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第53話 顔を見せて
最愛のほっぺの登場に、戸にへばりついたまま表情を明るくする。
「早かったね。もうキミカゲさんのところから戻ってきたの?」
「何してんだお前さん……。奇行過ぎて近寄るのに勇気がいったぞ」
反対にニケは、知り合いと思われたくないというように片手で顔を隠していた。
げんなりした顔でもう一度尻を叩く。
「ピッ? なんで叩くの?」
「やかましい。ギリギリアウトなことしおって……。こんなんが家の前にいたら僕でも戸を開けるの躊躇うわ」
巨人を押しのけ、ニケは外れかけの戸の前で咳払いする。
「ごほんっ。こんにちは、リーンさん。ニケです。うちのド阿呆がすみません」
「……、……に……ニケ、さん?」
十秒くらいかけて、そろそろと戸が開いていく。ちらりと半分顔を出したリーンに、「先輩だああああっ」とフリーが飛び掛かりそうになるもニケは冷静に地面を指差す。
「座れ」
「はい……」
正座。
狂人が鎮まったのを確認し、ようやくリーンが出て来てくれた。
「……よ、よう。ニケさん。と、フリー」
ひくひくと口元を引きつらせているリーンに同情しつつ、ニケは箱を差し出す。
「これ。藍結(首都)のお土産です。受け取ってください。そして出来ればこやつの記憶を消してください」
保護者のようにペコペコと頭を下げる子ども。
「……」
口をへの字に曲げていたリーンだが、おそるおそる箱を受け取ってくれた。
「あ、ありがとう……」
「もお~。居るんじゃないですか。すぐに出てきてくださいよ。寂しかったじゃないですか」
にへらっとのんきに笑うフリーを、リーンがスパンと叩いてニケが割と強めに蹴った。
「あ痛いっ!」
頭と尻を押さえて蹲る。同時に二打撃を喰らい、不審者は震えたまま動かなくなる。
「なんだテメーは! 漏らすところだっただろうが。コロコロすっぞコラッ!」
キイィとフリーを蹴っているのは撫子(薄い桃色)の髪を持つ少年だ。うなじが見えるほど短いが、サイドの髪だけ胸に届くほど長い。これは星影特有の髪型で、大人になれば「天の川結び」という髪型を作るために伸ばしているのだ。
その髪型にするには相当な長さが必要なので星影の子どもは皆、このサイドだけが長いという髪型をしている。
一通り蹴って落ち着いたのか、箱を適当に家の中に置きニケに向き直る。
「はあ……はあ。で、土産渡しに来ただけか? だったらもう帰った方が良いぜ?」
「……そう、みたいですね」
痛ましそうに、ニケは目を細める。フリーの奇行で気づくのが遅れたが、リーンの家の外壁は汚れに汚れていた。あちこちにぶつけられた生ごみが散らばっており、腐臭と汚水が壁に染み込んでいる。夏場にこれはきつい。しかも何かで引っ掻いたのか「出ていけ」や「疫病神」とでっかく殴り書きされていた。
リーンの顔をよく見ると、眠れていないのか目の下に隈が出来ている。ちょっと会わない間に痩せたような感じもした。
「なにか、あったんですか?」
労わるような声に、リーンは背中で戸を閉める。がたがたして閉めづらかった。
「あれからまた、やらかしちまってな。いや……。もう帰れ。長々喋ってると(手遅れだろうけど)俺の仲間だと思われるぞ」
ニケはチラッと近隣の家を見る。玄関や窓の隙間から、こちらを窺う目が。
「リーンさん」
「帰れ。……お土産はありがとう。じゃあな」
ぱんっと、目の前で戸が閉まる。
ニケはむむぅと口を曲げた。優秀な耳が拾ってしまうせいで、周囲からぼそぼそと聞くに堪えない言葉が聞こえてくる。それだけで大体事情を察することが出来た。
「……帰るか」
いまは出直した方がよさそうだ。ニケに言われ、フリーはよれよれと立ち上がりながら頷く。
「そうだね。いてて……」
帰るかと思いきや――リーン家の戸をまたもや叩き出した。
「帰れませんけど? 俺まだ先輩に触れてないし! 蹴られたのは嬉しかったけど、まだ先輩の髪にも耳にも触ってないんだけどっ? というか、まともに顔も見れてないし。せめて顔を見せろおああああっ」
白目を剥いて戸を外しにかかる。内側にいたリーンはビクッと肩を跳ねさせると、急いで戸を押さえに走った。
「こらっ! 帰れって言っただろうが」
「先輩に触れ合うまで帰りま千!」
薄い戸一枚を挟んでガタガタと押し合う。
「お、おまっ……。先輩の言うことが聞けないのか?」
「聞きますよ? 触らせてくれたら聞きますえへへっへへっへ」
あ、これは駄目だと感じ、リーンはフリーではなくまだ近くにいるであろうまともなヒト(ニケ)に声を上げる。
「ニケさん? まだいますよね? この阿呆を持ち帰ってください。戸が外れる。っていうか怖い!」
