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第3話 置いてけぼりに、されたくない

その後終礼より二時間強かけて、無事に(三澤の)プリントを終え、ふたり揃って職員室に提出をした。 「ホント助かった。ありがとな、大塚」  自然の流れで校門まで一緒に出ると、三澤が律儀に頭を下げてくる。  強面だし、翼より二十センチほども背の高い三澤はやはり迫力があるが、こうしてきちんとお礼を言ってくれる。教室での笑顔も翼の警戒心をやわらげていた。  それに休学ばかりの翼がクラスメイトに感謝されたことなんて、数えるほどしかない。単純に嬉しい。 「いや、そんな、これくらい」  照れくさくて、無意識に髪に触れる。左手を上げていた。  するとどうしたことか、三澤がラバーバンドごと左手首を掴んできた。 「大塚、礼がしたい。俺のとっておきの場所へ案内する」 「えっ」  「とっておきの場所で礼」だなんて、突然なにを言い出すのだろう。  薄れていた警戒心が再び顔を出した。  見た目に反して根はいい人なのかもと思ったのに、悪い想像が浮かぶ。  もしかして、不良の集まりに翼を連れて行くつもりでは……入院中に読んだ漫画で見たことがある。背中に「夜露死苦」と刺繍をした特攻服を着た不良たちが、改造バイクに乗って集まるのだ。そこに翼を連れて行って、「仲間に入れてやるから礼金を出せ」と逆に脅してきたり、翼を不良グループに入れて、舎弟として扱ったりするつもりじゃないだろうか。  「今ならまだ大丈夫だ。急ぐぞ」  ぐるぐると考えていると、三澤がぐいっと手を引いてくる。 「わわっ」  リュックも奪われた。三澤はふたり分のリュックを左肩にかけると、翼の手首を掴んだまま駆け出す。  どうしよう。友達が欲しいとは思っていたが、不良グループには入りたくない。帰りが遅くなったから母親も心配しているはずだ。  それになにより、胸が苦しい。  足の長さがある三澤にとっては小走りでも、走ることを禁じられている翼にとっては大きな負荷だ。 「はあ、はぁ……三澤、君、止まって。僕、走れないんだ」  二分と持たない。切れてしまう息の合間に勇気を出して言うと、三澤は急停止して振り向き、驚いた表情を見せた。 「顔、真っ青じゃねぇか! どうした、大丈夫か。俺のペースで歩きすぎたか。ごめん、ワリィ。ごめん!」  三澤こそ青い顔をして、必死で謝ってくる。  まさか歩いていたつもりとは思わなかったが、教室での笑顔といいこの様子といい、三澤の不良な外見とのギャップが大きくて、やはり怖い人ではないのでは、と思えてくる。 「ううん。大丈夫、謝らないで」  三澤は悪くないのだし。  病気のことは伏せてくださいと学校に伝えているから、このくらいで翼が調子を崩すなんてわかるはずもない。 「気がつかなくて悪かった。体調が悪そうだな。礼はまた今度するから、今日はもう帰ろう」  翼の手首を掴んでいた手が、ぱっ、と離れる。そのとき、過去友達だった子どもの姿と声が、翼の体をスイッと通り抜けた。  ──翼君は病気だから仕方ないね。遊ぶのは今度にしよう。バイバイ!  ──また体調悪いの? 無理しないで今日はもう帰った方がいいよ。またね! 「待って。行かないで!」  置いてけぼりになるのが怖くて、咄嗟に三澤の腕にすがった。 「みんなそう言うんだ。また今度って言うけど、今度はこない。みんな心配はしてくれるけど、そばにはいてくれない。僕が心臓の病気だから……!」  どうして今日話したばかりの不良の三澤にこんなことを言ってるんだろう。どうして泣きそうになりながら病気のことまで話しているんだろう。  でも、三澤は聞いてくれる気がする。  彼の外見とのギャップがそう確信させる。  この人はぶっきらぼうなだけで、中身はあの笑顔のようにあったかい人のはずだ、と。  顔を上げてみる。  三澤は翼に肘を掴まれたまま突っ立っているが、瞳はまっすぐに翼を見ていて、そこに困惑や不承を感じさせる色はないように思えた。  翼は腕に掴まったまま呼吸を整えて、両親にしか話していない気持ちを打ち明けた。  友達が百人欲しいなんて思わない。でもたったひとりでいいから、たとえば言葉を交わさなくても気持ちが通じ合うような友達が欲しいんだと。  翼が学校を休んでいても、顔を思い浮かべてくれるような、そんな友達が欲しくて今日、久しぶりの学校は怖くもあったけれど、頑張ろうと思って来たんだと。 「そっか、それでずっと休んでたんだな」  翼が心に積もった(おり)をすべて出し切ってしまうと、ぽんぽん、と肩を叩いてくれる。  それから、キリッとしたつり目が細くなるほどの笑顔で右手を差し出した。 「じゃあ、立候補する。俺と友達になってくれ!」 「友達……」 「おう。俺はもう友達だって、勝手に思ってるけどな!」  目の前がチカチカした。  その笑顔が朝日のようだったからだろうか。それとも動悸が激しいときに貧血を伴うことが多いから、前駆症状だろうか。だがもう苦しさは収まってきているし、目の前が暗くなったりもしない。  ただ胸が「ふにゅ」と収縮した。痛みはなく、どちらかと言うとこそばゆいような、心臓の端の端にマシュマロみたいに柔らかい部分があって、そこを指先でふにふにと揉まれたような、こそばゆいような不思議な感覚だ。 「……うん、友」 「よし、じゃあ、乗れ!」 「え?」  三澤は翼が返事を言い切るのを待たずに握手の手を引いてしまう。そうかと思うと、突如翼の真ん前にしゃがんだ。  腕は鳥の翼のように後ろに回している。 「ほら、早く!」  それは紛れもなくおんぶのポーズだった。  戸惑うばかりの翼だが、三澤は翼の脛に手を回してきて、器用に背負ってしまう。 「わ、わわっ」  急に立ち上がられて、翼の目は縦方向に流れる景色の変化についていけない。思わず三澤の首にしがみついてしまう。 「よし。俺が走ってやるから、そのまましっかりつかまってな!」  そう言って、本当に走り出す三澤。それも結構なスピードがある。  三澤の体格がよく、翼が小柄で痩せているからといって、おんぶをして重くないわけがない。けれど三澤の足取りも翼をかかえる腕も、広い背中も力強くて、翼は彼の頼もしさに体と心をゆだねた。  頬に当たる夕方の風が気持ちよかった。  スピードを付けて後ろに流れていく景色は別世界のようだった。  そして、風になびく三澤の赤い髪は、今の空の色と同じでとても綺麗だった。  朝日のような笑顔の、焼けた空色の髪の三澤。  彼はどこか、お守りの赤いラバーバンドをくれた、翼のヒーローに似ていた。

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