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第12話 実感

 百合子を倒した日から一月半後。正式に百合子の魂は成仏したと言う知らせが届いた。そして、新しい魂として一からの人生をやり直すことが決まったという。  そのために、百合子にはこれから地獄での贖罪の日々が待っている。短かったとはいえ、地獄にいてその記憶を持っている恵斗は「なんか嫌だけど、頑張るなら応援するしかねえなあ」と呟いていた。  知らせはもう二つ。一つは、恵斗(イト)はこの戦いの功績を認められたため、当初の取引通りに佐々木恵斗としての人生をやり直すことが許可されたということ。  そして二つ目、綾人(ヤト)については、「転生前とはいえ、神との約束を反故にしたという事実を軽んじることはできない」と言う理由で、天界に上がる際にヤトと桂綾人の分離は行わず、桂綾人はそのまま節分までの人生になるということが決定されたと言うものだった。 「綾人への決定ってちょっとシビア過ぎねえ? 俺、今世結構チャランポランだったと思うんだけど。そんな俺がやり直しが効くのに、綾人はダメだなんて、なんか変じゃないか?」  百合子を倒すために共闘して以来、恵斗は綾人と行動を共にしていた。そもそも過去では茶屋での唯一無二の友人で、二人で常に励まし合って生きていたくらい仲が良かった。  そんな二人だからか、今世でもこれと言って蟠りが無くなった今となっては、仲良くなるのに大して時間はかからなかった。今やイトがヤトを大切にしていたように、恵斗も綾人を大切に思っている。  そのため、恵斗はその「上の決定」というものがどうにも腑に落ちず、その決定がウルの口からみんなへ伝えられた後も、ずっと不服そうにしていた。   「チャランポランっていうか、凛華も桃花も陽太もあんたにクスリ漬けにされてたんだけどね。人間界で罰せられる薬物じゃなくて良かったわね。悪運強いんだから」  水町が、半ば呆れ顔で恵斗を睨みつけていた。すると恵斗は「さくらって、俺に冷たい」とプイッと顔を逸らす。水町は、それに対して「呼び捨てを許可した覚えはないわよ! この女ったらしが!」とツッコミ返す。  もちろん、その言い方には全く棘は無い。夫婦漫才のようなやり取りをする二人を見て、みんなは楽しそうに笑っていた。  恵斗が珠玉によって傷つけた人たちは、貴人様によってその全ての害が浄化されているため、なんの影響も残っていない。全ての関係者が、問題のあった過去の佐々木恵斗とは知り合いになっていないという人生を歩んでいた。  ただ、今後のことを考えて、恵斗と桃花と陽太の幼馴染という関係は保たれたままにしてあった。しかし、凛華は恵斗と付き合っていた記憶も消されており、それに関するものだけは全てを書き換えられていた。  その影響はすぐに目に見えて現れた。京都から戻って数日で恋人が出来たと騒ぎ出したのだ。恵斗への未練がなくなった途端に、スリーエスのギタリストであるシュンと付き合い始めた。  そして、桃花は凛華からバンドメンバーを紹介してもらい、いつの間にか同じバンドのベーシストであるショウと付き合っていた。 「俺たちのバンド、身近な人間とくっつきまくったね。おかげで楽しく過ごせるからいいんだけどさ」  恵斗は凛華が幸せそうにしている姿を見て、心底嬉しそうに微笑んでいた。水町はそのことについて、確認しておきたいことがあった。それは、恵斗が凛華と付き合っていた理由だ。  水町が「凛華には、全く好意はなかったの?」と尋ねると、恵斗は申し訳なさそうに頭を掻いた。そして、小さく顎を引いた。 「凛華には悪いんだけど、そういうのは全く無かった。俺、そもそもゲイだし。アイツのことは本当に利用しただけだったんだよ……呪玉を広めることに執着してて、それしか考えてなかった。今考えるとそこには俺の意思は一つもない。そうなるほどに漬け込まれていたんだろうけれど。恐ろしいよな」  そう言って、タバコに火をつけて思い切り吸い込むと、やりきれない思いを煙と共に吐き出した。 「じゃあ、そのやるせなさそうな感じは、なんなのよ?」  恵斗は驚いて水町の目を覗き込んだ。神はもう抜けたはずなのに、水町の目はいつも人の心の奥を見透かしている。それは時に残酷でもある。恵斗はグッと唇を引き結んで答えるのを拒否しようかと思った。  