68 / 155

10-2.

 呼吸が楽になった途端、ロキはヴァクに縋るように体を持ち上げ、訴えた。 「頼む! あの場所に戻してくれ! フェンが雪に埋まってるんだ! 助けに行かなきゃっ!」  ヴァクはロキの体を支えて座らせると、手足を縛った縄を解いた。 「あの犬っころ、一緒だったのか」  フェンの人間の姿をヴァクは見たことがない。今もまだ、ただの犬だと思っているのだろう。 「そう、だから、助けに行かなきゃ!」  立ちあがろうとしたロキの腕をヴァクが掴んだ。 「どのみちこんなに時間が経ったんじゃ助からねえ」 「そ、そんな……」 「あきらめろ」  ロキは奥歯を噛んで、ヴァクの体を押した。しかし、ロキの力ではヴァクの体はびくともしない。  ヴァクはロキの抵抗などさして気にも留めない様子で、持ってきた清潔そうな布をロキの額の横に押し当てた。  ピリッとした痛みが走り、ロキは先ほど雪に落ちた自分の鮮血を思い出した。怪我をして血が流れていたようだが、痛み具合からして多分擦りむいた程度だ。大した怪我ではない。 「離せ! 俺はいく!」  声を荒げたロキの顎をヴァクの大きな手が鷲掴んだ。 「てめえ、立場わかってんのか?」  ヴァクは目を細め、眉を寄せた。縄を解いたが、ここから出すつもりはないようだ。 「おまえはオメガだ。ここから出すわけにはいかねえ」 「何故……」  ロキが漠然と問うと、ヴァクは小馬鹿にするように笑った。 「ミッドガルドの籠の鳥はほんとに何も知らねえのか。巨人族はオーディンらアース神族のせいで上層を追われたんだ。おまけに、奴らのせいで朝がこず、冬も明けず、女が生まれなくなった」    朝が来ない、冬が明けない、女が生まれなくなった。トールから聞いた通りだ。  そして、ヨトとオーディンらとの拗れた関係も事実のようで、この黄昏を引き起こす事態が全てオーディンらのせいだとヨトは考えているようだ。 「近いうち、巨人族(俺たち)は上層を取り戻してオーディンを冥界に突き落とす。だから、オーディンに力をつけてもらっちゃ困る。オーディンの器を創るお前を、巨人族(俺たち)が野放しにするわけにはいかない」  ヴァクはロキを解放すれば、またオーディンの遣いがオメガを回収しにくると言いたいらしい。 「おまえに残されている道は二つだけだ」  ヴァクが顔を寄せる。ロキの眼前で焔の瞳がギラリと光った。 「ここで殺されるか、俺の子を産むか」  ロキは喉奥に唾を押し込み、顎を抑えたヴァクの手を掴み返した。しかし非力な抵抗にヴァクはただ嘲笑を返す。 「どっちもごめんだ」  ロキが唸るように答えると、ヴァクは舌打ちをしながらロキの顎を解放した。 「どのみち決めるのはおまえじゃねえ」  そう言いながら立ち上がると、ヴァクは牢の外に出た。また扉を閉ざし、鍵をかけている。 「どこ行くんだよ! 出せって!」  ロキは格子にしがみついた。鉄製のそれは氷のように冷えていて、皮膚に触れると痛むほどだった。 「わりぃな、今夜はオヤジの誕生日パーティーなんだよ」 「ふ、ふざけんなっ! 出せっ!」 ――ガシャンッ!  ヴァクが格子を踏みつけるように蹴ると、大きな音が響き渡った。 「ふざけてねぇよ、おまえの相手はパーティーが終わったらたっぷりしてやっから、いい子に待ってろ」  ちょうどそこへ、通路の奥から武装した巨人族の男が一人やってきた。何やら焦った様子でヴァクに耳打ちすると、二人してさっさとその場を去っていった。  ロキは暗い穴の奥の冷たい牢屋に一人取り残された。ここはメインの通路と壁の材質が違うのか、格子の向こうに掲げられた一本の松明だけがこの場を照らしている。  寒さで体がぶるりと震えて、ロキは膝を抱えて座り込んだ。きっと外はもっと寒いはずだ。フェンは凍えているに違いない。  あいつは体温が高いけど、いつもくっついてくるから、きっと寒がりなんだ。  そう思ったら胸が苦しくなった。

ともだちにシェアしよう!