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◇  太陽神が昼を照らし、月神が夜を照らす。  しかしそれはにおいての話。  セイヨウトネリコの大樹(ユグドラシル)に貫かれ、三層に分かれるこの世界では、ロキが暮らすに太陽や月の光は届かない。それらを模してこの地を照らすのは、光の神バルドルの残光だ。  ロキはノロノロと川の流れに逆らいながら、星も月もない空を見上げる。  いつだったか、爺が写本していた本に挿絵があった。そこに描かれた夜空の星は、まるで塗り残したみたいなただの空白だった。  「本物はもっと綺麗だ」と言った爺に、ロキは「見たことがあるのか?」と尋ねたが、爺は誤魔化すみたいに笑ってそのあと何も喋らなくなった。  が暮らすこの土地は、世界の中層の南側に位置しているミッドガルドと呼ばれる場所だ。ミッドガルドは周囲を海に囲まれていて、そこから外には容易に出ることは叶わない。  波が高くて人間の作る船では越えられない、海峡に大蛇が出るなどと、村の噂(盗み聞きだ)で聞いたことがあるが、そもそもこんな田舎には滅多に真実なんて流れてこない。たぶんきっと。  爺は嘘をつくような人ではないが、「本物はもっと綺麗だ」と言ったあれはおそらく冗談か、それとも夢で見たのか、または想像か、きっとそんなところだろう。  とにかく、ミッドガルドに住む人間たちは、などと自虐的な呼び名があるほどに、自力での外界との繋がりをすっかり諦めてしまっているのだ。  上層に暮らすという神族や妖精やドラゴン、それに同じ中層の海の外側に暮らすという巨人族やドワーフ達ですら、ロキにとっては絵物語のようなものだ。  小屋の近くまで辿り着き、ロキは人の姿に戻ってザバリと川から這い上がった。幸い、タークたちはまだ村の方を探しているのか、待ち伏せなどはされていないようだった。  ローブもシャツも、ズボンも靴も全部びしょ濡れだ。水滴がボタボタと地面を濡らした。 「ただいまー」  建て付けが悪く軋む戸をゆっくりと開き、ロキは掠れる程の小さな声で申し訳程度に帰宅を告げた。  ターク達はここまで攫いに来るだろうか。流石に爺の目の前でそんな卑劣なことはしないであろうと思いたい。しかしどちらにしろ、当分家から出られなくなってしまった。  ロキは簡易な(かんぬき)の鍵を閉めると、小屋の中を振り返った。  小屋は部屋と呼べるような区切りはない。ただなんとなく立てられたパーティションで、ここはキッチン、ここは寝室といった具合に仕切られてはいるものの、入り口からほとんど部屋の全てが見渡せる。  ロキが先ほどここを出た時、爺はすでに眠っていたはずだ。しかし今、ベッドの縁にこちらを向いて腰掛ける爺の姿が薄闇に浮かんでいるのに気がついて、ロキは驚き息を呑んだ。 「じ、じいちゃん……! びっくりした、起きたの?」  ロキは靴を脱ぎ、ローブやシャツやズボンを脱いで、キッチンの流しに放り込んだ。  もしかして爺は、夜中にロキの姿が見えないので心配して起きたのかもしれないと期待した。「なんでそんなにびしょ濡れなんだ」とそう聞かれるかと思ったが、爺は何も言わずにただぼんやりと中空を見つめていた。  ロキは「そうだよな」と呟きながら小さく苦笑すると、乾いた衣服に袖を通した。 「ほら、じいちゃん風邪引くよ。早く寝よう」  爺の体をベッドに寝かせて、ロキはその隣に潜り込んだ。小さい頃はこうして一緒に寝ていたが、背丈が爺の胸元くらいまで伸びた頃から、別の寝床で眠っていた。しかし、最近はまた同じベッドで眠るようになったのだ。  爺に毛布をかけてから、ロキは自分の頭を枕に置いて、シミだらけの天井を見上げた。  しばらく村に出られないのでは、食料はどうしよう。それに村に出られたとしても、今あるお金が尽きたら買い物自体ができなくなる。

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