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第1話
てつやは、テーブルの上の長細い箱を見つめ、腕組みをして悩んでいた。
「なんーーかモヤモヤすんだよな…」
箱の中身はネクタイ。薄いプラスチック状のカバーが中身を見せている。
派手ではないオレンジ色の小花なんかが散っているセンスのいい、ポールスミスのネクタイ。
「う〜〜〜ん…」
てつやはなんだか、自分でも訳のわからない感情と戦っていた。しかし…
「あっいけねっ、いかなきゃ」
と思ったのは時計を確認してから。
今日は、京介の実家に出向いて、眞知子母さんから唐揚げの作り方を教わるのだ。
一人暮らしが長い割に、料理はカレーと袋麺、焼きそば程度しか作れないてつやが、なぜ難易度の高い唐揚げかというと、京介が唐揚げが好きだから…。
急にてつやが乙女になったわけではないが、なぜか自分の作った唐揚げを京介の誕生日に食べさせたかった。
去年のてつやの誕生日には、居酒屋に行って飲み尽くしたが、京介は家でゆっくりしたいなぁといった。多分イチャイチャしたいだけ。
そんな京介の要望にも応えるつもりで、手作り唐揚げ。
それ以外は作れないが、とりあえず唐揚げマスターをめざすことにしたらしい。
眞知子さんに言われたものを買って、京介の実家へ向かう。
「ちわ〜〜」
チャイムを押して玄関へ入れてもらってから、挨拶。
「いらっしゃい、てつやくん。準備はオッケーよ」
相変わらず可愛らしい妖精のような眞知子母さんは、いいね!の指をしていたずらそうに笑っていた。
「内緒で作るんでしょ?なんかワクワクするわね」
「隠すほどのものじゃないと思うんっすけどね。あ、材料買ってきました。足らない物あったら買ってくるんで、確かめてもらっていいすか」
そのまままっすぐキッチンへ向かい、ダイニングテーブルの上で眞知子母さんは一個一個確認してくれた。
「にんにく、生姜、鶏肉、やだ、お醤油までかってきたの?調味料はうちにあるって言ったのに〜」
でっかい醤油瓶をテーブルに置いて、おっきいわね、と笑って
「いいんじゃない?片栗粉ないけど、それはうちにあるからね、買わなくていいわよ」
ああ、言われてたのに。と忘れたことを反省しながら、すんませんと頭を下げた。
「あ、それと、ケーキ買ってきました。あとでお茶しましょう。ご家族分あるんで、詩織とお父さんにも食べて貰って」
「えーほんとに?ありがとう。あら!これ、「魔法のほうき」のケーキじゃない!てつやくんわかってるわね」
ニコニコと箱を持つ眞知子さんは本当に可愛い。
詩織というのは京介の妹で、6歳違いの今20歳の大学2年生。
てつやたちの仲間内ではやはり妹扱いで、結構遊んでやった記憶もあり、詩織も京介の仲間には慣れ親しんでいた。
「お肉漬け込む時間もあるから、その時に食べましょうね」
フンフンと鼻歌を歌いながら冷蔵庫へケーキをしまい、さて、とジップロックを取り出した。
「取り敢えず、漬け込みからね。この袋に、お醤油…そうねこのお肉の量だと…って言うかお肉も多いわね。じゃあお醤油大さじ5と、ニンニクチューブ適当生姜チューブ適当入れてみて」
「適当がどう適当なんだか…」
「あ、ごめんなさい、いつも適当だから。じゃあチューブ2cmくらいでいいかしらね」
わかった、とてつやは用意された道具できっちりとこなす。
「そこにね、お肉半分入れて、よーくもみもみするの」
案外てつやは几帳面な性格だ。
モミモミもじっくりこなすが、さっき出発間際のモヤモヤがなぜか肉感で蘇ってきて、知らず力がこもっていたらしい
「てつやくん?お肉がペーストになっちゃう…」
眞知子さんが不安そうに見上げてきた。
「え?あ、すいません」
ジップロックは手の中でくっちゃクチャになり、肉はもう十分調味料を纏っている。
