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第2話 あの日の朝日

「補習プリントは三澤と大塚。終わったら職員室に持ってくるように」   寝耳に水とはこういうことだと思う。  翼は病欠の間もネット配信される課題を消化していたのに、先週受けてない小テストが大事な内容だからと、放課後に居残りを課された。  それも三澤とふたりでなんて、勘弁して欲しい。   朝礼中、三澤は翼を睨んできていたが、授業に入ると頬杖をついて眠り、休み時間にはとうとう机に伏せて眠っていた。そして生徒が騒いだりすれば大きな音を立てて机と椅子をガタつかせ、上体を起こしてそちらを睨みつける。  そうすると生徒たちは押し黙り、三澤は再び机に伏すか、昼休みなどはひとりで早々に教室を出ていた……のだが、なぜかその前に必ず翼を見てくるのだ。  目を付けられるのが怖い翼は今日一日窓側に顔を向け、なるべく三澤と目が合わないように気をつけていたが、三澤の動きに合わせてつい視線を動かすとばっちり目が合ったので、間違いないと思う。  そっぽを向いているのが気に喰わないか、それとも二か月も欠席していた生徒が気になるのか……他の誰も気にしないというのに。  さすがに高校生ともなれば、野次馬みたいに長期欠席の理由を知りたがる生徒はいないようだ。それにやはりグループも完成していて、わざわざ翼に話しかけに来てくれる生徒もいなかった。  ただ、それだけではなく、三澤への敬遠に巻き込まれている気はする。  三澤の隣の席で、三澤に睨まれている生徒にわざわざ話しかけたくはないだろうから。 「じゃあこっちが大塚、こっちが三澤」  教卓に呼ばれた翼は四枚のプリントを受け取った。  ただし三澤のほうは、翼の倍量のプリントがありそうだ。  三澤は「中間テストも小テストも、散々だっただろう」と言われている。  席に戻りかけていた翼にはそこまでしかよく聞こえなかったが、担任が「このままじゃ禁止になる」みたいなことを付け加えたかと思うと、三澤がなにかを言い返し、大股で教室を出て行ってしまった。  途端に教室がざわつき、「なにあれ」「こえー」など、不快や失笑が混ざった声が上がる。  こ、怖い……声には出さないまでも、翼もビクついてしまう。  その後、誰もいなくなった教室の後部座席でぽつんとひとり、翼はプリントに取り組み始めた。  三澤は出ていったものの、リュックもプリントも残っている。このまま置いて帰るのか戻ってくるのか……怖いので戻ってくる前にプリントを終わらせてしまおう。  そう思ったときだった。  ドアが開放されたままの出入り口から三澤が戻ってきた。  がらんどうの教室に三澤が着席する音が大きく響いて聞こえて、翼は鼓膜も背も震わせる。  三澤も一応プリントをするのか。どうしよう、ふたりきりだ。怖いし気まずい。  とにかく早く終わらせて教室から出て行こう。配信される映像授業も真面目に受けていたから、難しいと思う問題はない。  翼はそう考えてプリントに集中することにし、小一時間ほどで仕上げた。見直したから間違いもないと思う。  よし、と頷いて席を立ちかける。流れで三澤のプリントが目に入り、翼は心の中で「えっ」と声を上げた。  半分は同じプリントだからわかる。解答がほぼ間違えているのだ。それに進みがものすごく遅い。このままでは下校完了時刻までに間に合わないんじゃないか。翼が席を立てば「おい、終わったなら答えを見せろよ」と言ってくるかもしれない。    けれど翼の視線にまったく気づく様子のない三澤を見ていてふと思った。  そのつもりがあれば、この一時間の間に翼を脅して答えを見ただろうし、やる気がなければ進まないプリントを置いて帰るんじゃないか……。  おそるおそるでも三澤の横顔をちゃんと見てみる。  必死に見える。三澤は眉をしかめて額に手を当てながら、解答欄に新たに答えを書き込んだ。  ──違う。まったく違う。ああ、また次の問題も間違えている。  翼は思わずぷるぷると頭を振り、細い直毛を揺らした。  ひどすぎる。駄目だ。これじゃあ下校時間どころか明日の朝までかかってしまう。とても見ていられない。 「そこはheじゃなくてhimだよ!」 「え?」  しまった。自覚なく口に出してしまった。余計な口を出すなと怒鳴られるかも。  反射的に身構えると、 「なんで?」  怒鳴りはしないまでも鋭い眼光を向けてくる。 「あ、あの、時間、かかったら大変だなって、その、余計なことして」  ごめん、と唇と指を震わせつつもなんとか言いかけた。すると、 「ここがなんでその答えになるんだ?」  三澤はプリントの問題をペンで指した。  これは、もしかしなくても解説を求めているのでは……翼はまだ少し怯えつつ、そして言葉を噛みつつも、丁寧に説明をした。その(かん)三澤はまた眉根を寄せはしたものの真剣に耳を傾けていて、説明が終われば「へぇ……なるほどな。わかった」と大きく頷き、答えを書き込んだ。  そして、 「教えてくれてサンキュ!」  三澤が輝くような笑みを見せたのは、その直後だった。  翼の脳裏にぱぁぁと朝日が浮かぶ。  中学三年生で受けた手術の翌早朝、病床の翼の瞳に映りこんだ眩しい朝日だ。  生命力に溢れた、暁の空を照らしたあの朝日だ。  三澤の不意打ちの笑顔にあの日の朝日を重ねた翼は、席を立たなかった。椅子を三澤の席に寄せ、最後まで三澤のプリントに一緒に取り組んだのだった。

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