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第45話 大好き。愛してる!

 散歩から戻ったスミは昼食を銜えたまま鋏を動かしていた。昼食と言っても長方形の高野豆腐。それを水で戻すこともせず齧っている。  ランランアートは消える芸術。どれほどのものを作ろうとやがて毛は伸び、作品は消えていく。完成形が維持されているのはランランの個体にもよるが、たったの三~四日。    ――作り上げても消えてしまう芸術を作ったところでなんになる?  よく言われる言葉だ。  この世に風化しないものなどあるものか。どうやっても消えてしまう。だからこそ。  自分では維持できない。それこそランランをはく製にするかしなければ、不可能だ。消えるから作る。次を作ろうと思う。出来が良く、留めておきたいとどれほど願おうが消えていく。これが、たまらない! この快感をずっと味わっていたい。誰にも理解されずとも結構だ。自分のための作品。自分のための行動。  この大会も、たまたまそれを評価する者がいただけの話。  ジョキジョキジョキジョキと、とんでもない速度で毛を切る音が心地好く響く。切られた毛束が舞い、雪のように積もる。レンタル主が作品を作っている間、ランランは動けない。いや、急に走り出そうが主を蹴っ飛ばそうが何しようが自由だ。主役はランランなのだから。それなのにどうして大人しくしているのだろう。鋏を持った人物が自分の毛を刈っている。羊でも大暴れするというのに。  花子はじっとしている。  動物と真に分かり合えることはない。  花子が今どんな気分なのか、それは誰にも分からない。寝ているだけかもしれないし、スミの熱気に当てられただけかもしれない。  だから、ストレスは最小限にしてやりたい。昼食とか食ってる場合ではないのだが、動けなくなるのは困る。  軽いわりにランランの毛量は尋常ではない。スミの足首まで毛が積もっただろうか。そのとき、仕事場の扉が開いた。と、ほぼ同時に鋏を左手に持ち替え、前掛けに装着された毛刈り道具の一つ――アイスピックのような形をした器具――を引き抜くと、クナイのように投げつけた。 「おーい。スミ」  ――カッ。  アイスピック状の器具は勝手に入ってきた愚者の眼球すれすれの位置で、壁に突き刺さっていた。  恐怖と突然の事態で入ってきた体勢のまま硬直している侵入者を、スミはこの時点で初めて視界に納めた。そして、手を止める。 「なんだ、お前かよ」  肩の力を抜くスミに、卵体型の侵入者は首だけをギギギっと動かす。 「おいら、なんで殺されかけたの?」 「仕事中は気が立ってんだよ。花子を守らないといけないしな」  壁に刺さった器具を引き抜くと、侵入者は近づいてくる。これに警戒したのは花子だ。全身の毛を逆立て低く唸りだす。それに怯んだのか侵入者は大きく後退る。 「うわっち」 「ばーか。刃物持って近寄るやつがあるかよ。花子が怖がるだろうが」 「こ、これは! お前に返そうと思って……」  何か言っている手から器具を引っ手繰る。調子よかったのに、集中を切りやがって。  侵入者はスミの隣に住んでいるもので、こうしてたまに(許可なく)入ってくる。勝手に入ってくるなと言っても入ってくるので、こいつのことは災害か何かだと思うようにしている。「仕事中は気が立っている」と「刃物持って近寄るな」は覚えている限りで十回は言った。今のを合わせて十一回目だ。この器具を脳天に突き刺してやりたい。  侵入者――隣人の衣兎族は、おどおどしながら垂れた耳の先を握って顔を隠す。 「おいら。お、お前が飯食ってるか、気になって。そ、それに最近、見かけないやつがお前の周りをうろうろしているから不安になって。だ……誰なんだ? あの長身の男は」 「あーもー。