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20-10.

 バルドルとはフェンリルの部屋の出口で分かれ、ロキは神殿の二階にあるテラスから、鶫になって飛び立った。  籐のカゴの持ち手を足で掴むがなかなかバランスが難しい。必死に翼を動かし、ようやく風を掴んだところで体勢が安定した。このまま城壁を越えて東方へ向かう。朝日が登る場所だ。帰りは夕陽の落ちる方向、ユグドラシルを右前に見るのだとバルドルに教えられていた。  よし、とロキが意気込み、風を切っていた翼をもう一度羽ばたかせた瞬間。何かの衝撃が足元に走り、体が大きくぐらついた。  驚きロキが視線を落とすと、籐のカゴに弓矢が突き刺さっている。幸い上手く中心を外れフェンリルは穏やかに眠っているが、もう一本放たれた矢がロキの翼の脇を掠めた。  慌てて軌道を辿るとまたもう一本、今度は籐のカゴの持ち手部分を貫いた。片側が壊れて、籠は支えを失い傾いた。中に引いていたお包みごと、フェンリルの体が滑り落ちる。  ロキは息を呑み、ほとんど反射的に籐籠を捨てると、嘴を真下に向けて急降下した。中空でその姿を人に戻して、両手でお包みを抱き止める。 「いってて……」  幸いにも、ロキが落ちたのは神殿の低木の上だ。それが緩衝材がわりになり、尻は痛んだがすぐに立ち上がることができた。腕に抱き留めたフェンリルも無傷なようで、驚いたことにまだすやすやと眠っている。 「どこに行こうというんだい、ロキ? フェンリルを連れて」  声の方向へロキは顔を上げた。  そこに立っていたのはミーミルだ。  真っ白な長衣に身を包み、金の髪を垂らした彼の背後には、ずらりと神殿に支える神々が並んでいた。幾人かは弓を構えていて、どうやら彼らがロキ目掛けて矢を放ったようだ。 「ミーミル! 見逃してくれ、これには事情があるんだ!」  ロキはフェンリルを守るかのように抱きしめながら、一歩後ずさった。  走って逃げるには城壁の扉は遠い。それに、仮に扉から出られたとしても、その道は真っ白な階段一つだけ、巻くこともできず、フェンリルを抱いたままではすぐに追いつかれるだろう。 「事情? はて、いったいどんな?」  ミーミルは穏やかな笑みを見せながら、自らの首の縫い後を撫でた。いつもの彼と変わらぬ様子に、ロキはどこか安堵する。 「じ、実は……」  ロキは語りかけて、言葉を止める。  叡智の賢者ミーミルは人格者でロキの考えを受け入れてくれる可能性はある。しかし、彼の背後に並んだ神々は突然矢を放つような者たちだ。彼らに聞かれたくないと示すように、ロキがミーミルに目配せをすると、ミーミルはゆっくりとした足取りで一人ロキに歩み寄った。 「ミーミル、あの……」 「知ってるよ」 「へ?」  ミーミルは囁くようにロキの耳元に口を寄せた。 「バルドルの予言……黄昏を知ってる」 「あ……も、もしかして、聞いてたのか?!」  ロキの部屋でバルドルと話をした時、部屋のドアは開いていた。バルドルは声がでかいし、ミーミルは廊下でその声を聞いていたのかもしれない。  そのロキの問いに、ミーミルは静かに頷いた。 「あ、じゃ、じゃあ、ミーミル、協力してくれ! 俺はオーディンもフェンリルも失いたくないんだ! とにかくフェンリルを逃して、その後で黄昏を防ぐ手立てを……うぐっ!」  突然、ロキはミーミルに胸ぐらを掴み上げられた。 「なっ……にっ、ミーミル……」  呻きながら、ロキはミーミルを睨みつけた。 「ダメだよ、止めちゃダメだ、黄昏を」 「……は?」  ミーミルはロキ以外の誰にも聞こえないほどの声量で言葉を続ける。 「フェンリルはわたさない。この子には役目があるからね? そして、お前は……用無しだ」 「あ、なっ!」  ロキの体を突き飛ばし、ミーミルは腕から小さなフェンリルを奪うように抱き上げると、身を翻しながら背後の神々を振り返った。 「なんて馬鹿なことを言うのだロキ! 器を連れ去ろうなどとは!」  そのミーミルの叫ぶ声に、ロキは驚き一瞬言葉を失った。 「嘆かわしい! 主神オーディンの寵愛を受けておきながら、主を裏切るつもりか!」  ミーミルの芝居は続く。 「ちがう! 俺はオーディンを裏切ろうなんて思ってない!」  ロキは叫び、ミーミルに奪われたフェンリルを取り戻そうと手を伸ばした。しかし、その体は駆け寄ってきた神々によって取り押さえられてしまう。 「離せっ! 誤解だ! 俺はオーディンもフェンリルも両方助ける方法をっ……!!」  もがき抵抗したロキの後頭部に衝撃が走った。  誰かが殴りつけたようだ。言葉を失ったロキの視界はぐらぐらと揺れ、直後体が脱力した。 「拘束しろ」 と誰かの声が聞こえたが、抵抗もできないまま、ロキの意識はゆっくりと遠のいていった。

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