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第13話 牙を抜かれた獅子

◆◇◆ 「ただいまー」  タカトが玄関のドアを開けて部屋の中に入ると、陽の光を溜め込んだ空気がその頬を少しだけ温めていく。初秋とはいえ、日が暮れると外はやや肌寒くなり、日当たりのいいこの部屋は外よりも幾分過ごしやすくなっているようだ。  タカトは綾人の手を引いてリビングへと進み、二人分の荷物を肩からするりと椅子の上へ移す。その隣で、綾人は抜け殻のように立っていた。  最近は、活力というものが全て抜け落ちたようにフラフラとしか歩けなくなっていて、長い前髪に表情を隠し、殻に閉じこもっているような状態が続いていた。  それでもタカトが手を握れば握り返し、タカトが抱きしめればゆるく抱きしめ返していた。力と気力が削がれてはいるが、タカトのそばにいる事で安心していられる事には変わりは無いようだった。 「綾人、夕飯どうする? 食べられそう?」  人形のような綾人を、壊さないようにそっとソファーに座らせながら、タカトは綾人にそう訊ねた。綾人は答えようとしてタカトを少しだけ見上げた。見上げた先には、ちょうどタカトの右目があった。  アザが消えたので目を隠す必要がなくなったタカトは、貴人様と別れた時にあの長い前髪も切っていた。それだけで随分と快活な雰囲気へと変わっている。  神の印だとはいえ、あまり見た目の良くなかったアザが無くなったことで、色々なものが断ち切られたと感じていたタカトは、以前にも増して色気のある男へと変わっていた。  ほんの少しだけ増えた自信が包容力を生み出したためか、周囲からはさらに貴人様に似てきたと言われるようになっていた。すぐ側にいるタカトの短くなった前髪が、綾人の頬をくすぐる。  その雅で美しい深淵の瞳が、じっと綾人を見ていた。変わらず深い青を含んだその目の右側は、以前より少しだけ白濁している。完全に失明したわけではないが、弱視になったその目を見るたびに、綾人はどうしても悲しい気持ちになってしまっていた。 「……悲しいの?」  そう尋ねられてドキッとした綾人は、うまく答えられずに俯いた。どうして今悲しいと思ったのがバレたんだろう、と思っているとパタっと音を立ててソファーにシミができた。 「えっ?」  驚いてタカトの顔を見ると、タカトは目を丸くして絶句していた。そして、胸が潰れたのかと思うほど辛そうな顔をして綾人を見た。 ——タカト、どうしたんだろう?  何か言葉を発して、綾人に伝えようとしている。でも、綾人にはタカトが何を言っているのかが理解できなかった。音は聞こえるのに、言葉を理解しようとすると、捉えきれずに逃げられてしまうような感じがする。  そして、それを伝えようと思うのに、それを行動に移すことが出来ない。何を言われても、何をしたいと思っても、体がいうことを聞かず、ただ呆然とするしかなかった。  しばらくそうしていると、痺れを切らしたのか、タカトが綾人の手を握って思い切り引き寄せた。そして、その大きな両手でその両頬をふわりと包み込んだ。 「綾人、今泣いてるよ。気づいてないよね? 何がそうさせてのかはわからないけれど、今悲しいんでしょ? 俺しかいないんだから、声出して泣きなよ。いっぱい泣いていいんだよ」 ——悲しい? 何が悲しいんだろう……罪は精算されたじゃないか。 むしろ嬉しいだろう。 「それとも怖い? これからどうすることも出来ない運命が待ってるのが、怖い?」 ——怖いのか? でも死んだら貴人様と一緒になるんだろう? 幸せになれるんだろう? それって、怖いことか? 「多分、俺は綾人を悲しませているものと同じことで怒ってるよ。正直、腹が立ってる」 「えっ?」  タカトの意外な言葉に、驚いた綾人の口から久しぶりに言葉が溢れた。綾人が久しぶりに反応を示したことに、タカトは安堵の溜息を吐いた。  両頬を包んでいた手を離し、体をぎゅっと抱きすくめる。目を閉じて、その温もりを感じた。