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待ち合わせ場所に現れた姿を見て、永嶋は一瞬目を疑った。
胡南だった。
ブルーの半袖シャツにチノパンで、布鞄を斜めがけにしている。これからライブを見に行く服装にしては少し、間が抜けている。でもそういうところを、永嶋はかわいいと思う。
いや、そうじゃなくて。
「……松本は?」
目の前に立つ胡南に、永嶋は訊いた。
めずらしく、松本がわざわざ永嶋の教室まで誘いに来たのだった。兄貴が出るバンドのライブに行きたいのだが、一人では嫌だから一緒に行ってくれないか、と。おまえの友人の桐谷のバンドだから、と。行動も内容も、普段の松本とはまるでイメージが合わなかったが、めったにないことだからと了承したのだった。なのに。
胡南は、どこか不服そうな顔をした。
「松本が来れないからって、チケットくれたんだ。俺じゃ、嫌かもしれないけど」
こちらもめずらしく、後ろ向きな発言をする。今、絶賛仲違い中だからかもしれない。
「別に、嫌なんかじゃねえよ」
「そう?」
その言い方も、そっけなく感じる。いつもは終始、柔和で、大人しくて、どこか頼りなげな胡南が、なんというか、ふてくされている。初めて見る雰囲気だが、永嶋としては興味深かった。こんな一面もあるのか、と思う。
期末テストを終えると、例年より早く梅雨があけた。終業式まではテスト休みになって、ライブはちょうどその間だった。
開場が六時で開演は六時半だから、待ち合わせは五時半にした。辺りはまだ明るく、よく晴れていた日中の熱気がまだそこら中に残っている。
「俺、ライブなんて初めてだからよくわかんなくて。変かな、この格好」
胡南が不安げに言ってくる。永嶋は、Tシャツにジーンズだ。
「別にいいんじゃねえの。服なんて、自分が好きなもん着りゃいいんだよ」
「そっか。そうだよな」
ライブハウスの目の前の公園で待ち合わせたから、まだ中に入るまでには時間があった。けれども、どこかに入ってお茶でも飲む時間はない。
「座るか」
胡南を促して、木陰のベンチに腰かけた。
ぬるい風が吹いている。胡南は気づまりそうに、足を持ち上げたり下ろしたりしている。そうかと思うと、ちらちらと永嶋のほうを見てくる。
やっぱ、俺からだよな。
永嶋は覚悟を決めて、息をはく。どう考えても、悪いのは俺のほうだ。
「あのさ、こないだは悪かったよ。ちょっと言い方きつかった。っつうか、本気で思ってたわけじゃなくて、その、ちょっとあわててたっつうか。まあとにかく、ごめん」
言ったものの、返事がないから永嶋が顔を向けると、胡南がものすごく驚いたような顔でこっちを見ていた。
「……胡南?」
「あれは、俺が悪かったんだから、永嶋が謝る必要はないよ。俺が、ごめんだよ」
「なんでおまえが悪いんだよ」
「だって、えっと、その、……なんでだろ。とにかく、永嶋を怒らせたのは俺だから」
「だから、俺が勝手に腹立てたんだよ。普通に考えたらおまえは悪くねえんだよ」
「勝手にって、どういうこと?」
だからあ、と続けようとして、永嶋は言いよどむ。はっきりと言うのは正直、恥ずかしい。でも、彼方に言われたことを思い出す。素直になること。気持ちを、ちゃんと伝えること。それが、大事なのらしい。
「おまえに、彼女ができたことが嫌だったんだよ。だから腹立ったんだよ。そんで、狭いところに一緒に入っただろ。なんかこのへん、腹とか背中とかぞわぞわして変な気分になって、それが恥ずいからムカついたんだよ」
「……なんで、ぞわぞわすんの」
「そりゃおまえ」
言わせんのかよ、そういうの。天然かよ。
でも、そういうところが胡南なのだからしょうがない。
「だから、……好きなやつとあんなに近づいたら、ドキドキして変な気分になるに決まってんだろ」
「……変な、気分って?」
「だからあ」
ぐっと、永嶋は胡南に顔を寄せた。
「触りたくなんの。触って、いろいろしたくなったりすんだよ」
「……あ、そう、なんだ」
そう言いながら、ゆっくりと頬を紅潮させてゆく。本当に、天然らしい。
「だからまあ、お前は別に、何も悪いことしてねえんだよ。だから謝る必要はないってことだ」
「あの、……その」
今度は胡南が言いよどんでいる。いい機会だから、このさい思っていることを洗いざらい全部、吐き出してしまえばいいと思う。
「なんだよ。もう怒ったりしねえからさ、なんでも言いたいこと全部言ってみろよ」
「うん。……さっきのって、本当?」
「さっきのってなんだよ」
「その、好きなやつ、ってとこ」
ピンポイントで、恥ずいところをえぐってくる。
「まあ、そうだよ。おまえのこと、好きだっつったろ」
「でも、もう好きじゃないって言った」
言ったっけ。永嶋はうっすらと記憶をたどる。ああ、言ったな、そういえば。
でもなんで胡南はそんなことを気にするのだろう。
「だから、さっき言ったろ。腹立って言っただけで、本気じゃなかったって」
「じゃあ、桐谷くんのことは」
「……は?」
どうして今ここで、桐谷の名前が出てくるんだ。
「桐谷がどうしたって?」
「桐谷くんのことが好きとかじゃ、ない?」
「はあ? なんで俺があいつを好きになんなきゃいけねんだよ。やめてくれよ。絶対ねえよ」
「ほんとに?」
「おまえそれ疑うのマジでおかしいぞ」
「なんだ」
ふ、っと、目に見えて、胡南が安心していた。急に表情が、やわらかくなる。
「え、おまえ俺が桐谷のことマジで好きだと思ってたの?」
「いや、そうなのかなあって、思っただけで」
「なんでそんなこと思ったんだよ」
「だって、俺のこと好きじゃないって言ったのは、桐谷くんのことが好きになったからかなあって思って。だったらすごく、嫌だなあって」
ん?
