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Noblesse oblige

 久秀さんは自己犠牲の人だと思う。揉め事があれば、必ず自分が矢面に立つし、時には悪役にもなる。だいたいそういうときは、自分より若い人を護るときだ。むろん、オレだって何度も助けられたことがある。  それは、オレが久秀さんの恋人だからというわけではなく、役者としても芽をつぶさないようにするため。  だから、今回も久秀さんは、未来のある役者を護るために、前に出たのだ。  今回の舞台は「ネットいじめ」をテーマにした作品である。  いたって普通の女子高生であるヒロインが、ひょんなことからトラブルに巻き込まれてネット掲示板に誹謗中傷を書き込まれてしまう。そして、その掲示板に書き込まれた人物は、必ず死んでしまうという。そういった事件を解決するために、ネット犯罪を解決する部署に所属する刑事二人が、その女子高生と出会い、彼女をあらゆるものから守るうちに、その事件の裏に隠された真実を知る。というような内容だ。  刑事二人を演じるのは、高野久秀さんと南雲洋一さん。ヒロインをオーディションから選ばれた現役女子高生である狭山あゆむさんが演じる。オレや久秀さんや南雲さん、ヒロインの両親や教師以外は全て現役の高校生という異色の舞台である。  現場は至って和やかだ。高校生チームは同学年ということもあり、女子と男子でグループが分かれている。女子チームはきゃあきゃあと歓声を上げてコスメや恋バナをして盛り上がっているし、男子チームは『オトナのオトコ』に強い憧れがあるのか、久秀さんと南雲さんによく話しかけていて、ときに下世話な話をしているのをよく見かける。  オレは外国人ということもあり、日本語ができないと思われているのか、そこまで話かけてはこない。別に慣れたものなので、先輩役者たちと話しているほうが居心地が良かった。  ある稽古の日。その休憩時間に、あゆむが何かを話しかけたげに、久秀さんと南雲さんを見つめていることに気が付いた。  彼ら二人は、なにかの話で盛り上がっていて、笑い声をあげている。  あゆむはそこまで引っ込み思案、というタイプには思えない。挨拶とすると、きちんと挨拶を返してくれるし、他の女の子たちとも年相応にはしゃいでいる。  彼女は真面目な子だ。初舞台でしかも自分の親と同い年ぐらいかもしれない男二人との絡みがある。そして、久秀さんと南雲さんは、背も高く筋肉質で、普通にしていても話しかけにくい雰囲気を出している。  実際に話してみると、二人は気のいいオジサンなのだが、高校生からすればとても怖い存在なのだろう。 「あゆむちゃん、お疲れ」  なんとなく放っておけず、そう話しかけると、あゆむは驚いたように目を見開いて戸惑ったように表情を曇られた。 「ああ、オレ日本語喋るのも聞くのも大丈夫やから、英語でなくてもええよ」  言い添えるとあゆむはほっとしたように胸を撫でおろした。 「高野さんと南雲さんになんか用事あるん?」 「あ、いや、そういうわけじゃ、ないんですけど」 「芝居の相談? それやったらあの二人はちゃんと聞いてくれるから心配せんでもええよ」  オレの言葉にあゆむはさらに困ったように眉を顰める。彼女の反応に、われながら無茶を言ったものだと思った。あれだけ威圧感バリバリの男二人に話しかけるには、彼女ひとりでは難しいのだろう。その証拠に、女子チームが久秀さんと南雲さんに話しかけているのを見たことがない。  彼女ぐらいの年齢の子たちは『年上の男性』に憧れているものだったと記憶しているが、あの二人は年上すぎるのだろう。  あゆむと話をしながらどうやって引き合わせようか考えていると、ちらちらと視線を感じる。言うまでもない、久秀さんだ。  ヤキモチ妬きの久秀さんが、オレとあゆむのことをさりげなく見てきているのが分かった。  これを利用しない手はない。  オレは顔を久秀さんたちの方へ向ける。ばちっと久秀さんと目があった。  あゆむについてくるように言って、二人の元へ歩みを進める。