戸の向こうで青ざめているのが伝わってくるほど必死な声だ。こうなるだろうなと思っていたニケはどうしたもんかと腕を組む。
「うーん……」
「え? ニケさんっ? なんでのんきに悩んでんの? 俺様がどうなっても良いの?」
泣きそうになっているなぁ、声が。分かるよ。蜘蛛男化したフリーって本当に恐怖ですよね。
「ちょ、外れる外れる!」
前後からの力に、引き戸ががたっと外れた。こうなってしまえばただの板だ。それでもリーンはそれを盾のように持ち、巨人を押し返そうとする。
「先輩? なんで俺を拒むんですか? それなりの理由があるんですよね? 理由もなく拒んでいるというのなら、焦らされていると解釈しますよ? もう、先輩の人権とか無視して舐め回しますよ?」
ぐいぐいぐいっ。
「早く。ニケさん。早く助けて!」
「……そうですねー」
少し離れた民家の日陰で、ニケはぺろぺろと手の甲を舐める。可愛いことをしていたせいでフリーが顔だけで振り返った。こっち見んな。
「え、なんで? 友人だと思っていたの俺だけっ?」
「僕もですよ? だから、こうなっている理由を話してください」
「……う」
投げつけられたゴミに、壁に刻まれた悪意。周囲の人々から向けられる視線(今は視線は感じないけど)蜘蛛男が去ればまた、リーンを苦しめようとする誰かが来るのだろう。
「……でも、ニケさんたちにまで被害が」
ニケはははっと乾いた笑みを浮かべる。
「いや、もう。こんだけ騒いどいて今更他人のふりは出来ないでしょう。知ってますか? 翁やディドールさんも心配しておられましたよ」
翁の家に戻った際に聞いた。最近様子が変だと。
「っ」
戸を押す力が弱まる。
「先輩? 先輩先輩先輩先輩先輩先輩先輩先輩先輩?」
で、こいつはなんなんだ。
「わかったから! 話すからひとまずこいつどうにかあああアキチカ様助けてえええっ」
ついに神(使)に助けを求めだす星影。
てこてことニケはフリーに向かって歩き出した。
「――なんか、誰かに助けを求められた気がする」
「今度は何したんですかー? 早く謝ってきてくださいよー」
「ままー?」
「先生……はあ」
「そんな目でこっち見ないで! 違うってば! ……たぶん」
リーンの家。窓を閉め切っているせいか、くすりばこより暗く蒸し暑い。
じめっとした畳の上でリーンとニケが向かい合う形で座り、その横でたんこぶを生やしたフリーが倒れていた。
眉間にしわを寄せ、ニケは鼻をつまむ。
「酷いですね。くすりばこよりきついです」
「正直な感想ありがとうよ。だから帰れって……いや、(フリーから)助けてくれてありがとな」
「いえ……」
蜘蛛男の鎮静化には成功したが、戸は戸に戻らなかった。仕方ないので壁に立て掛けておく。
「こやつの給料から修理代を支払いますので」
「う、うん」
「で、なにがあったんです?」
「……たいしたことじゃ、ないんだけどよ」
リーンはなんとか誤魔化せないかと目を泳がせるも、ニケに「こやつ置いて帰りますよ」と言われ、観念した。
がっくり項垂れたまま話し出す。
「ふたりが首都に行っている間に事件が起こったんだ。幼女が誘拐されそうになったんだよ」
「えっ!」
がばっと起き上がった幼児愛好家。さっとリーンはニケの背に逃げる。
ニケが舌打ちするとフリーは膝を抱いて部屋の隅に座った。
「……続きをどうぞ」
「お、おう。それでな? そいつはちゃんと捕まって女の子も戻ってきたんだけど」
最近、何かあったのか治安維持隊のヒト達が頑張っている。見回りも、以前より見かけるようになった。
治安維持にぎっちぎちに締め上げられ、半泣きの犯人が吐いた話では「本当は星影を狙った」とのこと。
「……その時、俺は出かけていていなかったんだ。で、手ぶらで帰るのを嫌がった犯人は俺の家の近くを偶然歩いていた女の子に標的を変えたんだと。星影じゃなくとも、子どもってのはそこそこいい値になるしな」
星影の少年はうつむく。
「俺のせいなんだ……」
フリーまでもぽかんとなる。
「俺のせいって、今の話でどこに先輩に非があるんですか?」
「無事で良かったです、で終わりですよね? この話」
首を傾げるふたりに、リーンは疲れたような笑みで手を振る。
「いいんだよ。俺は前から嫌われているからな。なにかあれば俺が悪いんだよ」
「先輩を嫌いなヒトなんていませんよ」
リーンとニケは揃って額を押さえた。
「んー? ……その、お前さんの「自分が好きな人は世界中の人全員好きなはずだ」理論は置いておいて。リーンさんはここのヒトたちからいい扱いをされていないんですね?」
「はっきり言うなぁ」
「あんだと!」
びくっとリーンとニケは身を寄せ合う。
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