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第13話
バザーの日はねずみ色の雲が浮かんでいた。それでも降られずに済んだのは子どもたちの笑い声に躊躇したのかもしれない。
「先生、これはどうやるの?」
「これは鏡文字になっているんだよ」
浬は窓に向けていた視線を女の子の手元に戻し、 小さな手に握られている点筆に自分の手を重ね「かさ」と打った。
打ち終わった用紙を裏返し、凹凸をなぞる女の子は感嘆の声をあげた。
「これでかさって読むの?おもしろい ね」
「 じゃあ次はお名前を打ってみようか」
用紙に女の子の名前を書かせ、浬は点字の五十音順表を広げた。
初めて触れる点字がおもしろいようで女の子はキラキラと目を輝かせ熱心に取り組んでくれている。
「先生、こっちも見て。うまくできたよ」
「上手だね」
一文字できるたびに反対側の男の子は点字を見せてくれ、褒めてあげると屈託なく笑ってくれた。
バザーと称しても学校側は社会経験をさせたかったらしく、浬たちが点字をやっていると小耳に挟んだ教員に直接頼まれて羽場と二 人で出店した。
普段から学童のボランティアをしているので浬は子どもの扱いには慣れていたが、どうにも羽場苦手らしい。
そういえば学童のときも勉強をみてあげているだけで一緒に遊んだりはしていなかった。
反対側の机に座っている羽場は用紙から視線を上げた。
「辻はどうした?」
「用事があるって言ってたけど」
眉間に小山をつくっただけなのに容姿の良さがあるせいか迫力がある。羽場と辻の間の亀裂はまだ修復されていないらしい。
「新歓のとき辻くんとなにかあった?」
「別に」
抑揚のない声は怒気を含んでいる。羽場も辻をよく思っていない節を感じ、せっかくの友だちがいがみ合っているのは悲しい。
浬は拳をぎゅっと握った。
「辻くんは話が面白くて明るくて誰とでも仲良くなれるよ」
「ただのタラシだろ」
「ガムをくれたよ」
「そんなにガム好きだったのか?」
「最初に僕に話しかけてくれたんだ。それがすごく嬉しかったんだ」
「ふぅん」
羽場は下唇を突き出した。
「僕のプレゼンはダメだった?」
「あまり上手くはないな。主観が多い」
はっきり言われると恥ずかしい。俯いていると羽場が小さく笑った。
「藍谷は人のために一生懸命になるんだな」
子どものように頭を撫でられ、耳まで熱くなった。 羽場は浬に気にも止めず再び点字を打ち始めた。
事前にブー スにはいるがお姉さんの点訳が終わらないから手伝えないかもしれないと言われていた。 小説を読みながら滑らかに打っていくスピードは熟練の域に達している。
「打つのが速いね」
「催促の電話がしつこいんだ。そっち任せっぱなしで悪いな」
「それは構わないけど」
子どもと触れ合うのは好きだし、と続けると羽場はわずかに目を細めて再び机に向かった。
迷惑そうに言いながらもきちんとやっているところを見ると羽場は嫌ではないのだろう。
きっと時間をかけて育んできた愛情が二人の間にあるのだ。記憶がない浬には手に入らない。
「僕は一人っ子だから姉弟って憧れるな」
「上からコキ使われるからあまり良くないぞ」
「でも楽しそうだね」
浬の言葉に羽場は弾かれたように顔をあげた。
「俺が、楽しそう?」
「そう見えたけど」
羽場は長い睫毛を伏せて苦しそうな表情になった。
「余計なこと言っちゃった?」
「いや、驚いただけだ」
なにに?とは訊けなかった。
扉ががらりと音をたて、みんなの視線が一点に集まる。顔を覗かせたのは西藤だった。
「もうすぐ閉会の時間だから片付け始めといてな」
「わかりました」
そう言い残すと西藤は出て行った。いつの間にか子どもたちの姿も消えている。
「片付けるか」
「うん」
机に散らばった用紙を一枚ずつファイルに入れた。用紙には学年と名前が書いてあるので、教員に渡せば子どもたちの元に届くだろう。
その中に一枚だけきれいなものが混じっていた。一目みただけで誰が打ったかわかる。 本人が背中を向けていることをいいことにこっそりと触読した。
『おれは あいつを ゆるさない あいつに ふくしゅー する』
これは小説の一説なのだろうか。けれどいつも輝いているはずの点字は光を失い、黒く淀んでいるように見える。
「どうした?」
「なんでもない」
羽場に隠れて用紙を鞄に突っ込んだ。以前見かけた黒いファイルが浮かんだ。闇のように暗く、光を飲み込んだ色。
あのファイルにはなにが入っているのだろう。
そこに羽場の真意が隠されているような気がした。
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