それでも、これまでの過去の全てが、こうやって色々言いたいことを言わずにいたことが原因のような気もしていたので、軽く咳払いをし、何気ないふりを決め込んで答えることにした。 「ん? あー、あれだよ。あんな無邪気に笑うやつを利用してた自分が嫌だなと思って……自己嫌悪だな」 「なに、あんなに人をいいように利用しておいて、そんな殊勝な気持ちを持ち合わせてるの? ふーん。でも、もういいんじゃないの? 凛華幸せそうだし。あんただって、百合子に操られてたわけだし。陽太も幸せなんだし。もう誰にも珠玉の影響は無いわけだし。あんたも少しは幸せに過ごしなさいよ」  水町はそう言って、タバコを蒸すふりをした。恵斗は水町のその戯けた行動の奥の優しさに、心から救われた気がしていた。 「なに、お前。結構いいやつだな。サンキュー、さくら」  恵斗はそう言って、水町の髪をぐしゃぐしゃに掻き混ぜた。 「だから、呼び捨てにすんなっつうのよ」  水町はそう言いながらも、楽しそうに笑う。恵斗は、これまで経験したことのない幼馴染以外とのやり取りに、心が温まるのを感じていた。 「あ、綾人とタカトだ」  二人で話しているところへ、タカトと綾人がやって来た。タカトはこの一月余りの間に急激に恵斗と親しくなり、今では親友の域に達している。  綾人を挟んで三人で行動することも多く、青髪、赤髪、金髪の三人で歩いていると、水町から「信号トリオ」と呼ばれるようになっていた。  その度に「さくら様抜けたはずなのに、いまだにダセーな、さくら」と恵斗に酷評されているが、本人は少しも気にしていなかった。 「今日のライブみんな行くんだね。パートナー勢揃いじゃん」  タカトが言うと、桃花と目が合った。タカトが笑いかけると、桃花も太陽のような笑顔を返してくれた。あの京都でのやり取りを思い出し、ふと笑みが溢れあう。  ショウと付き合い始めた時に、桃花はタカトの所に来て「あの時は、励ましてくれてありがとう。穂村くんの言うとおりになったよ」とわざわざ報告してくれていた。  瀬川への思いを吹っ切って、次の恋へと進めたのはタカトのおかげだからと、深々と頭を下げてお礼を言われた。タカトとしては、これから恋人を失うことが決まっているため、正直なところ複雑な気持ちではあった。  それでも、これまでの桃花の気持ちを考えて、必死に笑顔を作ると「良かったね。そのまま幸せでいてね」と答えることができた自分を、初めて偉いと思ったくらいだ。  もちろん、桃花自身はそんなことは知らず、今はただ幸せを噛み締めている。いつも明るく笑顔を振りまいていて、陽太たちがそれを自然に受け入れているところをみると、これが本来の姿なのだろう。 「そういえば、女ったらしさんはシュウとは会えたの?」  同じバンドでボーカルのケイトとドラムのシュウが付き合っていることは、もう周知の事実となっていた。お互いに交際の事実を隠す必要がなくなったため、オープンにしているのだから、それは当然のことだろう。  恵斗がこの世に戻りたかった理由が、修司のそばにいたいからだったということもあって、百合子との戦いが終わるとすぐに、恵斗は修司に会いに行った。涙ながらの再会を果たしてからは、二人は共に暮らしている。 「あれ? 俺、今シュウと一緒に暮らしてるって言わなかった? ねえ、それよりもさ。さくらとか凛華にそう呼ばれるのはいいんだけど、桃花に女ったらしさんって言われると、なんだかすごーく罪悪感があって嫌なんだけど……」  恵斗の言葉を聞いてさくらが「え? それどういう意味?」と詰め寄ると、恵斗が「いやだってそりゃあさあ……」とさくらにくってかかっていく。最近はこれが定番のやりとりだ。  それを見てみんなで笑っている。その中にはもちろん、綾人もいた。いつも中心にいて、みんなが綾人に寄ってくる。それに明るい笑顔で応えている、これまでと変わらない綾人の姿ではあった。  ただ、今の綾人は、これまでよりもより強く死と別れを意識していて、みんなと同じように心の底から笑うということが出来なくなる時があった。  タカトはもちろんそれに気がつくことが出来るので、その度に二人で抜け出して行く。ちょうど今も、綾人の心はいずれ来る別れの時を思って暗く沈んでいた。 「綾人。帰ろうか」  タカトはそっと立ち上がって綾人に声をかけると、無言のままの綾人の肩をそっと抱いた。そして、水町と恵斗に目で合図をする。二人がそれに答えてくれると、そのまま家へと引き上げていった。 