「……嫌だなあって、思ったのか?」
「え? うん」
「俺がおまえじゃなくて桐谷のことが好きだったら、嫌だって?」
「……う、ん?」
「俺が、おまえのことが好きなほうが、良かったって?」
胡南が永嶋を見上げて、小さな目をぱちくりとさせる。そんなかわいい顔をするな、と思う。
「おまえ、何言ってるかわかってるか?」
「……えっと」
永嶋はベンチの背もたれに肘をかけ、体ごと胡南に向き合った。
「あのな、もっかい言うけど、俺、ゲイだっつったよな? おまえにちゃんと」
「う、うん」
「俺、そういう意味で言ってんだぞ。おまえはどういう意味で言ってんだよ」
「えっと、……俺も、おまえのこと、好きだよ」
胡南は下を向いて、ぼそぼそとそんなことを言う。
本当に、わかってるんだろうかと思う。なぜなら胡南は、人が良すぎて流されやすいからだ。永嶋がそう言ってるから、そんな気になっているだけかもしれない。というより、友情と恋愛の区別がついていないだけかもしれない。
「おまえ、小泉繭香はどうすんだよ。つき合ってんだろ?」
「あ、小泉さんとは別れたんだ」
「……いつ」
「ひと月くらい前だよ。六月入ってから、すぐくらい」
「なんで」
んー、と、胡南は言葉を探すように視線をさまよわせた。
「俺さ、クロが彼女ほしいほしいって言ってたから、彼女ができたらすごく楽しいんだろうなって思ってたんだ。だからとにかく彼女作らなくちゃってなんか、思いこんでて。でも、あんまり楽しくなかったんだよな。永嶋といるほうがずっと、楽しいって思って。だから」
「……俺と、いたい?」
うん、と、口に出さずに胡南はうなずいた。本当にこいつは。天然で、男たらしか。
「いいんだな?」
「……何が?」
詰めよる永嶋を、胡南はきょとんと見つめ返す。
「おまえは俺のことが好きだって、そう思っていいんだな?」
「……うん」
「……信用できない」
「……うん。え? なんで?」
「誘導尋問に答えてるみたいだから。おまえ」
「そんなことないよ。俺、ちゃんと永嶋のことが、えっと、好き、……です、よ」
これ以上疑うのは、失礼かもしれない。それでもまだ、確認したかった。
「いいんだな?」
「うん。……何が?」
「そんなこと言ってっと、俺そのうちおまえにキスとかしちゃうけど、いいんだな?」
カチ、と音がしそうなほど、胡南が固まった。その顔が、急速に赤らんでいく。頬も耳も、真っ赤になる。赤くなるだけなってようやく、ゆっくりとうつむきながら胡南は小さな声を出した。
「……それは、えっと、おいおいってことで」
これは、いけるかもしれない。
うっすらと、希望がわいてくる。安堵してもいいのかもしれない。
ようやく、永嶋は落ち着いた。それで、はっとする。
「あ、やべ。ライブ始まる。行くぞ」
「え、あ、待って」
開場時間がとっくに過ぎていた。中に入るとすでに、人でごったがえしている。
桐谷のバンドがこんなに人気とは知らなかった。と思ったが、他にもバンドがいくつか出るらしい。そもそもしっかり見たいとは思っていなかったから、後ろのほうでかまわなかった。
一番後ろの壁沿いの隅に、胡南と陣取った。やがて照明が落ち、暗くなる。ステージのあたりだけが眩しいほど明るくなる。
「桐谷くんのバンド、何個めだろ」
「さあ。知らね。出たらわかるだろ。あいつボーカルだから」
「バンド名なんていうの?」
「知らね」
「ほんとに興味ないんだな」
「俺、おまえにしか興味ねえし」
こんなことを平然と言う日が来るとは思ってもいなかった。ちらりと隣を見ると、顔の赤さまではわからないがどうやら胡南はものすごく照れているようだ。
爆音で、演奏が始まる。周囲が跳ねたり手を振り上げたりと、にわかに盛り上がって人の波がうねり始める。あまり背の高くない胡南はのまれそうになっている。その体を、永嶋は引き寄せた。みんなステージのほうに夢中だし、辺りは人でぎゅうぎゅうだし、ここは隅っこで横にも後ろにも誰もいないし。
引き寄せた胡南の腕の位置を確かめて、永嶋はその手をにぎった。一瞬、戸惑いを見せた胡南は、ためらいがちにそっと、にぎり返してくる。固くつないだその手を、永嶋は後ろに隠した。
鼓膜がどうにかなるんじゃないかと思うほど騒々しかったが、永嶋は自分の心臓の音が聞こえそうな気がしたし、ぴたりと体を寄せ合った胡南の心臓の音も、聞こえるような気がした。
そのままずっと、時間が許す限り、永嶋は胡南の手の温かさを感じていた。
-了-
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