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14-10.
見た目ほど遠くはない、されど長い長い階段を登りしばらく立つと、ロキは顔を上げる気力も失せるほどに疲弊した。
数えるのをやめてからさらに数十段を登ったところで、頭の上に階段を踏み締める気配があった。
ロキは顔を上げる。驚くことに、いつのまにか神殿があと十数段先まで迫っていた。
鳥獣や植物の紋様が彫り込まれた石の壁には等間隔に円形の柱が埋まっていて、その開かれた中心部は上部がアーチ状に切り取られている。
その手前に、一人の男が立っていた。
黒皮のブーツに白い長衣、さらにその上から銀の飾りの施された真っ黒なローブを羽織ったその男の顔をロキは知っていた。
「トール……生きてたのか……!」
トールは船から落ちて海岸に流れ着いたロキとフェンを助けた男だ。ヨトの村で雪崩に巻き込まれたと思っていたが、今目の前に確かにその男は立っている。
茶色い髪を額から後方に撫でつけ、衣服の上からでもわかる穏やか熊を彷彿とさせるような肉体は相変わらずだ。ただ、今は繊細な作りの衣服に身を包んでいるからなのか、あの時よりも親しみやすさが薄らいでいる。
トールは当初からヴァルハラに行くのだと言っていた。そしてオーディンが主人であり、彼のために彼がヨトに落としたグングニルの槍を回収しにきたと。
ロキは自らオーディンに身を差し出すことを決めたものの、一時は自分を欺きオーディンの元に連れて行こうとしたトールに、無意識に身構えて足を止めた。
「豊穣の女神レイヤ、よくぞまいった」
トールはロキに一瞥をくれたのち、それよりも優先すべきことを選んだようだ。ロキの隣に立つレイヤに向かって、おだやかな表情を向けた。
ロキはトールの言葉で、レイヤもまた神であり、このアースガルドが神の住まう地であることを改めて思い出した。
「お久しぶりです、先だっての知らせは届いたかしら?」
「つい今しがた受け取った。迎えを出せず、悪かったな」
どうやらレイヤは先に知らせを送っていたようだ。それを受けて、トールはここでロキらを出迎えたのだろう。
「生きていたのだな、ロキ。ヴァルハラはオメガを歓迎する」
トールはロキにも笑顔を向けたが、その声の調子はレイヤに対するものと少し違った。
ロキを蔑んでいるわけではなく、レイヤを敬っているようだ。トールとレイヤ、二人の関係性はわからないが、レイヤの出自が元はヴァン神族であることが関係しているのかもしれない。このアースガルドに住まうトールたちアース神族にとって、レイヤは身内ではなく「お客様」といったところだろうか。
「トールとロキは元々知り合いだったの?」
二人のやりとりを見て、レイヤが驚いたようにそう尋ねた。
「うん、中層で……まあ、助けてもらったことがあって」
説明が長くなりそうで、ロキはそれだけ言って言葉を止めた。
「女神レイヤ、ここまでオメガを送り届けてくれたこと、感謝する」
トールはそう言って胸に手を当て恭しく頭を下げた。
「中まで一緒に行くわ」
レイヤはそう言ったが、トールは首を振った。
「いや、あとはこちらで引き受けよう」
「しかし……」
レイヤの言葉を、ロキはその肩に手を置いて制した。
「レイヤ、大丈夫だよ。あとはひとりで行ける」
ロキの言葉にレイヤは心配そうな表情を見せた。しかし、ロキが身を屈めて小さなレイヤの手を握り「ありがとう」とおだやかに言うと、レイヤは頷きながらロキの手を握り返した。
「ロキ、フェンだけじゃない。私たちも、あなたが戻るのを待ってるわ」
そう言って、レイヤはロキに体を寄せてハグをするとその頬に小さく口付けた。
豊穣の女神をその場に残し、ロキはトールの後に続いて門を潜った。
入り口に向かって長方形の石畳が敷き詰められ、隙間に苔を蓄えている。神殿を取り囲むように繁茂した緑は、まるで外界を拒むかのようだ。
装飾の施された白大理石の柱が高い天井を支えている。こんなに太陽に近い場所にあるというのに、この先にあるのはひどく空虚で寂しい場所に感じられた。それは、きっとロキ自身の心持ちのせいだろう。
ひとつ深く息を吐いてから、視線を真っ直ぐ持ち上げて、ロキはついにヴァルハラに足を踏み入れた。
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