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18-5.

 バランスを崩したのか、どたりと物音がして、ロキの手から尻尾の感触が滑り落ちていく。しかし、すぐに体勢を立て直したのか、フェンはまたロキの手のひらに頭を擦り付けた。  生暖かく湿った舌がベロベロとロキの掌を舐める。やがて、それは躊躇いながらも、手首に巻かれた包帯に触れた。 「フゥンッ……」 「え? あぁ、大丈夫だよ。ちょっと熱いスープを溢しちゃってさぁ」 「フンフン……」 「そうだ! 神殿の料理すごいんだぞ? 分厚い牛のステーキが出てさっ!」 「ハフゥンッ!」 「フェン、牛食べたがってたもんな? ちょっとボリュームが凄くて俺は食べきれなかったんだけど、フェンなら楽勝かも」 「バゥフゥンッ……」  ロキは腕を入れた穴の隙間を覗き込む。鼻先や三角の耳がかすかに見えている。  必死に腕を伸ばすと、フェンが鼻でロキの指先を突いた。 「フゥンッ……」  鼻の頭を撫でてやる。ここを撫でられるのも、フェンは好きだったはずだ。 「ふふっ……フェン、鼻すごい湿ってるぞ? いや、待て、びしょびしょじゃないか、鼻水かこれ? お前泣いてんの?」 「フンフゥン……」 「もぉー、汚いなー! 泣くなよ、バカ。 大丈夫だって、うまくいってるから、もうすぐ帰れる」 「フゥン……」 「絶対、帰るから。すぐだよ、すぐ。お土産にでっかいステーキ持って帰ってやるからさ、レイヤとフレイとみんなでパーティーしような?」  しばし続いた月夜の逢瀬を、終える時がきたようだ。  レイヤがロキの肩に手を置き、フレイが静かに「二人とも、そろそろ……」と壁の向こうで呟いた。 「アフゥン!」  駄々を捏ねるみたいに鳴いたフェンが、前足を壁に擦り付ける音がした。 「フェン、あんまり長くいると気づかれるから……」  ロキはそう言って嗜めると、伸ばした手でビシャビシャに濡れたフェンの鼻を撫でてやる。  「行くぞフェン」とフレイが言うと、名残惜しげな温もりが、ロキの手から離れていった。  最後に尻尾に触れられないものかと、ロキは手を伸ばしてみるのだが、それは何にも触れることなく空を切り、地面を踏み締める足音がどんどんと遠ざかっていく。 「フェン? ……フェン? もう行っちゃったか? 見つからないように気をつけろよ、フェン?」  不恰好な鳴き声も、忙しない息遣いももう聞こえなかった。  レイヤがロキの背中をさする。ロキはゆっくりと穴から手を引き抜いた。 「フェン……?」  壁越しに足音が遠のいていった方に、もう一度呼びかける。しかし、もう応える声はない。 「フェン……ッ……フェン……?」  どうしても名残惜しくて、ロキはまた穴に腕を通して呼びかけた。温もりを辿る手のひらは空を切り、名前を呼ぶ声は神殿の夜に溶けていく。 「フェン……ぅっ……ううっ……フェン……い、いかっ……行かないで……フェン……」   きっともう聞こえていないとわかっている。だからこそ、ロキはその言葉を口にしたのだ。その場で縋るように何度も名前を呼び、やがて地面に座り込んで膝を抱えた。  洟を啜り、手の甲で目元を擦るが、涙も鼻水もどんどんこぼれ落ちてくる。 「ロキ、これ使って……」  レイヤが差し出したハンカチを受け取ると、ロキは深く鼻から息を吸い込んだ。  手のひらはフェンの鼻水でぐしゃぐしゃだ。ロキはそれを見ながら、息を漏らすように笑った。 「ごめんなさい、かえって辛い気持ちにさせてしまったかしら」  レイヤの問いに、ロキは強く首を振った。 「ちがっ、違う……大丈夫……、ありがとうレイヤ……ありがとう……」  声を震わせたロキの隣にレイヤがそっと寄り添った。  ロキは強く瞼を閉じて、溢れ出した涙をハンカチに押しつけ、ぐっと唇を結んだ。まだ震えるその肩をレイヤの温かい手が優しく撫でた。

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