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8-3.

 さらによく見ると、男は剣の他に槌を下げていた。柄と頭の部分に凝った模様が入っている。質感は銅のように見えるが、丁寧に手入れされているのか、表面が光沢を放っていた。 「あんた、大工かなんか?」  ロキが尋ねると、男は意表をつかれたかのように眉を上げた。  ロキは男の腰についた槌を指差す。 「まあ、そんなようなものだ」  男はそう言って口元に穏やかな笑みを作った。 「おまえたちは? 何故あんなところをずぶ濡れで歩いていたんだ」  男の問いに、ロキは答えることを躊躇った。  しかし、助けてもらっておいて、何も答えないのも気が引ける。上手い嘘も思いつかず、結局は正直に「船から落ちてしまって」と答えた。 「船?」  ロキの答えに、男の瞳に一瞬鋭い光が走ったように見えた。 「おまえたち、もしかしてミッドガルドからきたのか?」  ロキはコクリと頷き、傍に置いていたミルクの入ったカップをふたたび手にして顔に近づけた。暖かい湯気が鼻先を濡らした。 「この海峡に船を渡すとなると、その殆どはヨトの巨人族だ」  男の言葉に、またロキは頷いた。 「そう、ヨトの船に乗ってた。だけど途中で大蛇が船を襲って、それで俺たちは海に投げ出された」 「大蛇が巨人族の船を襲った?」  男は顎に手を置き、さすりながら眉を寄せている。 「やっぱり珍しいことなのか?」  ロキは尋ねた。 「まあ、基本的に気の弱いやつだからな、よっぽどのことがない限り自分から巨人族の船に襲いかかったりはしないはずだ」  男は大蛇について詳しいようだ。  そして、この海峡を渡るのはヨトだけだと言い切った点からも、ヨトやこの周辺についてよく知っているのかもしれない。 「しかし、わざわざ密航してまでミッドガルドの外に出ようなんて、いったいおまえたちはどこに行こうというんだ?」  密航したなどとは一言も言っていないのだが、男は勝手にそう思い込んだようだ。  詳しい事情を説明するのも面倒なので、ロキは否定しないでおいた。  男は半ば呆れた様子で腕を組んで首を傾げた。ロキは俯き、男の問いに答える。 「ヴァルハラってとこ」  ロキの言葉に男は眉を上げた。 「そこに、じいちゃんがいるんだ。じいちゃんを迎えに行く」 「ヴァルハラに? おまえのお祖父さんが?」  男は多分本当の祖父のことだと思ったようだが、わざわざ訂正するのも面倒でロキはコクリと頷いた。 「本当に? お祖父さんがヴァルハラにいるのか?」 「うん、そうきいた」 「いったい誰に?」 「それは……ちょっと……」  まさかオーディンの遣いの鴉に聞いたとは言えず、ロキは言葉を濁した。 「あんた、ヴァルハラを知ってるの?」  何故か戸惑った様子の男にロキは尋ねた。 「知っている……というか、俺の目的地もそこだ。俺はもともとヴァルハラからこの地へ来て、今は戻るところなんだ」  男の言葉にロキは目を見開いた。思わず体を乗り出して、前髪が焚き火の炎で燃えかけた。 「本当に⁈」 「あ、ああ、途中やらねばならない仕事があるが、それが済み次第ヴァルハラに戻る」  ロキは鼻息を荒くした。自らの胸に手を当てると興奮で心臓が大きく脈打っている。   「つ、ついて行ってもいい⁈ 俺たち、正確な場所を知らないんだ!」  男は興奮気味のロキの態度に気圧されたように身を引いて瞬いている。少しとまどった様子を見せつつも「まあ、構わないが……」と答えた。 「一つ聞いてもいいか。ヴァルハラにいるという君のお祖父さんは一体何者だ?」 「え? 何者って……ただのじいさんだけど? ちょっとボケてる」  ロキはそう答えてミルクを啜った。 「名前は?」 「名前? じいちゃんの……名前? は、知らない。じいちゃんはじいちゃんだし」  男はロキの言葉に少々納得いかないと言った様子で眉を寄せたが、ロキは本当に爺の名前を知らないので仕方ない。  男はしばらく考え込むように顎に手を当て唸っていた。 「ロキ……?」  不意に背後からか細い声が聞こえ、ロキは勢いよく振り返る。ぐっと眉を寄せながら、フェンが身じろいでいる。 「フェン! 起きたのか⁈」  ロキがフェンの肩を揺り動かすと、フェンはゆっくりと瞼を持ち上げた。 「口がしょっぱい、喉かわいた……」  そう言って、渋い顔をしたフェンを見て、ロキは安堵し息を吐いた。  ロキはフェンの背中に手を当てて体を起こしてやると、飲みかけのミルクの入ったカップをフェンに手渡した。  何故か狼のくせに猫舌らしいフェンは、何度も息を吹きかけた後に、ずるずるとミルクを啜って心底安心したかのように深く息を吐いた。 「ロキ……」  不意に低い声に名を呼ばれ、ロキは振り向いた。  呼んだのは炎の向こうの茶色い髪の男だ。ロキが、首を傾げると、男は取り繕うように笑顔を見せた。 「そう言えばまだ名乗っていなかったな」 「あ、そ、そうだった! 俺はロキ、そんで、こいつがフェン……ていうか、お礼もまだった! 助けてくれてありがとう!」  ロキはそう言って、座ったまま深く頭を下げた。  まだあまり状況が掴めていない様子のフェンも、隣で頭を下げている。 「俺の名はトールだ」  男は名乗ると徐に立ち上がり、ロキの前に屈んだ。こちらを覗き込む瞳の色は炎と混ざり赤茶けている。  トールが差し出したその手を、ロキは両手でしかと握った。

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