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第1話 プロローグ

 横澤聖(よこざわひじり)が最初に肉体の変化を感じたのは、高一の夏休みが終わった頃だった。  Tシャツの胸回りがピッタリしてきたように感じたのだ。  そういえば、二の腕も少し太くなった気がする。  高校に上がってから始めた、ディップスやチンニングといった少し本格的な筋トレの効果が出てきたのだと嬉しく思った。  とにかく、少しでも男らしくなりたかった。  身体が小さくて、女顔なのがコンプレックスだったからだ。  女子にはそれなりの人気があったが、付き合いたいとかじゃない。  マスコットキャラクター的な人気だ。  聖は、それが悔しかった。  何とかそんな立場から脱却しようと始めた筋トレで、効果を感じれば嬉しいのは当然だった。  それなのに、である。  体育の授業前に着替えていると、水島秀平(みずしましゅうへい)のヤツがこう言いやがった。 「聖くんさぁ、なんか女らしさに磨きかかってない?」  当然ムキになって反論する。 「そんな筈ネェよ。オレがどんだけ筋トレ頑張ってるって思ってんの?」  コンプレックスから意識して乱暴な言葉遣いをしている聖だが、それが背伸びしているようで、むしろ愛らしく見えている事に本人は気付いていない。 「そうか、ゴメンな。じゃあ、お尻が丸くなったのも筋肉か」 「お尻? 丸くなった?」 「うん、丸くなった。腰もくびれてさ、ボク、聖くんなら男でも全然イケると思う」 「ヤメロ! 気持ち悪い」  口では言ったが、内心ドキドキする。 「ハハハ、だって好きなんだもん」  秀平は、笑いながらシャツを脱いだ。  無駄な肉が一切無い、彫刻の様な肉体。170センチの身長は、体操選手としては大柄だ。  そんな秀平の裸を見て、聖は胸の鼓動が止まらない。耳まで熱くなるのを感じる。  それを見て、秀平が言った。 「まあまあ、そんなに耳まで真っ赤にして怒んなくても」  聖はますますムキになる。 「じゃあ、謝れよ」 「ゴメンゴメン」 「あ。二回謝るのは、反省してない証拠だぞ!」  そう言いながら、自分の脚とほぼ同じ太さの秀平のたくましい腕から、聖は目を離せなかった。  いつもそうだ。  聖に「好きだ」と、秀平は事もなげに言う。  女のように抱けるとまで……。  それが聖には信じられない。  秀平へのこの思いは恋ではないと、自分はゲイではないと、どれほど自分自身に言い訳していることか。 ——秀平は、本当はオレなんか好きじゃないんだ。だから、あんなに気安く「好き」なんて言えるんだ。  聖は思う。  戸惑い、不安、葛藤、そして手探りで暗闇を進むような恐怖。  残酷な日々は、いつまでも続くように思えた。  聖のパスを秀平が受け、そのままスリーポイントシュートを決めた。  ハイタッチする二人を見て、クラスの女子バスケ部員が、クラス委員長の八木沙奈恵(やぎさなえ)に話しかける。 「水島くんと横澤くんって、息ピッタリよね。バスケ部だって、あのコンビネーションはなかなか難しいよ」  八木の分厚いメガネの奥にある目がキラリと光った。 「あの二人を見守れる幸運を、私たちは感謝しないといけないと思うの」 「ハハハ、感謝って、たかが体育の授業に大ゲサな……」  他愛ない冗談だと思った女子バスケ部員だったが、委員長の目が予想外にマジだったので、言葉を途中で飲み込む。  八木の胸には、密かに光の腐女子としての責務が芽生えていたのだった。 ——聖くん、秀平くん、あなた達の未来へは、私が導く!

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