優しくて少しだけ甘い香りのする綾人の髪に、鼻先を埋めながら話し始めた。 「綾人、いい匂いがする。抱きしめると、あったかい。筋肉すごいのに、可愛い」  綾人は耳元で響くタカトの声を聞きながら、久しぶりに顔が熱くなるのを感じた。 ——いい匂いとか可愛いとかいきなりパワーワードすぎて全然ついていけない……。  タカトの溢れるような思いが乗った言葉に、鼓動が早まった。耳元でそんなことを言われると、そわそわと落ち着かなくなってしまう。 「んっ」  そして、そわそわしている綾人が少し離れて落ち着こうと身を捩ったところを、すかさず抱き直したタカトに口付けられた。不意打ちの軽い口付けだった。  ただ、それが唐突だったために、思わず綾人は顎を手のひらで押し上げようとしてしまった。いつもの綾人なら、その護身術の動きをすると、タカトを倒してしまう。それなのに、今日は簡単に避けられてしまった。 「俺に動きを読まれちゃうくらい弱ってるね」  抵抗しようとしたわけではないけれど、反射的な行動すら止められてしまって、自分の弱り方に綾人も驚いていた。ここ最近、ろくに食事も睡眠もとることが出来ずにいたので、仕方がないと言えばそうだろう。  体力が著しく落ちた体は、タカトに簡単に押し倒されてしまうほどに弱い。ソファの上で綾人を組み敷いたタカトは、そのままゆっくりと深いキスをしてきた。  そして、開いた僅かな隙間に、やや強引に指を差し込んだ。 「あ……んっ」  自分を抑えながらも攻めてくるタカトの顔は、熱に浮かされているように真っ赤だった。その顔で綾人の口に指を差し込む姿は、これまで見たことがないほど余裕がない。  そんなタカトの姿を見て、綾人の体も熱を帯びていく。思わず小さく口を開けると、その隙間にタカトが勢いよく入り込んで来た。差し込んでいた指を抜くと、首を捻って角度を変え、口内の奥へ奥へと進んでいく。 「ふあ……っ」    綾人は突然の深いキスに驚きながらも、その優しい刺激に心を奪われていった。その内に、目が潤み始め、頬にほんのりと赤みがさし始めたのが、言われなくても自分でわかってしまう。  タカトは綾人のその姿を見て、ふっと満足そうに微笑んだ。そして、唇を甘噛みすると、名残惜しそうにしながらもそっと口を離した。 「うー、想像以上に可愛かった……でも、ちょっとストップ」  そう言うと、胸に手を当てて、必死に心を落ち着かせようとする。下から見上げている綾人を直視すると止まれなくなりそうなのか、視線を逸らしたまま、ゆっくりと長く息を吐く。 「タカト……?」  綾人は、タカトの様子が気になった。急にキスをされても微塵も不快感はないけれど、普段のタカトはあまりこういう強引な事をしない。それに、ついさっき怒っていると言われたばかりだ。それなのに、あんなに優しいキスをしてくるなんて、支離滅裂としか思えなかった。 「やっと話してくれた」  軽く息を切らせたまま、タカトはそう呟いた。    陽が落ちた秋の空気は、だんだんと冷えてきて肌寒さを感じるほどになっている。その中で、タカトの吐く息が僅かに白く見えている。タカトの中に籠った熱の大きさが、その白の濃さで見てとれた。 「ねえ、綾人。罪の清算は必要なことだろうから、疑問を持たずに俺も協力した。けど……天界に行って貴人様と夫夫になるのは、綾人のしたいこと? 本当に貴人様とそうなりたいと思ってる?」 「えっ?」  綾人は少し驚いてしまった。罪の清算のために善行をして、その日が来たら貴人様と夫夫になるために天界へ行く。罪の精算は必ず必要なことだろうと思って当然のように従っていたけれど、言われてみれば、確かに貴人様と夫夫になりたいのかと言われたらどうだろうか。 「俺は……正直、わからない。でもそれは、貴人様とヤトさんの約束だからさ。そこを破るとまた神との約束を破ったことになるんじゃないの?」

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