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第22話 キス

*** 「大塚……」  三澤の声がすぐ近くで聞こえる。  けれど姿が見えないのは、翼が瞼を閉じているからだ。  最終的にクラスが全校内で最高得点での優勝だったことを知って大喜びし、無事に旗持ちも終えて気が抜けたからだと思う。退場門を抜けた直後、翼はその場でしゃがみこんでしまった。  三澤や天宮、昼食を共にする女子が翼の名を呼ぶ声がしたが、それがどんどん遠くなった。 「大塚?」  もう一度声が聞こえた。もう三澤の声しかしない。それ以外は静寂に包まれている。  ここはどこだろう。薬品のかすかな香りがして、硬いが寝心地は悪くない場所に背が付いている。  ああ。保健室かな、と思った。高校に入ってからはなかったが、疲労で倒れてしまったのだろう。もう大丈夫そうだから早く瞼を開けないと。  ……でも。もう少しここで微睡んでいたい。  どうやらここには三澤と翼だけのようだ。室内に保健医がいるかもしれないが、ベッドのそばに付き添っているわけではないだろうから、久しぶりに三澤とふたりだけだ。  静かに名前を呼んでくれるのが嬉しい。  大きな手で額を撫で、髪を梳いてくれるのが嬉しい。  もう少しだけ、このままでいたい。 「大塚……まだ起きないか……」  頬を包んで問われた。  なんて優しい手だろう。いい心地だ。ただそろそろ起きないと心配をかけてしまう。  翼はゆっくりと瞼を開こうとした。けれどどうしたのか、三澤の気配がとても近い気がする。 「……?」  様子を窺いながら、おもむろに瞼を開いた、ちょうどそのタイミングだった。 「!」  三澤の唇が翼の眉間に降りたのだ。  翼の目は寝起きのものとは思えないびっくり目になる。と同時に三澤の唇が離れ、バチッと視線が絡んだ。 「……! あ、お、起きっ、起きてっ……!」  三澤が驚いた猫のように顔面を固まらせ、背筋を伸ばす。そうかと思うとガタン、と丸椅子を倒して立ち上がり、「ごめん!」と言いながらベッドの囲みカーテンを開け、外に飛び出していった。  ───な、な、なに、今の、なに……!  翼はまったく状況を掴めず、頭の中では思考の渦がグルグルと渦巻いている。  共に心臓がドキドキと高鳴り始めた。なんだろう、なんだろう、なんだろう……声も出せないまま胸元を握る。と、ダダダ! と足音がして三澤が戻ってきた。  太陽のイラストよりも真っ赤な顔だ。照れた顔は数回見てきたが、ここまで赤いのは初めてだった。 「えっと、ワリィ。さっきの、熱を、熱を測ろうとして、それで」 「あ! ああ、そっか、そうなんだ。ありがと! 熱はなさそう!」  そうか、熱を測るために額を合わせようとしてズレたのか。今どき珍しい測り方だが、三澤は弟妹がいるため日常なのかもしれない。  うん、そう。多分そうだから落ち着け、落ち着け。  翼はドキドキしている胸に言い聞かせるように心で呟いた。  その後、席を空けていたらしい保険医がすぐに戻り、翼の体調チェックが終わると、ふたりで校門を出る。  心なしかまだ動機がしていて体も熱かったが、意識していては三澤に変に思われるだろう。  あれは翼が親友だからだ。だから凛音や獅央と同じようにしただけだ。最初のおんぶもそうだったのだし。  うん、と頷いて隣を歩く三澤を見上げる。  彼はまだ頬と耳をほんのりと赤く染めていて、翼も頬のほてりが感染してしまう。 「……倒れてごめんね」  それでも会話の糸口を探そうと口を開いた。 「楽しくてはしゃぎ過ぎちゃった。でも、ホントに楽しかったから……三澤君?」  三澤が足を止め、不意に翼の左手首を握った。 「大塚ごめん。俺、嘘ついてる」 「え?」  三澤に一番縁遠そうな言葉に戸惑うも、そう言っている彼はなにかを決意したような……そう、この表情は人間の姿のレッドがヒーロー姿のレオニーレッドに返信する直前の表情だ。  勇ましさに目が離せない。翼は彼の瞳を見つめて次の言葉を待った。 「俺な、さっき」  三澤は一度まばたきをして、次に鼻からすうっと息を吸うと、はっきりとした口調で言った。 「大塚にキスしたくて、やった」 「え……」  キス。  そんな言葉が出たことにも驚くが、したくてやったとはどういうことなのか、また頭の中がぐるぐるし出す。 「初めてじゃねぇ。二回目なんだ。前は大塚が家に泊まりに来た夜。……どっちも、寝込みを襲って気持ちワリィことして、ごめん」  気持ち悪い? そうだっただろうか。  翼は無意識に眉間に指先を当てる。  そうだ。泊まった日に夢の中で……夏の日の素敵な夢を思い出す。優しい赤ライオンが翼の汗を拭い、水を飲ませてくれた。それから眉間に湿った鼻を当ててくれて。  あれが一度目のキスだったのだろうか。  けれどあのとき、その心地よさに翼は安心して眠りの中に入った。さっきだって、驚きはしたものの、気持ち悪いなんて欠片ほども思わなかった。 「気持ち、悪くなんかないよ。三澤君ならいい。でもどうしてキ、キ、キスしたいなんて」  いくら親友でも、そんな描写は漫画やドラマにはなかった。 「大塚、あのな」  三澤の瞳が熱く揺れる。翼の手首を握っている手も湿りを帯びた。 「俺な、大塚が好きだ」  とすん。  その言葉は、翼の胸に温かな塊となって落ちてきた。  けれどよくわからなくて。  翼が三澤に感じている「好き」とはニュアンスが違う気がして、頭の中がキスされたとき以上に渦巻き始めた。同じく胸がドックドックと騒ぎ出し、胸に落ちてきた「好き」をはじき飛ばしてしまう。 「あ、あの。それって、僕が三澤君を好きなのと同じこと?」 「違う。俺は友達以上に大塚を好きになってる……惚れてるって意味だ」 「……!」  もう声は出なかった。その言葉を咀嚼できないほど胸が騒いでいる。なにも考えられない。 「ご、ごめん。僕、なんだかここが変だから、もう帰るっ」  帰らなきゃ。ひとまず帰って動悸をおさめて、それからゆっくりと考えるんだ。  翼は胸をぎゅっと握り、三澤を置き去りにして駆け出してしまった。 「おい、大塚、待て! 走るな!」  そう言われても止まれない。止まったら、今三澤の顔をまともに見たら、心臓のほうが止まってしまいそうなんだ。 「あっ」  「痛って!」  だが、がむしゃらに進んだためか、通行人の腕に翼の肩がぶつかった。 「……いってぇな! どこ見てんだよ!」 「ご、ごめんなさ」   謝ろうと顔を上げる。今度は息が止まりそうになった。  相手は夏の日に花火をしに行った公園でバイクに乗っていた男だ。もうひとりの男もその隣にいる。  遠目だったが間違いない。

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