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第54話 くすりばこへ行きましょう

「お、俺がどれだけ先輩と一緒に暮らしたいと……! でも先輩が頷いてくれないから我慢しているのに。先輩はそんなにここが良いんですか? こんな思いをしてまでここで暮らしたいんですか? 俺らと暮らすよりごみ投げてくるここの住人たちの方が良いって言うんですかどうなんですか!」 「ニケさん……この血の涙を流している奴を、俺はどうしたらいいんだ?」 「すみません。あとで背骨折っておきますんで」  むぎゃーと叫んで地団太を踏んでいる十八歳に、リーンはやれやれとお茶を淹れてやる。白い怪獣はすっと大人しくなった。 「えへへ。先輩がお茶を淹れてくれたぁ。家宝にしよう」 「……俺は何に悩んでいたんだっけ? そうだ、夏休みの自由研究でどうやったらテントウムシとサンバを踊れるようになるか、調べようとしていたんだ」 「戻ってきてください。リーンさん」  誰もいない方角に向かってしゃべっているリーンの腕を揺する。 「でも、このアホンダラの味方をするわけじゃないですけど、一時的でもいいのでどこかに避難した方が良くないですか? 今は家だけで済んでますけど、リーンさん自身が怪我をしたら……なあ? フリー」  フリーに目をやると、こそっと懐に湯呑を懐に隠そうとしていた。  ――この白髪が暴れ散らかしそうで怖いんですけど。  それはそうと、盗みは良くないので拳骨を落としておく。暴力ではない、教育だ。  空になった湯呑をリーンに返す。 「矛先が家からリーンさんになる前に避難できる場所を」 「もう、向けられているけどな。よく物を投げられるし。全部躱しているけど」  簡単に水で洗うと湯呑を食器棚に仕舞う。  ニケはわずかにムッとした。 「石とかですか? 危ないですね」 「いや、投げキッスかもしれない。先輩に投げるとしたらそれしかない‼」 「五分でいいから黙っていろ」  真剣な顔で迷推理を披露するフリーを部屋の隅へやり、指を二本立てる。 「くすりばこか羽梨(はねなし)あたりが受け入れてくれそうじゃないですか?」  そういえば、と思い出す。 「オキンさんも受け入れてくれると思いますけどね」  星影の、精霊とフレンドリーという能力はきっと買ってくれると思う。  悪くないと思ったのだが、リーンの笑みは曇ったままだ。 「嬉しいんだけど。実は俺……、……」 「? なんですか?」  リーンはふたりから、特にフリーから目を逸らした。 「この街を出ようと思っていて……」  予想外の発言に、ニケは目を丸くする。そしてちらっとフリーを盗み見た。 「……」  口をぱかっと開けて放心している。うん、面白い顔。  リーンに目線を戻す。 「それは、何故です?」  目を逸らしたままリーンはため息をついた。 「数年かけて探したけど、紅葉街と周辺になかったんだよな。光輪(こうりん)」  光輪。見た目は天使の輪っかに近い。  星影が飛行するのに必要な、翼族で言う翼であり、取り外しできる身体の一部だ。何故取り外しできるのかは謎だし気にはなったが、いまは違う事を訊ねる。 「この街を出て、当てはあるんですか?」  星影はただでさえ狙われる。光輪があれば翼族ですら手が届かない宙へ逃げることが可能だが、彼は今地面から離れられない。味方が一人もいない土地に行くのは危険だ。  リーンは首を横に振る。 「無い。でも俺は光輪がない状態に我慢できない。そりゃあ、ど、ドールさんから離れるのは辛いけどよ……もう、限界なんだ」  以前はここで永住も悪くないかも、なんて思っていた。それだけディドールに救われたのだ。しかし、年月が過ぎるほどに蓄積されていく心の傷。狙われる自分。周囲の嫌悪の目。それらが地層のように重なり、リーンの心をずんずんと潰していった。 「ディドールさんにはまだ伝えてないんですよね?」 「ああ。なかなか言い出せなくてさ……。俺自身、ドールさんと離れるのは嫌だなと思っているみたいで」  目が合わないリーンに、ずいっと近づく。 「どこに行っても構いませんけど、急に消えるのだけはやめてくださいよ? 大騒ぎになりますし、こやつが大騒ぎしますよ?」  指で腕をつつかれ、フリーが意識を取り戻す。 「そうですよ! 勝手に消えたら許しませんよ」  リーンの目が据わる。 「敬語」 「許さないぞ絶対にだ!」  はあ、ともう一度ため息をつく。 「お前らは優しいよな。俺のこと邪見に扱わないし」 「はあ?」  何故先輩を……と言いかけたフリーを遮る。 