「最近、綾人の落ち込み激しいよね。覚悟してたんだろうけど、やっぱり怖くなってきたのかな」  水町は、並んで歩いて同じ家に帰っていく二人を見て呟いた。  すっかり大人しくなってしまった綾人の背中を支えているタカトの髪は、今はミディアムショートになっている。  あの猫のしっぽのように踊っていたロングヘアは、貴人様がタカトの体を抜けて別れた日に、バッサリと切り落とされた。それが別れの儀式だった。その日以来、貴人様とさくら様はこちらに出てくることは無くなった。 「あの別れの日。すごく寂しかった。節分で綾人と別れた後って、きっともっと悲しいよね。ちゃんと生活していけるかなあ……」  水町は、貴人様とさくら様が自分たちの前から去っていった日を思い出していた。あれは、百合子を倒した後、雅貴を家まで運び、その意識が戻った翌日のことだった。 ◆◇◆ 「雅貴の体が回復して目を覚ませば、元の優しい父親に戻っているはずだ。雅貴本人は、同性愛者を毛嫌いしているわけじゃないから心配するな。あれは、百合子がそうさせていただけだ。それと、百合子を浄化することができたことで、綾人の罪は全て清算された。本当ならすぐに天界へいくはずだが、タカトと節分まで共に過ごす時間を与える約束をしているので、期限は変えない。それまでは二人で恋人期間を過ごしてくれ。俺は二月四日の正午過ぎに迎えに来る」  白い装束に身を包んだ貴人様は、そう言って穏やかに微笑んだ。そして、綾人の手のひらに一つの光の玉のようなものを置いた。それは蛍のように儚げに光る小さな玉で、見ているととても心の奥が温かくなる色で明滅していた。 「それは、最後に使う浄化の力だ。これをお前に渡しておく。あるだろう? お前自身の手で、最後に浄化してあげたいものが」  貴人様はそう言って綾人の額にふっと息を吹きかけた。そこには縦にアーモンドアイのアザがある。そこに貴人様の息がかかると、白く明るく光り始めた。そして、蛍のような光の玉は、そのアザの中へと吸い込まれ、消えていった。 「綾人、ヤトの記憶が戻らずお前という人格に苦労をさせたことは、私の失態だ。百合子と正男の妨害に勝つだけの力が無かったんだ。百合子は娘として大切だったし、正男も私が育てた子だ。どうしても強く制することができなかった。私のその甘さのせいでお前は苦しんだ。そして、中途半端な約束をさせたせいで、まだ苦しまなくてはならない。それでも、だ」  タカトの体を抜けたため、もう貴人様は綾人を抱きしめる事は出来なくなっていた。ただそばに立ち、その瞳を見つめながら穏やかに、且つ力強く綾人へ最後の約束を求めた。 「約束してくれ。何があっても、俺を信じろ。俺はお前に嘘はつかない。最後は必ず、一緒になる。それを忘れるな。いいな?」  とても真剣で、目が直接頭の中に語りかけているように、言葉が綾人の体を支配した。その言葉の重みが、じわじわと染み込んでいく。綾人の魂に、その言葉の意味が深く刻み込まれたような感じがした。 「わ、わかりました。忘れないように気をつけます」  やや気圧されながら綾人がそう答えると、貴人様はふっと微笑みながら「忘れないでくれ」と言い、そのまますうっと消えていった。  見えなくなる直前には、タカトに視線を送り、最後に水町に目を合わせて消えた。水町は、それがずっと引っかかっている。溺愛している綾人でもなく、体を借りていた子孫のタカトでもなく、なぜ水町に視線を合わせて去っていったのだろうか、と。  そして、さくら様は水町に五枚の花びらを残していった。それを使うタイミングと使い方も指定されていた。 「タカトの右目は、迦楼羅が抜けたときに失明してます。おそらく、綾人が最後に浄化したいものはそれでしょう。それがうまくいったら、その仕上げにこの花びらを吹き付けてあげなさい。そうすれば、完全に治癒するはずです」  それも腑に落ちなかった。だって、貴人様の術が不完全であるわけがない。しかもそれをさくら様が仕上げるなんて、今まで無かったことだった。どうしてそんな手順を踏ませるんだろう。ずっとそれが気に掛かっている。 「まあでも、今は考えてもわからないからなあ」  そう呟くと、みんなに「さ、行こうか」と声をかけ、日本語を学ぶ留学生たちが待つ教室へと急いだ。

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