」 「ん?」  薬師のおじいちゃんはトマの肩あたりで囁く。耳元でささやきたかったが、これで精一杯である。つま先立ちになった足が震える。 「初恋を忘れられないのは、お母様譲りですかな?」 「――は?」  おじいちゃんはニヤッと笑うと風のように去って行った。一瞬だった。呼び止める暇もなかった。  ぽかんとした旦那だけが取り残されたが、「なんだったんだ?」と頭を掻きながら休憩室に戻る。室内では、ニケと笠を被ったままの従業員が黄金色の尻尾に戯れていた。  狐男は助けを求めるように旦那を見上げる。 「旦那~。この子たち、子ども時代の旦那と同じことしてきます~」 「ははっ。ほほ笑ましいではないか」  笠の従業員は念願叶ったと言わんばかりに狐尾を抱きしめ、ニケは毛の中に両手をボフボフと突っ込んでいる。確かにどちらも子どもの時にやったことがある。 「すぅ―――、はあぁ―――。すう―――、ハァ―――」 「むむ。ランランよりかはしっかりした毛並み」  赤犬の子はいいとして、尻尾に顔を押しつけて深呼吸を繰り返している兄さんが怖い。暑いはずなのに背中に寒気がした。 「それで、宿の内装を見たいのだったな。今日は臨時休業の予定だったので、好きに見てくれて構わないぞ」 「いいんですか? お母様がその、このようなときに?」  ささっと尻尾から離れる幼子に頷く。 「ああ。サクラ様のお孫さんを追い返したとおふくろにバレれば、尻をぶっ叩かれてしまうからな」  ニケの前に座ると、真面目な顔を作る。 「それと――ニケ殿はまさか、ひとりで宿をやってるわけではないのだろう?」  こくんと頷き、思わず正直に答えてしまう。 「え? はい。ボクと姉とこの従業員の三名です」 「子どもだけですか? なんとまあ……」  そろそろ尻尾を放してほしそうに、狐男がフリーの着物を引っ張る。  トマは少し考えこむと、やがて決心したかのように口を開いた。 「なあ、ニケ殿。よければ俺の子にならんか?」  突然の申し出に、固まったニケとフリーは声も出ない。唯一、狐男だけは「言うと思った」という表情で尻尾を抱いてフリーから距離を取った。  先に硬直が解けたフリーがトマの犬耳に目を向ける。 「えっと……? それはどういう?」 「言葉の通りだ。俺は嫁がおらず跡取りがいなくてな。近々養子を、と考えていた」  ちらっと、狐男を睨む。 「そやつがさっさと娘を差し出さないのが悪い。四歳だったか? そろそろあれこれ教えていかなければ、良い女将になれんぞ」 「いやー。娘は猟師になりたがっていまして」 「そんな危険な仕事を娘にさせるな」  あんたの母親も猟師だろう、という声は無視して、ニケに視線を戻す。 「それで、どうだ? おふくろとも縁があるようだし、子どもだけでは不安だろ? ここにいれば俺たちが守ってやれる。……そういえば、姉がいると言っていたな? よければ見合い相手も紹介するぞ?」  鈍いフリーでも、トマが焦っているのが伝わってきた。  フリーは狐耳に目を向ける。 「あの、さっきからトマさんがあなたの娘さんに、勝手なこと言っていますが、いいんですか?」  ん? と顔をした狐男は、派手に吹き出す。 「んぶふっ……! 言っているだけですよ。旦那は俺の娘にゲロ甘なんでご心配なく」  トマは拗ねたように目を逸らす。 「ふんっ! せっかく愛らしく生まれたのだ、性格がお前に似ないことを願うぞ」  軽口を叩き合える和やかな空気に、ニケは一瞬真面目に考えたがすぐに頭を振った。 「ありがとうございます。お気持ちだけもらっておきますね」 「駄目か……」  両手を床につき、トマはがっくしと項垂れた。  からかっていた割に狐男が残念そうな眼差しを向けてくる。 「駄目ですか? あ、旦那の顔が気に入りませんか? 子どもだけなのでしょう? そんなん危険ですよ」 「顔っ? い、いえ」  違うと手を振り、ニケはフリーを指差すと自慢げに言う。 