帰れよ。(フリー君だと思って器具投げたのに)自分は今忙しいんだ。この時期はランランのこと以外考えたくない……」  背を向けるスミにしゅんと落ち込む。小柄な衣兎(ころもうさぎ)族の中でもさらに小さな身体が、耳が垂れていることもあり、一段と小さくなる。 「子どもじゃないんだ。お前に気を遣われる筋合いはない」 「お、おいら。……っ、おいらはお前の、スミのことが――」  顔を真っ赤にして叫ぶも、毛刈りに取り掛かっていたスミの耳には届かなかった。すでにランラン以外のことは意識外だろう。ジョキジョキという音だけが響く。 「……スミ」  立ち尽くすたれ耳に、気のせいかもしれないが花子が同情するような目線を向けた。 「いま、スミさんが恋愛フラグをへし折った気がする」  真面目腐った顔で外に目を向けるフリーに、ニケは呆れた表情を見せる。 「なにを急に意味わからんことを。いや、お前さんはいつも急に意味わからんけども」  うつぶせになったフリーの上に同じように寝転び、白い頭部に顎を乗せる。亀の親子のように重なるふたりに、膳を回収に来た狐耳の男が二度見していく。  これは食事風景の一部始終を勝手に見ていた罰である。フリーに寝転ぶように指示し、ニケはその上に乗っかる。別にくっつきたかったとかではない。どちらの立場が上か、明確に分からせておく必要があるからだ。そう、躾だ。  ほんのり椿が香る白髪に頬を擦りつけ、バタバタと足を上下させる。 「幼女に浮気したと思ったら急に倒れて心配させるだけじゃ飽き足らず、じっと見て怖がらせるとは。何度も言うけどそれやめろ」 「リーン先輩にも言われたけどやめられないよ。肉食べているニケの可愛さと言ったら反則急だし! なんでそんなに可愛いわけ? 可愛いが過ぎてキレそう。風景を絵にして残しておく機械(カラクリ)を生み出さなかったことがこの世界の罪だろおごごごごっ」  恥ずかしいことを言う頭部を掴み、顔面を畳に押し付け黙らせる。トマさんもいるっていうのにそういうことを言うな。二人きりの時にしろってば。まったく。おふたりがめちゃくちゃほほ笑ましそうな目でこっちを見ているだろうが。 「このあと冷たい甘味を持ってくるが、まだ入るよな? 待っててくれよ~」  「甘いものは、いりません」と言う前にトマたちは出て行ってしまう。 「どうしよう。甘いものだったら任せた」 「しょうがないなぁ~と、言ってやりたいが、もっと頼み方というものがあるだろう?」  頬ずりとなでなでを所望する、と言いつつぺしぺしと頭を叩く。 「……はぁい」  フリーはのそりと起き上がると、ニケをぎゅっと抱きしめ黒髪を撫でる。 「ニケ様~。どうか甘味を食べてくだせえ~」  なでなで。なでなで。すりすりと頬ずりする。 「ああ~。もう一生離れたくない~。死ぬまで、死んでもこうしていたい~。うふふ、うふふ、うふふっえへえへっぐへへへぇ」  ――笑い声は気味悪いが、やはり抱きしめられると安堵感が溢れ出る。好き好き。もっとぎゅっとして愛してるって言って。  恥ずか死するので絶対に口には出さないが、ニケもフリーの肩に頬を押し当てる。 「そこまで言うなら、食べてやろう」 「え~? ……何の話してたっけ? あ、そうそう。甘味だわ」  ニケがかわいすぎて忘れていた。そこで襖の向こうから声がした。 「甘味をお持ちいたしました」  ベリ子さんの声だ。ニケはぱっと安息の地から離れる。  せっかく立ったので、返事をしながらニケが襖を開ける。 「はい。どうぞ」 「失礼いたします」  お手本のような一礼をし、流れる動作で器の乗った盆を運ぶ。澄んだ川の流れのごとく。なんて美しい。これも是非吸収したい。そのためにはもっとよく見なくては。  じっと見上げながらついてくるニケに癒されながら、ベリ子は机に器を置いていく。  