「お前、俺を鬼から助けたから大怪我したじゃねえか」  加えて出血に目眩や吐き気、頭痛がえげつなかったと聞いた。これも俺のせいなんだ。  心が沈んでいく。 「だから何?」 「……」  ハッと見開かれた金青(きんせい)の瞳。やっと先輩と目が合った。 「今ならレナさんの気持ち分かりますよ。先輩が無事だったという報酬を得たんですから。むしろ満足」 「レナって誰?」 「僕はめちゃくちゃ心配したがな?」  リーンとニケの声が重なる。ふたりは顔を見合わせ、どうぞどうぞと譲り合う。  譲ってもらったニケがフリーの頬を引っ張る。 「僕は心配したがな?」 「しゅいましぇんでした」  で、次リーンさんどうぞ、とニケが手で差す。 「……」  以前なら前のめりになって「レナって誰? 俺のセンサーが反応しているから女性だな? 美人? 可愛い系?」と喰いついていただろう。でもいまはどうしてもテンションが上がらず、口にしたのは別のことだった。 「くすりばこに誘ってくれるのは嬉しいけどよ、俺が行くことで今度はくすりばこに被害が及ぶと思うと、な。どうしても」  ニケは首を傾げる。 「そんなヒト、いますかね?」 「わからねぇぜ? この辺のやつらは相当俺に憎悪や敵意(ヘイト)を溜めているからな」  そんな勇者がいるというのだろうか。 「……」  それはそうと、ニケと話しているとじりじりとこちらに迫ってくるやつがいる。 「近寄るなマジで」  フリーは良い笑顔で両手を広げる。 「何もしませんよ? 抱きしめようとしているだけです」 「『何もしない』の意味を辞書で調べてこい」  そこでリーンが大あくびを放つ。浮かんだ涙を手の甲で雑に拭い、ぱしぱしと頬を叩く。  ニケは苦笑する。 「眠そうですね、リーンさん」 「……眠れてなくてな」  その理由もなんとなく分かるのが嫌だ。  頭を振って眠気を払おうとするリーンは、いきなりふわりとあたたかいものに包まれた。 「え?」  顔を上げるとフリーに抱きしめられていた。 「……」  唇をひん曲げ、すごくいやそうな表情を作る。  男に抱きしめられたせいで鳥肌がびっしり。嫌とかいう感情とかよりも先に鳥肌が全身に立つ。  リーンは自分の腕を指差す。 「どうしてくれんの? この鳥肌を」 「こんなくさい部屋じゃそりゃ眠れませんよね? くすりばこに行きましょう。うんまあ、あそこもなかなか色んなにおいがしますけど、生ごみのにおいより百倍マシです」 「……はう!」  がくんと頭が落ちそうになり、慌てて頬をつねる。 (な、なんだ? 寝ていないとはいえ、いま一瞬で寝そうになったぞ)  フリーの腕の中は、あたたかかった。それに腐敗したごみのにおいで鼻が曲がりそうなのに、白髪からはかすかに椿の香りがして、一瞬だけまともに呼吸が出来た。ていうかこんな部屋に、赤犬族を長居させるのが申し訳なさすぎる。  考えれば、今まで誰かに抱きしめられたことなどあっただろうか。星影は親が子育てをしない。同年代の子どもを一か所に集めて、数人の「灯火月(ともしびつき)」――神官のような者――が教育を施すのだ。狙われやすいために、子どもたちは護身術や戦う心構えを真っ先に教えられる。ゆえに星影は好戦的で喧嘩っ早い者が多い。  ごみのにおいから逃げるように、鼻を白髪に近づける。 (なんか……ドールさんの香り?)  彼女からもらったものなので、似ているのだろう。ディドールを思い出すと一気に花に包まれているかのような。春風が傷ついた心を撫でていくようで、リーンは久しぶりに身体が軽くなった気がした。 「……」 「えへへ。先輩が大人しくなったぞ。これは耳触る好機よね~……すいません調子に乗りました」  無表情で見開かれた赤瞳に、笑顔のままフリーは冷や汗を垂れ流す。犯罪者半歩手前の下僕に構わず、リーンの顔を覗き込む。 「リーンさん。寝ちゃったな」  顔に垂れた撫子色の髪を払ってやる。 「つまり、好き勝手していいってことよな? ね?」 「僕は寝込みを襲う奴は死ねばいいと思っている」 「その通りだ! 寝込みを襲うなんて最低だ!」  手のひらくるっくるの阿呆の頭を小突き、ニケはさっさと玄関の方へ行く。 「連れて帰るぞ。こんなくさいトコに置いておけん。いきなり連れていっても、翁は受け入れてくださるだろう」 「了解でーす!」  うっきうきで彼を抱き上げようとして、上手くいかずに「あれ? あれ?」ともたつく。 「すいませんニケさん。先輩をおんぶしたいので手を貸してください」 「お前さんは仕事より先に筋トレした方が良さそうだな……」

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