「極めてド阿呆ですけど、用心棒がいるので大丈夫です」 「なんか酷いことを言われた気がする。しかも指さされながら」  トマと狐男の目が、フリーに向かう。 「……この、ニケ殿より頼りなさそうなのがか?」 「ただの従業員では? 強そうな要素どこ?」  追加でさらに心えぐられた。  他人の家でふて寝するフリーに構わず、ニケは胸を張る。 「これまでもやってこられましたし。僕だってもうちょい背が伸びれば、もっと姉ちゃんに頼ってもらえるはずです」  だから大丈夫だと告げるニケに、トマと狐は不安そうな顔を見合わせる。 「用心棒ねえ」  トマは納得いかない顔で、寝転んでいるフリーを揺すって起こす。  腕まくりをし、腕を差し出す。 「どれ、腕相撲でもしてみないか? こう見えて俺は力には自信がある」 「……」  こう見えてって、どう見ても力があるようにしか見えません。三人の心が一つになった。  ヒスイのようにごついわけでも、オキンのようにバッキバキというわけでもないが、身体は大きく厚みがある。 「おばば様に鍛えられていますから、一般人にしては強いですよ」  どこか自慢げに言う狐男にニケの対抗心がわずかに燃える。景気よくフリーに「やれ」と命じたくなったが自重した。乱闘しに来たわけではないのだ。  ニケが断る前に、フリーが首を横に振った。 「無理です。勝てません。その前に、折れます腕が」  親指を立て自信満々に敗北宣言をする男に、トマはずるっと肩の着物がずれる。 「おいおい。そんなんでニケ殿を守れるのか?」 「もしかしてスピード特化型、とかですか?」  わくわくした様子の狐男に、フリーはふふんと腕を組む。 「走ったらよく転びます!」  トマは真剣にニケの両肩に手を乗せた。 「よかったら知り合いの維持隊を紹介しようか? 性格は適当な奴だが、金さえ払えばきちんと仕事するぞ?」 「この不良品、早く返品してきなさい」 「あー」  狐耳に首根っこを掴まれ、部屋の外に捨てられそうになる。  背は高いのだ。これでフリーに威厳や威圧感的なものがあればこんな事態にはならないのだが。 (フリーにそんなもの求めても虚しいだけか)  それに、ふにゃふにゃしているフリーが嫌いかと言われれば、決してそんなことはない。  捨てられそうになっている足首を掴むと、自分の方にぐいっと手繰り寄せる。 「これでいいんです。僕には」 「おあー」  余裕で力負けした狐男までついてきたので、ぽいっとトマの方へ投げる。投げてから、ついクリュのようにやってしまったと反省した。  飛んできた狐耳を、トマは片手で受け止める。 「す、すげー力。流石赤犬族」 「まあな」 「いや、今のは旦那を褒めたんじゃなくて……」  喋っている途中の狐男をポイと後ろに捨て、ニケに向き直る。 「では、本当にいいのか?」 「ええ。僕は僕の宿を守ります」  はっきり告げると、トマはにかっと笑う。 「そうか! 残念だ。だが、何か困ったことがあれば、いつでも尋ねてくるといい。俺が……というか、おふくろが絶対に味方になるからな」  くすっと笑うニケを抱き上げ、自身の膝に座らせる。 「いいか? この先どんな不幸があっても、自分は一人だ、などと思うなよ? 助けてくれる者は案外いるものだ。たとえ有料だろうと、手は差し伸べてくれる。少なくとも、藍結に味方が一人はいることを忘れるな」 「……」  同族や子どもだけということもあり、随分心配してくれたのだろう。優しい言葉だった。  ニケはしっかりと頷く。 「……はい」 「しっかり者に見えるし、余計な言葉だったかな? さて、宿を案内しよう。ついでに昼食も食べていくといい。ああ、宿で一番豪華なものを振舞おう」  照れくさくなったのか、早口でまくしたてるとそそくさと厨房へ歩いて行った。  狐男は頭を摩りながら呟く。 「あ、俺が案内するんですね?」

ともだちにシェアしよう!