フリーはペコっと頭を下げる。 「ありがとうございます。……ベリ子さん、なんだか、会うたびに若返っていきますね」 「え?」  目をぱちくりさせるベリ子に、ニケもこっそり頷いて同意を示す。  お世辞だと思ったのだろう。微苦笑を浮かべ、会った時よりも肌艶が増したベリ子は「いやぁねぇ」と言いたげに手を振る。 「ニドルケ様のお顔を見ると、元気が出ますのよ」  真剣な顔でフリーは強く頷く。 「分かります。俺もニケを抱っこするたびに寿命が延びますから」 「僕にそんな力はありませんよ」  二人して褒めるんだから、照れるだろう。  ぷいっと桃色に染まった顔を背ける。 「「いや、ある(あります)‼」  拳を握ったふたりから力強く断言され、ビクッとニケの犬耳が跳ねる。  目を丸くするニケに、おばば様は我に返り顔を赤くした。 「……失礼いたしました」 「あ、いえ」 「事実ですからねー。しょうがないですよ」  のんきに笑っているが、この調子だとフリーは星影並みの寿命になるぞ。最低でも一日に一回は引っ付いているからな。問題は一回くっついたらどのくらい寿命が延びるのかだが……あ、いや、別にフリーの言葉を鵜呑みにしたわけでは。  誤魔化すように机の上を覗き込む。  透き通る緑の器にそびえるは、きらきら光を反射する白銀の山。 「これって、氷ですか?」 「はい。砕いた氷にすり鉢でとろとろにした土露芋(どろいも)をかけ、粒あんと発火(はっか)の葉を乗せたものです。冷たいうちにお召し上がりください」  冷たいうちに、とはまた聞かない言葉だが、言わんとすることは分かる。 「土露芋懐かし~」  当たり前のように覚えているフリーに嬉しくなり、ニケも席につく。  しかし氷とは。黄昏に負けない食後の甘味が出てきたな。 「あの……。赤字になってませんか?」  フリーの心配症がうつってしまった。でも聞かずにいられない。  ドキドキした様子のニケを安心させるように、おばば様は微笑む。 「ええ。何の心配もいりませんわ。さっ、お食べ下さい」 「「いただきまーす」」  飯を一通り食べた後とは思えない勢いで氷をかっ食らっていく。孫を見るように眺めていたおばば様だが、やがて静かに退室していった。 「ニケの宿で食べた空芋と土露芋の方が美味しいね」  ある意味残酷な言葉に、ニケは匙の背でこつこつと机を叩く。 「……ありがたいが、そういう褒め方は止せ。作ってくれた人に失礼だ。飯を出されたら素直に「ありがとう」と「美味しい」だけ言っておけ。そして僕には「愛してる」と言え」  最後のは必要なのだろうか。必要なんだろうな、ニケにとっては。 「もぐもぐ……。俺、ニケのこと大好き~。愛してる!」 「うるさい。ふん。分かればいい。だから僕を見ながら食べるのも止せ」 「ふぁあ?」  ニケを見ずに何を見ろと? と返し、フリーは発火の葉を摘まむ。 「これって食べられるの?」 「食べられるが、食いすぎるとお腹がゆるくなるから便秘の薬にも使われ……ごほんごほん。食事中だったなすまん。清涼感があって甘みが抑えられるから、口が甘さに飽きてきたころに噛んで、口内を一度リセットさせるといい」 「ほへー」  清涼感とやらがよく分からなかったので、ぽいと舌の上に乗せて奥歯ですりつぶす。  途端に口内に涼しい風が吹き抜け、最初は気持ちいいと思ったが急に涼しい風が氷柱に豹変し、耐えきれずフリーは手の中に吐き出した。 「おっ! 無理」 「……そうか。まあ、それは好みが分かれるからな。香りだけ楽しむヒトもいるし。食えないなら置いとけ」 「はぁい」  涙を浮かべ、舌を出してひーはーさせているフリーに苦笑する。

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