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第3話 酷いキス
結局、一睡もできないまま智颯を抱き締めて朝を迎えた。
そんな夜が、もう三日も続いている。
(俺は草だからね。快楽責めも、その逆の忍耐も出来るけどね。好きな子抱き締めて何もできないのは結構辛いんだよ)
キスしてくれるくらいだし、いっそそれ以上のことをしてしまおうかとも思うのだが。
智颯は夜の出来事を一切、覚えていない。
次の日の朝、すっきりした顔で「よく眠れました」と言われてしまったら、何もできないし、言えない。
(夜、ベッドであれだけキスしてくれても、昼間は全くだもんなぁ)
昼間の智颯には、そんな雰囲気も隙もない。
うっかり顔が近付くと、自分からキスしたくなってしまうので、近づかないように気を付けていた。
「あの、円 さん」
智颯がおずおずと円に声を掛けた。
「やっぱり、一緒だと眠れませんよね。僕、今日からソファで寝ますから。寝ている間に何かしていたんなら、本当にすみません」
「何か、してた自覚、あるの?」
智颯が俯きがちに首を振った。
「その、妹にも直桜様にも、他人と一緒に寝ないほうがいいと注意されたので、多分、相当寝相が悪いんだと思います。自分では全くわからないのですが」
「あ、そう……」
妹も直桜様とやらも、もっと具体的なアドバイスをしてあげてほしかったなと思う。他人の円に指摘されるより、衝撃は小さくて済んだはずだ。
「もし不快でしたら、解析室の助手も辞退します。本当にすみません」
智颯がやけに恐縮している。
円の態度が、かなり悪く、或いは怒っているように映ったのだろう。
(辞められるのは困る! ……いや、もしかしたら、そのほうが、良いのかもな)
自分が思っている以上に、自分は智颯に惹かれている。これ以上は本気になりかねない。そんな自分の気持ちを、草の本能が拒絶する。
(これ以上、俺が智颯君を好きになったら、しんどい。でも……)
ちらりと、智颯に目線を戻す。
顔を真っ赤にして、智颯が円に向き合っている。
本当なら、その体を今すぐにでも抱き締めたい。
(今、離れる方が、後悔するのかもしれない。この気持ちって、一体、何なんだろう)
三次元に興味などなかった自分が智颯にだけこれほど反応して惹かれる理由は、何なのだろう。理想というだけではない。もっと別の引力を感じずにはいられなかった。
(運命、なんて、ゲームや漫画にしても今時、古いっていうか。そもそも感じてるの俺だけだろうしな)
智颯の姿を眺めながら改めて、どうしようかと考える。
正直、寝相が悪いとか、そういう話ですらないのだが。真面目ゆえに完璧であろうとする智颯の唯一の、どうにもできない悪癖なのかもしれない。
「智颯君、さ。妹さんと、直桜様、以外の人と、一緒に寝たこと、ある?」
「いえ、円さんが、初めてです」
「そっか」
ちょっと嬉しかった。
密かな優越感が込み上げる。
(他人では、俺しか、智颯君の寝相の悪さ、いや、キス魔の姿、知らないんだ)
円は椅子から立ち上がり、智颯がいるソファに移動した。
「智颯君、ここ、座って」
智颯をソファに座らせる。智颯の膝の上に、腰を下ろした。
「えっ! 円さん⁉」
慌てる智颯はお構いなしに、肩を抱き締めた。
智颯が硬直している。
「俺、ね、人と、話すの、苦手。引きこもりで、最近、やっと、ここで、仕事、できるように、なったの」
「そう、なんですね」
智颯の声が耳元で響く。
声すらも、愛おしいと感じる。
「智颯君とは、ちゃんと、話せる。だから、智颯君が、いなくなって、他の人になるのは、困る」
「わかりました。仕事は続けます。でも、やっぱり夜は」
智颯の唇に人差し指をあてた。
指を滑らせて顎を持ち挙げると、唇を重ねる。
智颯の体が、びくりと跳ねた。
「びっくり、した?」
智颯の顔を眺める。
言葉を失くした智颯が頷いた。
「ビックリ、したけど……」
「覚えがある感触、だったでしょ?」
智颯が顔色を変えた。
どうやら全く身に覚えがないという訳でもないらしい。
「智颯君が、毎晩、俺に、してること。でも、それだけ。それ以上は、ないよ」
「夢なんだろうと、思って。僕、とても失礼なことを……」
智颯の顔が真っ赤になり、目が潤む。
羞恥と後悔だろうか、それとも怒りだろうか。
(あぁ、推しのこういう顔、最高過ぎる。もっといろんな顔を見てみたい)
顎を持ち挙げて、唇に吸い付く。
舐め挙げ、閉じた口を舌で無理やり割り開く。
智颯の手が円の腕を強く掴んだ。
逃げようとする体は、膝の上に乗る円に抑え込まれて動けない。