「なんかあったの?」
塩味の方を揉んでいた眞知子さんが、今度は目を見ずに言ってきた。
「やー特には…」
ジップロックを平にならし、テーブルに置く。
「じゃあ、お肉が浸かるまでお茶にしましょ」
いつもの笑みを向けてくれて、お肉を冷蔵庫へしまいコーヒーメーカーのスイッチを入れた。
「てつやくんはどれがいいの?」
「あ、俺はそのカップのやつ」
カップのケーキは、ヨーグルトクリームが乗っている、あまり甘味の多くないもの。てつや が好んでいるものだ。
まちこさんはそれをお皿に乗せて、スプーンをつけてくれた。
そして、私はこれー、と定番のいちごショートをお皿に乗せて、テーブルに置き、
「今コーヒー持ってくから、リビングのテーブルに行っててね」
へーい、と返事をしてケーキを2個とも手にしながらてつやは勝手知ったるリビングへ赴いた。なんせ高校時代1ヶ月ほどここで暮らしたし。
「で、どうしたの?」
ケーキを口にして、眞知子さんは座って高低差がなくなったてつや の顔をじっと見てくる。
「へ?」
「何かあったでしょ」
女性の勘というか、てつやも何か空気を出してたのか、眞知子さんは何かあったと疑わない。
「本当に何もない…って言うか、特別なんかあったわけじゃないんですけど、女性がネクタイをプレゼントする心理ってどういうもんなのかなーってね」
カップのケーキをホジホジする割に口に入れない動作は、何か言いにくいことを言ってるような感じ。
「え?ネクタイ?ん〜〜昔はね、『あなたに首ったけ』なんて意味があったようだけど、今は、使用頻度高い人なら間に合わせにいいかもね、くらいじゃないかしらね。なに?てつやくんが貰ったの…」
そこまで言って、てつやが普段ネクタイを必要としていないことと、京介がサラリーマンなこと。そして2人の誕生日を思い浮かべた眞知子さんは
「あ…京介ね。京介が貰ってきたんでしょう」
「あ、いやその…まあ…」
自分のモヤモヤの原因も判っていないうちに、鋭く切り込まれて動揺する。
「でも会社の人でしょう?てつやくん気にしてるの?気にしちゃダメよ〜」
え、俺気にしてるのか?とモヤモヤの一端が見えてくる。
「気にしてるわけじゃないけど、なんか意味があるんかなーって思って」
「意味があったら大変じゃ…」
眞知子さんはふと思い立って言葉を止めた。この2人が指輪を揃えた大元の原因を聞いていたので、ちょっと不穏な顔をする。
「それくれたのって、例の女性なの?」
「ええ、まあ」
それじゃあてつやくんが複雑な気持ちになっても仕方ないわよね!そもそも悪いのは、その女性から受け取ってくる自分の朴念仁息子だ!と眞知子さんはいきり立つ。
「もー、京介ったら!てつやくん不安にさせて!」
「俺やっぱ不安になってるんすかね…なんかよくわかんないんだけど、ちょっとモヤモヤするっていうか…」
言ってみればあまり恵まれて育ってこなかったてつやは、他人に「嫉妬」をするという感情が育たなかったのだ。
自分の物と言うものがそんなになかったから、人が持ってるものと比べようもなく、なので羨ましいとか思ったことがない。
ただここでモヤるのは、相手がやはり京介だからだろう。
「そりゃあそうでしょう。京介の目が移るってことは1000%無いけれど、告白された女性からどんな理由にせよ、プレゼントを貰ってくる京介が悪いのよ!」
眞知子さんは、フンスフンスと息も荒く、ケーキを頬張っている。
少し話したせいか、気が楽になったてつやは笑って
「眞知子さん、落ち着いて」
と逆に宥めるようだった。
それから30分ほど、そのネクタイの話を聞いたり話したりして、漸く唐揚げ作り開始。
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