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14-9.

◇  太陽が真上を通り過ぎてからまたしばらく経った。悠々と枝葉を広げたユグドラシルの大樹に纏わりついた雲が光芒を放ち、空気が湿り気をはらんでいる。雨が降るのだろうか。ロキは屋根のない馬車の背もたれにぼんやりと体を預けたまま、鼻から深く息を吸い込んだ。 「結局、何も言わずに出てきたのね」  隣で静かにそう言ったのはレイヤだ。昨夜と同じく、首元にリボンのついたローブを着ている。 「言ったさ。昨日、ちゃんと話した」  ロキはそう言って乾いた笑いを浮かべながら、昨夜から眠りにつけないまま、ヒリヒリと痛む目頭を抑えた。瞼を閉じるとじわりと疲れを感じるのに意識は覚醒したままだ。最高神の神殿に向かう途中で居眠りできるほど、ロキの神経は図太くはないらしい。 「でも、起きる前にでてきちゃったでしょう?」 「うん、起きてたら、また噛みついて引き止めようとするかもしれないし」  言いながら、ロキは内心でそうじゃないなと自嘲した。何よりも自分が離れがたくて、顔を見て話せば気持ちが揺らぐと思ったからだ。 「そうだ、レイヤ。これ、持っててくれない?」  そう言って、ロキはカバンの中から薬の瓶をとりだした。ピンクの粒が入ったそれは、ウテナの街でガイドから受け取ったものだ。  オメガの香りを抑えるものだといっていたが、確か無意味に孕むことも防ぐとも言っていたはずだ。ロキは今朝方この薬を飲み、それを最後に手放すことを決めていた。  レイヤは一瞬これは何かと尋ねようとした様子だったが、ロキの表情を見ると、黙ったままそれを受け取った。 「見えてきたわ、あれがヴァルハラよ」  レイヤの声を合図にしたかのように、御者が青馬に鞭打った。  ロキはレイヤの指差した方に顔を上げる。  山間からようやくのぞいた神殿は切り立った崖の上からこちらを見下ろしていた。壁に施された厳しい装飾が影を落とし、その向こうにはスレートの三角屋根がいくつも天高く伸びていた。しかし、巨大であろう神殿の全景がまだうかがえるほど、それはずいぶんと遠くにあるように思えた。 「あんな崖の上、どうやって登るんだ?」  ロキのその疑問の答えは、まもなく目の前に現れた。  馬車が止まったのは、道の先に突然現れた円柱で組まれた巨大な門の前だった。門といっても扉はない。ただここが入り口だと示すためだけに建てられているようだ。  どうやら馬で進めるのはここまでのようだ。レイヤに続いて、ロキは馬車から降りた。  レイヤは御者にここで待つように告げると、門の中へとロキを誘った。  その先に広がった光景に、ロキは驚き目を見張った。  柔らかな草の生える原野が広がり、そこに四周に大きな柱を巡らせたガゼボがあった。ロキが一歩進むと脇に置かれたビオトープから小鳥が数羽逃げるように飛び立っていく。その小さな翼がはためくはるか先まで、白亜の階段が伸びていた。 「まさか、これ、登るの?」  階段は数十人が横並びに歩けるであろうほどに幅が広く、両脇にしっかりとした欄干が取り付けられている。湾曲しながら緩やかに登るそのはるか先には、霧の中に霞む白大理石の神殿があった。 「大丈夫よ、見た目ほど……遠くはないわ」  もし今レイヤに「私はここで」と言われたら心細いことこのうえなかったが、どうやらレイヤはこの階段を一緒に登ってくれるつもりらしい。  呆然としていたロキの背中を、「さあ、行きましょう」とレイヤが押した。

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