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5. 新しい命
次の日になったらいつも通りだと思っていたのに、僕の体調は悪化する一方だった。
風邪かなぁ。ヒートの予定はまだ先だしなぁ。ヒート不順なのかな?
いろいろな可能性を考えてみるものの、どうもスッキリする答えにはたどり着かなかった。
「とりあえず、風邪薬でも飲んでおけば良くなるかな」
僕はそう思って、薬箱を開け総合感冒薬を探していた。
「あった。風邪薬も久しぶりだなぁ」
外箱に書いてある三錠を手に取り、台所でコップに水を入れ、薬を飲もうとしたその時、「ただいまー」という星司 くんの声が聞こえた。僕は薬を手にしたまま、玄関へ出迎えに行った。
「おかえりなさい。お疲れ様。今日もありがとう」
そう言った僕は、いつもはぎゅっと星司くんに抱きつくんだけど、今日は薬を手にしたまま来てしまったので、抱きつけない。
ああ、持ってきちゃったんだと思って、どこかに置くところがないかなと目で探していると、星司くんは僕の手の中の薬の存在に気付き、その薬を取り上げた。
「飲むな。まだ飲むな」
「え……?」
取り上げられた理由がわからずぽかんとしていると、星司くんはその薬をティッシュに包んでビニール袋に入れた。
「今日、職場で相談したんだ。そしたら、自己判断はせず、ちゃんと病院で診てもらった方が良いと言われたんだ」
「家で風邪薬飲まないほうが良いってこと?」
「風邪じゃないかもしれない」
「?」
「もし、新しい命が宿っていたら……」
「あっ……」
僕たちは子どもをずっと望んでいた。だから可能性がないわけではない。けれど何もかもが初めてのことで、この体調不良が、もしかしたら妊娠のサインかもしれないとは考えが及ばなかった。
◇
次の日、僕は一人で病院の待合室にいた。
星司くんも仕事を休んで一緒に来る予定だったのに、どうしても外せない仕事が急に入ってきてしまった。他に任せて行くと言って聞かない星司くんをなだめるのが大変だった。
以前の星司くんなら、もっとスマートにこなしていたのかもしれないけど、離島に越してきてからの星司くんは、かなり変わった。完璧だけどどこか作り物のような雰囲気だったのに、とても人間らしくなったと思う。これが本来の星司くんなのかもしれない。
「あー、緊張する」
いろいろな可能性を考え、でも最終的に脳裏に浮かぶのは『妊娠』の二文字。僕たちが願うのは、先生からのその言葉だ。
「佐久月歌 さん、診察室にお入りください」
とうとう僕の名前が呼ばれた。心臓の鼓動がマックスになる中、診察室のドアを開け中に入った。
あいさつをして、先生が話をしていたみたいだけど、僕の耳には全く入ってこなかった。どくどくという心臓の鼓動が聞こえ、その場所には僕一人しかいないような錯覚に陥っていた。
「おめでとうございます」
「……?」
僕の心臓の音と一緒に、耳に入ってきた言葉を瞬時に理解することはできず、無表情のままゆっくりと首を傾げた。
そんな僕の様子を見て、先生はふわりと優しく微笑むと、再び口を開いた。
「佐久月歌さん、妊娠されていますよ。あなたのお腹の中には、新しい命が宿っています」
やさしく伝えられた言葉を、僕はゆっくりと噛み砕いた。
新しい……命……。
「ほんと……に?」
まだ信じられなくて、口から漏れた言葉に、先生はもう一度ニッコリと笑って、大きく頷いた。
「僕たちの……赤ちゃん……」
まだなんの変化もないペタンとしたお腹をそっと撫でてみる。
まだこの世に誕生したばかりの命はあまりにも小さすぎて、外から触れたくらいではなんの反応もないけれど、じわりと温かくなった気がした。
その後、別部屋で色々と説明があるからと廊下に出たら、慌てた様子の星司くんがやってきた。その様子を見て、先生や看護師さんもみなで笑っていた。
今までこそこそと影で笑われることはあったけど、こんなに幸せな笑顔で『笑われた』のは初めてだった。同じように笑われることなのに、こうも違うものなのか。
僕が星司くんに、「家族が、増えるって」と報告をし終えると、それを待っていてくれた看護師さんが、僕たちに声をかけた。
「お父さん、そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。さぁ、行きましょう」
看護師さんに「お父さん」と言われた星司くんは、目を大きく見開き、感極まって泣き出してしまった。それを見た僕は星司くんを抱きしめて、一緒になって泣いてしまった。
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