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24-5.(最終話)

「ねぇ、ロキ、ヨルム」  黙っていたフェンが、二人に呼びかけロキの肩に手を置いた。  ロキとヨルムは顔を上げる。 「俺もね、みたよ。みんなの記憶。それでさ、俺の中にオーディンいたでしょ? ……あ、いたんだよ、少しの間」  詳しく状況を知らないヨルムに言い聞かせるように、フェンは言葉を選んでいるようだった。 「その時にね、話したんだ、オーディンと、少しだけ」 「えっ⁈」  初めて聞くその話に、ロキは思わず声を上げた。 「言ってたよ。オーディンも、ヴァルハラに行くって」 「……ヴァルハラ……に……」 「うん、オーディンも、俺たちと一緒に、じいちゃんの記憶を見てたんだ。あの時じいちゃんが何を考えていたのか、オーディンも知ったはず。だから、じいちゃんに会いに行くって言ってたよ」  フェンはそう言うと穏やかな笑みで、風に靡いて乱れたロキの前髪を掻き分けた。 「そう……そうか……オーディン……じいちゃんに会いに行ったんだ……」 「それって、ロキはオーディンと一緒ってこと? 一人じゃないってこと? 大好きなオーディンと一緒ってことなの?」  ヨルムが必死にフェンに尋ね、フェンはその言葉に頷いた。  ヨルムはまんまるの黄色い目からぼろぼろと大きな涙の粒を海面に落とした。体に対して慎ましい鼻の穴からは鼻水までこぼれ落ちている。 「あぁ……ぁぁぁぁ……よかった……よかったぁ……ロキ、ロキィ……よかったねぇ……ロキィ……」  泣きじゃくるヨルムを見て、ロキもとうとう堪えきれなくなった。顔をくしゃくしゃにしながら、子供のように声を上げ、憚ることなく涙と鼻水を垂らしながら、ロキは両手でヨルムの顔にしがみついた。 「よかったなぁ、じいちゃん……よかったぁ……」 「うぅ……よかっ、よかったぁ……ロキッ……ロキィ……会いたい、会いたいよぅっ……ロキィ……会いたいー……」 「俺も、俺も会いたい……じいちゃん……会いたいよぉ……」  ぐずぐずと泣きながら、ロキとヨルムは嗚咽した。   同じ人を想って涙する二人を、フェンは静かに見守っている。  波は穏やかだった。この水音を、潮の香りを、ザラリとしたヨルムの皮膚の感触を、ロキは知っている気がした。あの時、フェンと共に爺の胸に抱かれながら、ロキはヨルムに乗ってこの海を渡ったのだ。 「フェン、ありがとうな」  ヨルムと別れ、ヨトに戻る途中、船首に並んで腰掛けたフェンにロキは言った。 「ヨルムに会いに行こうって言ってくれて」  ロキの言葉にフェンは静かに頷いた。 「俺、多分ずっと……こうして誰かとじいちゃんのこと話したかった。じいちゃんを知っていて、じいちゃんのことを大好きな誰かと、こうやって話して、一緒に泣きたかったんだと思う」  爺の死を知ってから、随分経ってしまった。  その間ずっとロキの中に燻っていた何かが、今日ヨルムと共に爺を悼んで、思う存分泣いたことでいくらか浄化されたような気がする。 「まだ、悲しいし……寂しいけどね」  そう言ってまた流れそうだった涙をロキは深呼吸で誤魔化した。 「さぁて、これからどうする? 神殿に戻るか、それともフレイやレイヤのところで世話になる? 二人は大歓迎だって言ってたけど」  ロキは気持ちを切り替えるように、満面の笑みを作って隣に座るフェンの顔を覗き込んだ。  風が二人の髪を強く撫でるが、衣服の隙間を通るその感覚は心地よい。 「あのさ、ロキ、考えてたことがあるんだけど」 「ん? なに?」  フェンがロキの手に自らの手を重ねた。 「一緒にヴァルハラを探さない?」 「えっ……だって、ヴァルハラは……」  ロキの答えを遮るようにフェンはゆっくりと首を横に振った。 「まだ探してない場所いっぱいあるでしょ? アースガルドも、フレイ達のところや神殿の周辺以外はほとんど見てない、ユグドラシルより北側には足を踏み入れたこともないでしょう?」 「そう、だな……」 「それに、中層も広いよ。スヴェルトにも行ってないし、三角帽子のドワーフにも会ってない」 「おまえ、スヴェルトに行ったら素揚げにされるぞ?」 「うっ……それは、狼にならないように気をつける」  ロキとフェンは顔を近づけ鼻頭を擦り付けあって、お互いの言葉を笑い飛ばした。 「とにかく、俺はロキと色んなところに行きたい。そしたらいつか、ヴァルハラにも辿り着けるよ、一緒に!」 「……そうだな」  ロキは微笑み、重ねられたフェンの手のひらを強く握り返した。 「一緒に探そうか」  海風に揺らめく、真っ白なフェンの髪。ロキは無意識にもう一方の手を伸ばし、その柔らかな糸を指に絡める。  フェンは目元をゆるりと細め、ロキの手元に頬を擦り付けた。唐突に込み上げた愛しさで、ロキは胸を熱くした。  この頃よく思うのだ。神の予言などに翻弄され、失ったものも確かにあった。しかし、それがなければ、ロキとフェンは出会うことすらなかったのかも知れない。  黄昏を運ぶとされていた、神様の器フェンリルとオメガのロキ。しかし、二人が神殿に運び込んだのは、終末ではなくバルドルが残した世界を照らす光だった。  どれもこれも、神が予見し、定められた運命で、結局二人は出会うべくして出会ったのかも知れないし、この先の旅路ですら、すでに結末の決まった物語なのかも知れない。  だけど、そんなことはどうでも良い。  今この手のひらのにある愛しい体温と共に行く道程が、ロキにとっては何よりも尊いものだから。  確かな思いを抱き、ロキは潮風に紛れて、フェンの唇に口付けた。  言葉にはしなかったけれど、ロキは思う―― 君と一緒なら その旅は、とても楽しいに違いない。 おわり

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