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06.出発

 街に戻るとすぐにギルドへ向かって、冒険者用の湯浴み場へ速攻で放り込まれた。依頼品の途中納品はトルリレイエがやっておくからと言われ、渋々服を脱いで体を洗う。  散々な目に遭った。こんな依頼受けなきゃ良かったのに。  ……いや、ニヤニヤしながら見てないで助けてくれればそれで済んだのに。  森で感じた腹立たしさを思い出して、壁から吐出されている打たせ湯に頭を突っ込む。しばらくそうしていると、皮膚に張り付いた粘液の不快感と一緒にムカムカも少しずつ洗い流されていく気がした。    体を洗い終え、ギルドのクリーニング機とかいう魔法の道具に入れておいた装備を取り出す。汚れがすっかり落ちた衣服に袖を通して手早く装備を整えた。  ギルドの受付へ向かおうと湯浴み場を出てすぐ、手続きを終えたらしいトルリレイエが出入口の前に立っているのが見える。もう手続きが終わったらしい。少し早足で近付くと、どこか気まずそうな顔が口を開いた。 「……その、さっきはすまなかった。本体を呼び寄せるためとはいえ、嫌な思いをさせてしまったな」  一応、悪かったという頭はあったらしい。  しかしそれで済めば世の中の揉め事はほぼ消え失せるし、自警団も騎士団も必要ないのだ。多少落ち着いたとはいえ、ちょっと謝られた程度で溜飲が下がりきる訳がない。 「オレが取っ捕まってるの面白そうに見てたくせに」 「それは……うん、返す言葉もない。あの花の補食動作が興味深くて」    そこは肯定する所じゃないだろ。    じとりと無言で睨むとトルリレイエはハッと口を噤んだ。困ったように頭を掻いて、またじっとハーファを見つめてくる。 「いや、すまない。すぐに助けるべきだった」 「息できなくなってメチャクチャ苦しかったんだぞ」 「本当にすまなかった」  言いたいことはもっとある。実験動物扱いされたまま死ぬのかとすら思ったんだから。  こんなもんじゃ足りないのに。  心底申し訳なさそうな表情を浮かべ、眉をハの字に下げて覗き込んでくる顔。そのせいで言いたかった文句が喉の奥へ引っ込んでいく。  しつこく言って逆ギレされた事なら今までもあったけど、こんなに謝られる事なんてなかったから。 「…………次はすぐに助けろよな」 「ああ。ありがとう、ハーファ」  絶対許さねぇって、あの森では思ってたのに。  ホッとした顔で微笑む仲間に耳を撫でられながら、結局許してしまった自分に我ながら呆れるのだった。  人食い花に遭遇してからは特に何事も起こらなくて、ただひたすら行ったり来たりを繰り返す苦行で終わった。  トルリレイエは変わらず優しい。あの時のニヤニヤした顔に腹が立って忘れていたけれど、元々ハーファを優先して助けれてくれていたのだ。観察対象だからだろうけど。 「これで依頼は完遂だな」  何度目かの東の森探索を終え、ギルドに最後の草を納品した。報酬を受け取る相棒の隣に思わずしゃがみ込む。東の森だけで一ヶ月。ようやくこの苦行が終わったのだ。  ……疲れた。  草が川の中州にあるなんて思わなかったし。回収したと思ったらすっ転んで魔物の棲み処に落ちるし。デカい魚みたいな魔物の群れにひたすら追い回されるし。  陸に上がっても手足を出して這いながら追いかけてきた大量の魚型の魔物を思い出し、げんなりと天井を睨む。あれは悪夢だった。しばらく夢に出てきそうなくらいの。 「もう東の森は嫌だぞ……」  散々暗くて辛気臭いって文句言ってた北の森が懐かしい。もうあそこでいい。東の森以外なら何でもいい。  それくらいに東の森での探索はキツかった。  げんなりした顔で訴えかけるハーファを見て、トルリレイエはくすりと笑う。 「そろそろ次の街へ移動しよう。時間を取らせてしまったな」 「次の街……?」 「ハーファの依頼が止まってしまっているだろう?」 「あ」  東の森に悪戦苦闘しすぎて忘れていた。そういえば長期依頼の最中だったのである。  間抜けな顔で見つめるハーファに思い切り噴き出したトルリレイエは、まずは食事にしようかと笑いを堪えながら食堂へ向かっていった。  ハーファが受けている依頼は大陸各地を回って指定の素材を集める長期依頼だ。  困った様子だったからギルドへ依頼を出して貰ったけれど、ふたを開ければ国を二つもまたぐ壮大な内容だったのだ。助けると言い出した手前断る訳にもいかなくて、あちこち回ってきたけれど。  一人で行動していると、どうしても一日で潜れるダンジョンの深さが浅くて時間がかかってしまっている。期限はないと言って貰えているのが救いだ。そうでなければ依頼失敗の判定を受けていただろう。  自分が手引きした話なのだから、完遂しなければ。    