口内を舐め挙げ、舌を絡めて吸い上げる。
優しく上顎を舐め摩ると、智颯の力が抜けた。
くちゅくちゅと、わざと水音を立てて強引に舌を絡める。
円の服を必死に掴む智颯の手に力が入ったのが分かった。
涙の溜まった目を、智颯がギュッと瞑った。
(くっそ可愛い。きっとこんなキス、初めてなんだろうな。初めて奪って、ごめんね。でも、止まんない)
薄く目を開いて智颯の顔を観察しながら、ねっとりと口内を犯していく。
「ん、ぁ、ぁ……」
智颯の口から喘ぎが漏れて、緩んだ口元から唾液が流れた。
絡めた舌を強く吸って離す。顎まで流れた唾液を舌で舐め挙げた。
「智颯君、声まで可愛い」
思わず本音が零れてしまった。
息を荒くして顔を蕩けさせる智颯の頬を撫でる。
「智颯君は、俺に、こんなキスは、しなかった、よ。俺の方が、酷いこと、した」
顔を抱いて、唇に触れるだけのキスをする。
「辞めたく、なった?」
智颯が円の胸にしがみ付いて、必死に首を振った。
「辞めない。辞めません。僕がしたこと帳消しにするために、もっと酷いこと、円さんは僕にしたんですよね。円さんに酷いキスさせたのは、僕です。だからちゃんと、責任を取ります」
まだ紅潮した顔で、智颯がきっぱりと言い切った。
(責任とか、発想が真面目だな。助っ人を続けてくれるなら、有難いけど。奪われたのは自分だって気付いてないのかな)
むしろ、円的には俺得だった。智颯のキス魔という悪癖暴露に便乗して好きなようにキスしたのだから。
(可愛い蕩顔拝めたし、キスだけで声が漏れちゃうくらい感じやすいってこともわかったし)
嫌われない程度に今後の参考にしようと思った。
「責任とかは、考えなくて、いいけど。助っ人は、続けて、ほしい。嫌じゃなければ、だけど」
「大丈夫、です。…………円さんのキス、嫌じゃなかった、から」
俯いて小さく呟く智颯の顔が赤い。
一瞬、耳を疑った。
(今、キスが嫌じゃなかったって、言った? 言ったよな? え? 本当に?)
助っ人の仕事が嫌じゃなければ、という意味で言ったのだが、智颯は違う意味で捉えたらしい。
思わず智颯の腰に腕を巻き付けて、肩に顔を押し付けた。
「そういうこと、いわれると、勘違いする、から、やめて」
「え? 僕、やっぱり辞めた方がいいですか?」
「そうじゃない……」
顔を上げて、智颯を見詰める。
「敬語なしで、話して、ほしい。あと、俺のこと、円 て、呼んで、ほしい」
「……円 は、上司なのに、敬語じゃなくていいんですか?」
早速、円と呼んでくれたことが嬉しくて、胸が熱くなる。
「俺は別に、智颯君の上司じゃ、ないし。親しい人は、姉さんとか、俺を円 て呼ぶ、から。智颯君にも、そうして、ほしい」
智颯が少しだけ黙り込み、考え込んだ。
「それは、遠慮しなくてもいいということでしょうか?」
円は頷いた。
智颯がキリっと表情を変えた。
「わかった。じゃぁ、円。これから共に仕事をする仲間として、共同生活のルールを決めよう」
声も表情も一変して張りが出た智颯に、臆する。
「色々とツッコミたいことはあったんだ。平等でいいなら、僕も僕らしく円と接することができる」
「え? うん、いいけど、え?」
智颯の豹変ぶりに、戸惑うことしかできない。
「まず、話すのが苦手なのは仕方ない。これから慣れていけばいい。だが、突然行動に移すのは感心しない」
「はい、ごめんなさい」
勢いが凄くて、謝ってしまった。
「特にこんな風に抑え込んで、キス、するとか、良くないだろ。他の人には、絶対にするなよ」
智颯の顔が照れている。
照れ以外の何物でもない顔をしている。
「俺に、他の人に、キス、して、欲しくないって、こと?」
智颯がぐっと顔を上げた。
さっきの照れに更に羞恥が混じった表情だ。
(肯定以外の何物でもないよね、その顔! もしかして独占欲とか湧いちゃった感じ?)
智颯が顔を逸らして口元を抑えた。
「あんなキスされたら、……好きに、なっちゃうかもしれないだろ。誰にでもしていいことじゃない」
心臓が爆発したかと思った。
力が抜けて、智颯の胸に凭れ掛かった。
「じゃぁ、智颯君も、俺以外の人と、寝ないでね。キス魔に、なったら、嫌だから」
「寝ないし、しない! 円とも今日から別々に寝る!」
「嫌だ。今日も、一緒に、寝よ」
もたれたまま、智颯に抱き付く。
「寝ない! いいから、もう離れろ。仕事するぞ」
引き離そうとする腕の力は、本気の強さではない気がした。
これから始まる二人での仕事に、期待と興奮しかないと円は感じていた。
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