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第55話 ニケなんですけどね

 目が覚めると、知らない部屋にいた。  誘拐された? と冷や汗が吹き出す。光輪をなくしたときの記憶がよみがえり、もがくように布団を蹴っ飛ばして起き上がる。だがよく見れば見たことのある戸や壁に、パニックになる前にここがどこだか思い出せた。 「……く、すり、ばこ、か?」  何度か訪れ泊まったこともある。  呼吸と心臓が落ち着くのを待ち、そっと戸を開ける。この向こうは確か診察室だったはず。  朝食か昼食か。キミカゲ、フリー、ニケという見慣れたメンツが輪になって食卓を囲んでいた。いいにおいに一気に空腹が刺激される。腐臭のせいで飯も食う気になれなかったのだ。  ぼうっと見つめていると、誰よりも先に金緑の瞳がカッとこちらに動いた。なんであいつはいつも怖いんだろう。 「あ、先輩! おはようございます」  箸を持ったまま手を振るフリーに、キミカゲやニケもリーンに気づく。 「あ、リーンさん」 「おや。起きたかい」 「……」  まだ頭が働かずぽかんとしていると、フリーが膝歩きで近寄ってきた。 「先輩~。俺、我慢したんですよ? 先輩が寝ちゃっても、何もせずに我慢したんです。えへへへへへ。とりあえず、寝起きのチッス(口づけ)を――」  ぴしゃんと戸が閉まり、フリーはごんっと額をぶつけた。 「ぬぁぜ戸を閉めるんですかああ?」 「悪霊退散。悪霊退散!」  戸が絶対開かないよう両手で押さえる。  がたがたとまた戸を揺らし始める学習しない白髪の尻を思いっきり叩く。 「あうち!」 「翁の家で騒ぐな」  戸の前で崩れ落ちたフリーを蹴っ飛ばし、膳のところまで引きずっていく。  フリーの奇行に驚くこともなく、キミカゲはそそそっと戸に近づいた。 「おはよう。気分はどう? ご飯食べられそう?」  キミカゲの声がすると迷わず戸を開ける。 「あの、ここってくすりばこですよね?」 「うん。彼らが運んできてくれたんだ。君はぶっ通しで寝ていて、いまは次の日の朝だよ」 「えっ?」  フリーたちが家に来たのが昼頃だったから、 「そんなに寝ていたのか、俺」  ぺたぺたと顔を触ってみる。通りで身体が軽い。頭もスッキリしている。こんなにぐっすり眠れたのは久しぶりだった。  でも、寝る前の記憶があやふやだ。何をしていたんだっけ?  みよーんと頬を伸ばしているリーンに小さく笑い、キミカゲが手招きする。 「よしよし。顔色は良いね。ご飯にしよう。おいで」 「……」  じっと膳に乗っかった飯を見つめる。ニケが作ったであろう焼き魚が抗い難い香りを放っている。  ぐううっと腹が鳴り、遠慮しようと思った気持ちが砂のように消えていった。  目を輝かせ四つん這いで近寄り、空の膳の前に座る。 「では、お言葉に甘えて」 「うんうん。いっぱいお食べ」 「どうぞ」  ニケが米をよそってくれた。玄米入りの米で、一粒一粒がふっくらしてハリがある。リーンの腕前では到底真似できないふっくらご飯。 「なんだこのきれいな米。真珠か?」 「褒めすぎですって」  しゃもじを持ったままニケはえっへんと胸を張る。 「ニケの焼いた魚も食べて食べて~」  火を消した七輪の上に置いて保温していた魚と、汁物をフリーが運んでくる。 「ニケの魚、本当に美味しいんだよ」 「それぐらい俺が取りに行くって」  客なんだ。気を遣わなくていい。 「え? それって、俺のことが好きってこと? 気を遣わなくていいよって意味ですよね? んもぉ~。先輩ったらもっと早く言ってくださいよ。俺も先輩のことが大好きですよ」  愛されて照れちゃう困っちゃう~、みたいな笑みのフリーに、リーンは湯呑を突き出す。 「おい。早く茶ぁ淹れて持ってこい」  こっちは客だぞ。もっと気を遣えよ。 「あれ? 五秒前と言ってることが違う……」  亭主関白みたいになったリーンに戸惑うが、後輩は素直にお茶を淹れに行く。  ふてぶてしくふんぞり返るリーンのおでこに、キミカゲが手を添える。ひんやりしていた。 「キミカゲ様?」 「熱はないね」 「いえ、別に体調がどうとかは……」 「俺の先輩が減っちゃったんですよね。いっぱい飲み食いしてくださいよね」  痩せたことを減ったというな。俺の先輩と言うな。と、突っ込んでいたらキリがないので、もう何も言わずリーンは項垂れながら湯呑をもらう。  それでは改めて手を合わせて、 「「「いただきます(再開)」」」 「この命は次のために。雨がひび割れた大地に降り注ぎますように」  フリーは端に伸ばしていた手を止める。 「前とあいさつが違いますね?」  片目を開けてフリーを見る。 「これは複数で飯を食う時版だよ。今、命を食べて生きていることを忘れるなと、ついでに一緒に食べている相手に幸福がありますようにって意味」 「ついでなんだ……」  聞いたことがなかったので、キミカゲもニケも聞き耳を立てていた。  