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第56話 お久しぶりっす

「それと、全裸で来たらぶっ飛ばすからな」  リーンは大口で銀杏饅頭を齧る。 「もぐもぐ……お前が途方もない前向き阿呆なのは知っているが、なんだこれ、めっちゃ美味いな!」  中のあんこまで黄色だ。しっかり甘く、それでいて小豆の味も感じる。だが、甘みがくどいとは感じない。  ほわわんと目を細める、 「うめー。こんなん食ったことねぇー……何の話してたっけ?」 「嫌な記憶を飛ばす饅頭とは、さすが黄金屋さんですね」 「先輩の家の掃除の話してたよ?」  そうそう思い出したと、リーンは汚れた指を着物で拭く。  顔をしかめたニケが即行で手ぬぐいを差し出す。 「次。僕の前で、着物で指を拭いたら許しませんよ」 「ニケさん……潔癖症?」  フリーが真似したら困る。  素直に手を拭いて手ぬぐいをニケに返す。買ったばかりなのか、新品の肌触りだった。  リーンは言い訳するように自分の着物を摘まむ。 「気を悪くさせたらごめんな? でも俺の着物すっげえ盗まれる率高くてさ。だから、ちょっとでも汚しておけば盗まれないかなって」 「そんなの何の意味もないですよ」  ずばっと断言するニケに、口を開けたまま固まる。 「な、なんでだよ……? 汚い着物なら誰も盗もうと思わないだろ?」 「はあ……。その程度で諦めるくらいなら、やつらは変態とは呼ばれませんよ。そんなことを気にしないから奴らは変態と呼ばれるのです」  顎に指をかけ、リーンはごくりと唾を飲む。 「……一理あるな」 「ねえ。なんで俺を見ながら言うの?」  ニケも汚れた手を手ぬぐいで拭う。銀杏饅頭は確かに美味かったがニケ好みではなかった。ファイマさんの黒糖饅頭が恋しい。 「おい、フリー」 「はい?」 「お前さん。リーンさんが今みたいに汚した着物は、いらないと思うか? 触りたくないと思うか?」  ニケが指さす夜空の着物を見て、フリーは平然と首を振る 「いや? むしろプレミアがついたと思う」  リーンは頭を抱えて絶望の叫びを上げた。 「ぐああああああっ! 嘘だろ」 「分かりましたか? リーンさんがやっていることは、逆効果なんです」  ぽむっと同情するように少年の肩に手を置く。 「ですから、リーンさんはわざと品を落とすようなことをしないでください」 「くそっ……。変態を舐めていたぜ」 「ねえ? 変態代表みたいな扱いをされた俺には謝らないんですか? 『気を悪くさせたら、ごめんな』って。ねえ?」  変態代表が何か言っていたが無視する。すると、寂しくなったのか開店準備をしていたキミカゲがやってきた。 「リーン君。そろそろ仕事に行く準備しなくていいのかい? ……一生ここにいてもいいけどね?」 「そうだった!」  後半の言葉は聞こえなかったのか、がばっと立ち上がり荷物が積んである部屋へ走っている。くすりばこでは走らない、という張り紙をすべきか。  フリーの隣に腰を下ろす。 「リーン君の家の掃除に行くのかい?」 「はいっ」 「私も行こうかな?」  子どもたちと何かする行事とか好きなんだよね。正月のお餅を丸める作業をちびっ子たちとしたけど、楽しかったなああれ。  掃除用具どこに置いたっけ、とにこにこのキミカゲにふたりは真顔になった。 「後生ですから、ニケとくすりばこに居ててください」 「翁……貴方はご自分を誰だと思っているんですか? 相手の家どころかこの街が消えますよ。地図から。いいんですか?」  項垂れるキミカゲを置いて、ニケを抱っこしたフリーはリーンの元へ行く。 「先輩」 「んー?」  荷物を漁っているリーンは振り返ることなく返事する。 「そろそろ仕事に復帰しますって、ディドールさんに伝えておいてもらえませんか?」  驚いた様子で、ニケまでフリーを見上げる。 「おい。野分の月の前半はまだ暑いぞ? 無理しなくていいって」 「お前さん。無理したら顔面蹴るって言ったの忘れたのか?」  なんかニケさんが怖いことを言ったが、リーンはフリーに「しゃがめ」と畳を指でつつく。こっちが屈んでいるせいか首への負荷がすごい。 「はい」  しゃがんでもでかいな。いや、俺様が痩せたせいで、着実に飯を食っているこいつが大きく感じるだけか。  これ以上差をつけられたらたまらないと、リーンの闘志に火が点く。 「おい。調子乗んなよ。俺様はこれから成長するんだからな」 「はい?」 「油断していると痛い目見るぜ。俺様は二メートルを超える(予定)男だからな!」 「先輩?」 