食堂に着いて腰を下ろすと、受けている依頼の詳細についてあれこれ質問が始まった。問いに答えつつ、いつもの食事を終えて。  テーブルに地図を広げたトルリレイエはちらりとハーファを見た。 「残りはの素材は鉱山だったな」 「うん。坑道の奥に居る魔物の牙だって言ってた」  依頼書を渡すと、相棒は地図と見比べるように視線を滑らせている。ハーファ達の居る街が描かれている場所をトルリレイエが指さして、目的地の鉱山へ向けて動かしていく。  鉱山への道中には小さな村が一つだけ。  元の拠点からなら大きな街道があったのに、迷って山を突っ切ってしまったが故に道がなくなってしまっていた。気にせず鉱山に向かって山を突っ切るか、鉱山とは反対方向に向かう道を通って大きな街道に出るかの二択になってしまっている。 「途中に村があるとはいえ、この距離は長旅になるな」 「街道に出るか? 馬車が来るかも」 「いや、そのまま進もう。地図には載っていないが道がある」  その道は本当に大丈夫なのかと思いもしたけれど、道中にある村にはいくつも冒険者だけが使っているルート――渡り道があるらしい。魔物が出るせいで一般の人は通らないから、普通の地図には載らないんだそうだ。  情けは人の為ならずだとトルリレイエは笑う。ゆっくりと地図を元の様に折り畳むその顔がにんまりとほくそえんだ、その時だ。 「街を出るのか」    明らかにこちらへ向かってかけられた声。思わず振り向くと、西の森でトルリレイエに絡んできたパーティの魔術師が近付いてきていた。森で仲間とげらげら笑っていた時とは少し違って、何だか神妙な顔をしている。 「ああ、ついに拾ってくれる仲間が見つかったんでな」  しれっと森で言われた嫌味を返す相棒の横顔を、ハーファは思わずじっと見る。相変わらず【眼】で見ても感情の揺れみたいなものは分からない。鉄壁の感情の読めなさだ。  けれど腹を立ててたんじゃないかと今は思う。ハーファが先に怒り出してしまったから、そのタイミングを無くしてしまっただけで。  向こうもそう思ったのか、少し眉を下げながら口を開いた。 「あのアホみたいな数の植物採集、お前達が完了させたんだってな。散々受けろとつつかれて困ってたんだ」 「別にお前の為にやった訳じゃないが」  けろりとした顔でとりつく島のないトルリレイエに、魔術師は苦笑する。 「でも、あの依頼の消滅とお前が寄贈した植生調査資料には驚かされた。……それで、その」 「受けている依頼もあるんだ。手短に」 「あ、ありが、とう。お前の動機はともかく、助かった」 「そうか」  言いづらそうにする相手に言わせておいて、短くそれだけ投げて返したトルリレイエは席を立った。    すたすたと歩き出す後ろ姿に慌てて席を立つと、魔術師は懲りずに去っていこうとする背中へ声をかける。結構心臓が強い。  「受けている依頼が終わったら、この街に戻ってくるのか」 「さあ? 風向き次第だな」 「…………そうか」  絡んでくる時と違って歯切れの悪い魔術師の様子に、もう良いかと相棒は溜息をつく。早く来いと呼び寄せられて、ハーファは慌てて側へ寄った。  少し沈黙した魔術師だったけれど、ぱっと顔がトルリレイエを見て。早足でやって来たと思えば手に持った何かを押し付けてきた。  「これをやる」  押し付けられたものを横から覗き込むと、少し固そうな表紙のついた冊子だった。相棒が開いたその中身には手書きの地図。結構詳細に書かれていて、ついでに出てくる魔物や要注意な地形みたいなものがメモされていた。   ……ついでにパーティのメンバーらしい名前と一緒に、こいつはこの場所で落ちたとかバテたとか力尽きたとか事細かに書かれている。植物の記録をしていたトルリレイエといい、知識職は細かい事を記録するのが好きなんだろうか。   「なんだ急に」 「鉱山の方へ渡り道を通った時に作った物だ」 「答えになっていない」  訝し気な顔のトルリレイエは渡された冊子を押し返すけれど、相手の魔術師もぐいぐいと押し返す。どっちも受け取る気配がない。  さっさと貰えば良いのに。  ハーファはそう思いながら、押しつけ合いで変形している哀れな地図を横からかっさらう。 「こら、ハーファ。勝手に」 「良いだろ、くれるって言ってんだから」  少し眼を丸くしていた魔術師だったけれど、そうだそうだと少しだけ森で会った時みたいなテンションで被せてきた。 「お前の植生調査資料と交換だ。俺は嫌と言うほどアレの世話になりそうだからな」 「だってさ」 「……じゃあ、貰っておく」  手に持っていた冊子をトルリレイエに差し出すと、どっちの味方なんだと呟きながら物凄く渋々とした顔で受け取った。

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