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24-4.

 帆船の船首に立ち、ロキは体いっぱいに光を浴び海風を受けた。  あの時は新鮮だった潮の香りが、今となっては懐かしい。  ミッドガルドを取り囲む海峡にヴァクが出してくれた船は、初めて乗った大船よりも随分小ぶりに感じられるが、それでも五十人の巨人族が裕に運べる大きさだそうだ。 「まあ、あの時の船が怪物並みにデカかっただけで、普通はこんなもんだ」  甲板に置かれた木箱に腰掛け、海を眺めながらヴァクが言った。  船端には何人かの巨人族が並び釣り糸を垂らしていた。食料調達のために漁にでるというこの船に、ロキとフェンは同乗させてもらったのだ。  目的は海釣りを楽しむためでも、ミッドガルドに送り届けてもらうことでもない。 「あ、いたっ! あそこだ!」  フェンが船端から身を乗り出して遠くの方を指差した。 「えっ、どこ?」 「ほら、あそこ! 黄色いのが二つ!」 「あっ! 本当だ!」  暗い海では目立つ瞳も、明るい海では水面に反射する光に紛れるようだ。しかし確かに、まんまるの黄色い瞳が二つ、様子を伺うようにこちらを見つめている。 「おーい! こっち! こっち来てくれよー!」  ロキが両手をあげて何度も飛び跳ねると、フェンも同じように飛び跳ねた。  やがて海面がむくりと大きな山を作り、まんまるの黄色い瞳が持ち上がる。随分遠くでのことなのに、大きな波が船体をぐらぐらと揺らした。  山から海水が流れ落ち、姿を現したのはミッドガルドの大蛇の大きな頭。ロキは記憶の夢で見た彼の名前をフェンと共に呼んだ。 「「ヨルムー!」」  ヨルムはゆっくりゆっくりロキたちの船に近づいてきた。  巨人族に怯え、そして船をひっくり返してしまわないかと不安がっている様子だった。ようやくその顔が船のすぐ横に寄せられるまで随分と時間がかかった。 「オメガの赤ちゃんと、フェンリル……」  大きな体なのに、ヨルムの声は控えめだ。 「そうだよ、ヨルム。君に会いに来たんだ」  ロキはうんと背伸びをしながら、ヨルムの頭に手を伸ばした。ヨルムは恐る恐る首を下げて、ヨルムにしてみたら小さなロキの手に触れる。 「赤ちゃん、可愛いなぁ……まだこんなに小さい」  冗談なのか本気なのか、ヨルムの言葉にロキは笑った。 「ヨルム、君に話すことがあってきたんだ」 「話すこと?」  ヨルムは赤ん坊のロキたちをミッドガルドに送り届けてからずっと、この海で過ごしていたはずだ。  あの時、彼にとっては怖いはずの巨人族の船を襲ったのは、きっとオメガの赤子やフェンリルを外に出してはいけないと思ったからだろう。  その後上層で起こったことを何も知らないであろうヨルムに、ロキはこれまでのことを話して聞かせた。     黄昏は終わり、世界が光を取り戻した。そして…… 「ロキはヴァルハラへ行ってしまったの……?」  ヨルムの言葉に、ロキは頷いた。  ぐっと目を伏せたヨルムは、先割れの舌で数回チロチロと海面を舐めた。 「俺、じいちゃんのこと何も知らなくて。じいちゃんが前のロキだっていうのも、記憶を見せてもらって初めて知ったんだ。それで、じいちゃんだけじゃなくて、ヨルムも俺やフェンのことを守ろうとしてくれたって……ありがとう、ヨルム」  ロキはまた手を伸ばし、俯いたヨルムの鼻を撫でた。 「そっか、ロキ……ヴァルハラへ……行ってしまったの……オーディンとも、僕やヘルとも会えないまま……」 「うんっ……」  ロキの胸元が締め付けられていく。

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