「お前は野分の月の中頃に復帰するって、伝えておいてやるよ!」 「あ、ありがとうございます?」  目を点にして一応頭を下げるフリー。中頃と言ってくれたリーンに、ニケも礼を言いたかった。フリーの腕から下りる。 「あ! なんで下りちゃうの?」 「僕も洗濯物をやらねば……ん?」  すんすんとニケは鼻を動かす。なにやら覚えのあるにおいがする。狼のにおい。 「んむ~」  なにやらむすくれた顔のキミカゲが玄関に移動する。そろそろ外に看板を出しておかなくては。  がらっと戸を開ける。すると眼前に黒羽織の一人が立っていた。  キミカゲは目をぱちくりさせる。 「おや。おはよう、ホクト君」 「おはようござ」  二人が飛びついた。  リーンも近寄っていく。 「ホクトさん」  久しぶりだ。海で世話になった以来か。野郎の顔と名前を覚えるのは至難だが、黒い羽織のおかげで嫌でも記憶に残る。というか、せっかくまた会えたのに白い巨人とニケさんがしがみついているせいでホクトが一割も見えない。ニケさんに至っては顔面にくっついているから、顔が思い出せない。丹狼(たんろう)に抱きつく赤犬族ってレアらしいな。  横を見るとキミカゲが拗ねた顔で頬を膨らませている。  ホクトはくっつき虫共の背をぽんぽんと叩くと、片手を挙げてそのまま喋り出した。 「おはようございます。キミカゲ様。リーンさんも。お久しぶりっす」  寝そうになるゆっくりボイスに、リーンは軽く頭を下げる。 「……お久しぶり、です」 「キミカゲ様。毎年のことですけど、そろそろ「メリネ」が尖龍国に接近してきます。早いうちの避難をお願いするっす」 「あの! 引っ付いているニケさんと一匹が気になって話が入ってこねえよ」  苦情が入ったのでホクトはふたりの着物をぐいぐいと引っ張る。それでも渋る二人の顔を見て、ホクトはアーモンドアイを細めた。 「お変わりないようで、なによりっす」  あと、どさくさに紛れてキミカゲもホクトの背中にくっついている。体温が上昇したのか、ホクトの笑みに汗がにじむ。  ニケはホクトの顔をぺたぺたと触る。 「お久しぶりです。ホクトさんも元気そうですね」 「ミナミ君とはこの前ちょっとだけ会ったけど、ホクト君も調子良さそうだね」 「はあはあ。狼耳……はあはあ。尻尾はあはあ……ちょっと触ってもいでででで! あの、なんで俺だけ遠ざけようとするんですか?」  ホクトに足裏で腹を押されるが、フリーはなかなかにしぶとい。だがようやく黒羽織を掴んでいた指が離れた。勢いでフリーは背中から倒れる。リーンは一瞬受け止めようとしてくれたが、やっぱやめた。 「なぜ?」  万歳状態で仰向けのフリーから疑問の声が上がるが、こいつは甘やかしたら調子に乗るタイプだ。怪我しそうなとき以外は放っておくに限る。  キミカゲを畳に座らせ、その膝の上にニケを置き、ホクトはふうと息をつく。 「あれから眼鏡の調子はどうっすか?」  前髪をかき上げ、白い歯を見せて笑う。  こちらを見ていた犬耳乙女たちがぽっと頬を染めていて、リーンは「会えて嬉しい」気分が失せた。  キミカゲは上機嫌でニケの頭を撫でていたが、「翁の足に負担が……」とニケがさっさと畳に正座してしまったので悲しみから顔を覆う。 「うんうん。おかげさまで。問題ないよ……」  フレームはともかく、レンズは。作る技術も職人もこの国にはいない。なので、キミカゲが頼ったのは甥っ子の子分だった。  壊れた物を復元する魔九来来「修復」。物限定とはいえ、使いようによっては恐ろしい力であるが、それと同時に便利な力でもある。狙われすぎて隠れ住むことも出来ず、噂だけを頼りにオキンの元へ逃げてきたときには身体中は傷だらけ。傷がない皮膚を探すのが難しいほど。雑に巻かれた包帯の下。特に腐りかけた左腕はぶら下がっているだけの肉と化し、もう腕とは呼べないものになっていた。  いまだに他者が恐ろしいらしく、オキン以外には会おうともせず引きこもっていると聞く。開かれない襖の前でオキンが根気よく話しかけ、レンズを直してもらうことが出来た。  フレームはというと、知り合いの細工師にだいぶ無理を言って作り直してもらった。シンプルに見えて眼鏡は二百以上の工程を経て、とても精密に出来ているのだ。これを一人で造ったあいつはなんだったの?  細工師に払ったお金。数か月分の稼ぎが飛んだが、すごく助かった。 「君たちには世話になったね。ありがとう」 「維持隊に修理費請求しても、いいんすよ?」  笑顔なのにホクトの声が怖い。

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