四人に増えたが賑わうことはなく、もくもくと食べ進める。楽しくおしゃべりしたいのだが、ニケに叱られるので我慢している。リーンは久方ぶりの美味い飯に箸が止まらない。 「「「ごちそうさま」」」  キミカゲが食べ終えるのを待って、全員で手を合わせる。しかし声は三人分しか重ならなかった。 「あれ? 星影のごちそうさま版はないんですか?」  ごちそうさまのときは何て言うのか楽しみにしていたのだけれど。 「ない」  言わないようだ。ちょっと猫背になるフリーに構わず、ニケはさっさと膳を回収していく。四人分の膳を腕や頭に乗せ運んでいく。あれで金取れそうだなと見ていると、フリーが追いかけていった。 「お椀洗うの、俺がするよ」 「お前さんは筋トレしていろ」  肩を落としたフリーがすごすごと戻ってきた。 「先輩、筋トレってなにをすればいいんですか?」 「は? モヤシ卒業したくなったのか?」 「モヤシから哺乳類になりたくて……」  リーンはあきれ顔でお茶を飲む。 「人……モヤシに適した筋トレなんて知らねーし。聞く相手間違ってんだろ」  と言って、金緑と金青の瞳がキミカゲを見つめる。  頼りにされるのは嬉しいけど、とおじいちゃんは頬を掻く。 「うーん。私も筋力を鍛えようと思ったことないからね。オキンに訊くのがいいんじゃないかな?」 「バキバキですもんね。オキンさん」  一人だけ(同じ空間にはいたが)会ったことがないフリーはふたりを交互に見ていた。 「オキンさんて、竜のヒトでしたっけ? 参考になるんですかね?」 「種族差がありすぎるよな」  くじらとオキアミくらい違う。  キミカゲは食後のおやつを引っ張り出す。 「まあ、竜は何もしなくても生きているだけで最強が約束されているから、参考にはならないね。けど、あの子は誰かを育てるのがうまいから。いい案をくれるとは思うよ?」  キミカゲが取り出したのは「黄金屋ハチベエ」の銀杏饅頭。紅葉(もみじ)街なんだから銀杏でなく紅葉の形にすればよかったのにと思う。この前ふらっとやってきたミナミが、「今週の分で~す」と言って置いていったお菓子だ。  それを見て、何かを思い出したのかリーンはハッとした。 「そうだ! ニケさんにもらった土産物、家に置きっぱなしじゃねーか!」  箱の中身がもし食べ物だったらもう絶対腐っている。それか盗まれているだろう。誰かのせいで戸が外れたし、よく物盗まれるし。 「って、そうだ戸が壊れたんじゃん! やべえ、俺の着物無事かな……?」  頭を抱えるリーンに、フリーはさっきまで彼が寝ていた部屋を指差す。 「勝手で申し訳ないんですけど、部屋にあったもの一通り持ってきましたよ。もちろん箱も。盗まれちゃうかなーと思って」 「へ……?」  入院患者の部屋だった戸を開けてみると、見覚えのある家具や着物が隅に積まれていた。着物類は丁寧に畳んである。 「まあ、提案したのもニケだし、運んでくれたのもニケなんですけどね」  リーンは炊事場にすっ飛んで行き、皿を洗っているニケの足元で正座した。 「ありがとう。ニケさん。まともなヒトがいてくれてよかった」  鼻をすする彼を一瞥する。 「まだ終わってませんよ。これからリーンさんの家の壁とその周辺に散らばったゴミの片付けもする予定なので」 「くっ! これがイケメンか」  でも、と首を振る。 「それは俺がやるから。俺の家の掃除なんてしていたら生ごみ投げつけられるぜ?」 「あ。家具運びは役に立てなかったけど、掃除は俺もやるー」  スキップで炊事場にやってきたのはフリーだった。持ってきた銀杏饅頭をリーンにはいと渡し、洗い終えたニケにも渡す。当然自分は食べない。  受け取りながらも唾を飛ばす。 「だから! 嫌な思いするって言ってんだろ」 「じゃあ、全裸ですればよくないですかね?」  何言ってんだ……? という目でふたりが見てくる。 「それならごみ投げられても着物は汚れないし? 掃除が終われば、サッと水被るだけで済むし? ひゅうー。あったま良い~」  吹けもしない口笛をひゅーひゅーと吹いている。なるほど。天才的な案だな、とは誰も言わなかった。  冷めた目でフリーを見つめ、饅頭を鼻に近づける。ほのかに甘い良い香りだ。  眠れたおかげか、頭にかかっていたモヤが晴れた気分だった。寝るだけでここまでメンタルが回復するとは。睡眠侮り難し。うじうじ悩んでいた自分が別人のように思える。幼女誘拐も、なんで俺様のせいなんだよ。と、今なら思える。  口笛吹ける? とニケに訊ねているフリーをピッと指差す、 「よし。そこまで言うなら掃除させてやろう。ただし掃除は俺とフリーでやる。ニケさんになにかあれば相手が家ごと消えかねないからな。洗濯屋の仕事が終わったら掃除用具持って俺の家に集合だ。いいなっ? 遅刻すんなよ?」 「「……」」  調子が戻ったリーンにふたりは微笑する。

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