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第13話−2 牙を抜かれた獅子2

 そこまで含めての条件だと思っていた綾人は、タカトの問いかけに少なからず動揺した。それに、そこに疑問を持ったところで、もう貴人様たちとは会うことはできない。と言うことは、約束を反故にすることも出来ない。それならば、従うしかないのだろうと思っていた。 「だから、俺は怒ってるんだよ。罪の清算が必要だったのも、貴人様と一緒になりたいのも、全部ヤトさんでしょ? 綾人じゃないじゃん」 「そ、そうだけど……。え、今更そのことで怒ってるのか?」  綾人は複雑な思いに駆られていた。貴人様は、しきりにヤトと綾人の人格を切り離すことが出来ないことを謝っていた。ただ、綾人自身は、ずっとその全てを「仕方がないこと」として受け入れていたので、何を謝られているのかを理解していなかった。  今タカトに言われて、確かにそうかもしれないと初めて思った。 「綾人は俺のことが好きなんだろ? なのにヤトさんの好きな人のために、俺の前からいなくなるつもりなんだろう? そもそも魂の罪って考えるとそれは確かに仕方ないことなんだろうとは思うよ。でも、俺や綾人自身の気持ちはどうなるんだ? 俺はもう、綾人を抱きしめることも、触ることも、話しかけることも、見ることも出来なくなるのに……。先祖が子孫を振り回しすぎなんだよ!って、怒ってる」  一気に捲し立てたタカトから、まるで湯気が上がっているかのように白い息がまた見えた。それはさっきとは違う興奮状態。けれども、今の言葉がどれほどの強い思いだったのかを、タカトの頬を伝う涙が物語っていた。 「タカト……」 「初めて好きになった人を、何もかも手に入れたいと思ったほどの人を、こんなに濃い時間を一緒に過ごしてさ……。それでも、期限が来たら渡してしまわないといけないなんて。……そんなの、簡単に受け入れられるわけないだろ」  髪を切ってからのタカトは、とても人気があった。そもそも話してみれば知識が広く、気遣いも上手な面白い男で、背も高くスタイルも良い。  唯一欠点だった暗そうに見えていた問題も、家族間にあったしがらみがなくなってからは、驚くほどに改善されて明るくなった。そんな男が、人気が出ないわけが無い。  それでもタカトは綾人しか見ていなかった。綾人だけを見て、綾人のことだけを愛していた。だからこそ、綾人を失う日のことを恐れていたのは、誰よりもタカトだというのは、当然のことだろう。  水町とその感情を共有することで、どうにかその気持ちを紛らわせていられた。ただし、それは少し前までのことだった。 「それでもなんとか受け入れようと思ってたよ。一週間前くらいまでは出来てたんだ。でも、今は出来ない。綾人が消える日を恐れている姿を見てたら、そんなの受け入れられない。人のために色々頑張ったのに、最後に残された時間が綾人の笑顔を奪っていくなんて……それは納得しないといけないことなの? 可哀想で見てられないんだ」  タカトの慟哭が、綾人の胸を抉っていく。実のところ、綾人の心残りは、タカトを置いていくことだった。水町のことも心配ではある。ただ、水町にはきっと恵斗が誰かを紹介してくれるだろうと思ってからは、少しは安心できた。  でも、タカトはどうだろうかとずっと心配だった。タカトは優しすぎる。そして誠実すぎる。実の父が何年も暴力を振い続けていたのに、父が自分を嫌っているわけではないと信じ続け、助けようとしていた。  そんな人だから、綾人がいなくなったとしても代わりの恋人など探さず、死ぬまで一人でいるんじゃないだろうかという心配はしていた。ただ、これほど思いが深いとは思っていなかった。 ——俺、タカトを遺して逝っていいんだろうか。  その思いが、また綾人の頭をよぎっていった。 「だからさ、綾人」  タカトは綾人の手をぎゅっと握った。そして、必死に笑顔を作る。吐き出してしまった感情を誤魔化すように、そして弱気を寄せ付けないように、必死の抵抗をして見せた。 「また一緒に便利屋しようよ。不思議な力はもう無いからさ、普通のボランティアとかでいいよ。やるべきことがあって、心地よく疲れて、ずっと一緒にいられたら」  綾人の耳を優しく掴んで、指で擦った。「んっ」と小さく声を漏らす綾人を見て、タカトはいつものようにふわりと微笑んだ。 「それで抱き合って眠れたら、毎日はきっと怖くない。今を大切に生きてくれたら、綾人が前を向いてくれていたら、俺もきっと別れの日には、全てを受け入れられると思うんだ」  タカトは、綾人の運命の理不尽さに気が付きながらも、それを受け入れて共に過ごすと言ってくれている。その別れの先にどんな感情が待っているのかは、まだ二人にはわからない。  ただ、ハッキリ言えることがあるとすれば、恨み言を連ねてその日を待つよりは、毎日笑って過ごした方がいいだろうということだけだった。 「怒ってるだけじゃなくて、どうしたらいいかまで考えてくれてたのか?」  綾人の問いに、タカトは「俺なりに、だけどね」と言って笑った。綾人は、何も考えずに全てを受け入れようとしていた自分とは違って、タカトが、問題に気が付きながらもそれを解決して越えようとしてくれている姿に、胸を打たれた。  綾人はその思いを受け取ることにした。タカトの手をとり、両手でそっと包み込んだ。 「わかった。怖がってただ待つんじゃなくて、最後まで有意義に過ごすよ」  そう言って、ここ数日見せることのなかった、輝くような笑顔をタカトに向けてきた。タカトはそれを見て、安堵した。堪らずその体を引き寄せると、強く抱きしめた。 「笑ってくれて良かった……もうその顔が見れないのかと思って、すげえ苦しかった……」 ——あ、月だ。もう暗くなり始めてる。  しばらくの間、一日の移ろいに気がつく余裕もないほどに、虚無に陥っていた。そして、そのことに気がついてもいなかった。もしタカトがそれをそのまま受け入れる人だったとしたら、鬱々としたまま最後の日を迎えていたのかもしれない。  そう考えると、タカトが貴人様に対して抱く嫉妬に似た感情に、感謝しかなかった。 ——生まれ変わっても同じ魂を好きになるくせに、全然似てないのが不思議だけど。  そう考えると可笑しくなって、綾人はふっと息を吐いた。そして、柔らかくタカトにしがみつき、その耳元で一言囁いた。 「抱き合って、眠るんだよな?」  タカトは、目が飛び出しそうなほどに見開いて、綾人から少し距離をとった。綾人の声が、理性を吹き飛ばしそうな破壊力を持っていたからだ。  まるで機械にでもなったかのように、黙ったままこくこくと縦に首を振って固まってしまう。綾人がタカトの胸に手を当てると、ついさっき自分から仕掛けていた人と同一人物とは思えないほどに、心臓が破裂しそうな音を立てていた。 「わかった。じゃあ、そこで待ってろよ」  そう言って、綾人はリビングを駆けて出た。タカトはそれを呆然と見送り、遠くの方で浴室のドアがカチャリと音を立てるのを、ただ黙って聞いていた。

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