そして、久秀さんを見上げながら、ポンと肩を押した。 「何見とんじゃい、ワレェ!」  わざとけんか腰にすごんで見せると、久秀さんとあゆむはぎょっとした顔をして、南雲さんはぶふっと噴き出した。 「……見てないっすよ」 「嘘つくな。ワイのツレのこと見とったやろ」 「だから見てないって」  見た見てないの応酬をする。オレが突然始めたエチュードにノッてきているが、久秀さんの顔は戸惑いの表情を浮かべている。南雲さんは肩を震わせて笑いながら、あゆむを後ろに庇って、ゴホンと咳払いした。 「はーい、お兄さんたちどうしたんですか?」 「コイツがジロジロ見て来たんじゃい」 「だから、誤解ですって。見てないって」  南雲さんはお巡りさんのようなことを言いながら、間に入ってきた。 「はいはい。詳しくは署で聞かせてもらうからね。今夜一晩、刑務所に泊まってもらうから」 「展開早すぎますって……」  ぽつんとあゆむがツッコミを入れた。その瞬間、オレたち三人はゲラゲラと大笑いをする。 「さすが、女子高生。ツッコミが冴えわたってるわ」 「ラスティって口悪かったんだな」 「ずいぶん可愛いチンピラだったなぁ」  勝手にショックを受けている久秀さんと、オレの頭を子どもにするように撫でながら南雲さんはしみじみと言った。 「あー、おもろかった。あ、そんでさ、ちょっとお二人に用事があるんやけど」 「なんだよ、ケンカだったら買うぞ」  オレの肩に腕をまわして久秀さんはすごんで見せる。本気でないことはわかっているので、はいはいと流すと久秀さんは悲しそうにオレを解放してくれた。 「用事って?」 「オレやのうて、あゆむちゃんがさ。相談したいことがあるんやって」  二人の視線があゆむに向けられる。あゆむはビクッと体を震わせてオレの後ろに隠れてしまった。 「……南雲、お前が怖いんだと」 「バカ言え、高野のが怖いんだよ」  似たような身長と体格とひげ面なので、二人ともそれなりに迫力があるため団栗の背比べもいいところだが、それを言うと余計にややこしくなるので、余計なことは言わないように胸の内に留めておくことにした。 「それで、相談だっけ。なにかあった?」  久秀さんがそう問いかけると、あゆむはすこしためらったのちに恐る恐る口を開く。  どうやら、三人での絡みのシーンで提案があるようだった。ちらちらと久秀さんと南雲さんの顔色を伺いながら、自分の思っていることを話す。それを二人は真剣な顔で聞き入って、頷いた。 「うん、いいんじゃない」 「えっ、本当ですか?」 「俺も異論はないな。狭山さんの案は面白い」  あゆむがこちらを見てきたが、オレは肩を竦めることで応える。 「女子高生らしいっつーのも変な話だけど、そのほうが自然でいいと思うよ。俺もそのほうが感情作りやすいし。俺らとの対比にもなって面白いと思う」  久秀さんは台本をパラパラとめくって、該当のページを開いた。そこは演出家もあまり指示を出していないシーンだった。 「やるなら俺は一枚噛むぜ。まぁ、その前に演出家センセーにお伺いを立ててからだな」  南雲さんの言葉に、久秀さんは苦い顔で「あー」と困った声を上げる。  この舞台の演出家はとにかく気難しく、話題性と人気だけを重視するような人だった。オレより少し年上ではあるが、その性格は子供っぽくて短気である。両親だか親戚だかのコネで演劇業界に入ってきたらしく、彼は自分を王様と勘違いしているのか、演者やスタッフ、果ては脚本家すらも見下していて、横柄に振舞っているのが目につく。  現に今も、女性スタッフを侍らせてオレたちの様子を面白くなさそうに見てきている。  今回の舞台の出演者はその演出家がすべて決めたらしい。オレはともかく久秀さんや南雲さん、そのほかのキャストは演劇界でも指折りの実力と話題性を持った人たちだ。  高校生を多くキャスティングしたのも、彼の趣味なのではないかと陰で言われている。  あゆむは途端に表情を曇らせて俯いてしまった。 「大丈夫だよ、俺が上手いこと言いくるめるからさ。もしなにか言われたら、俺の名前を出して」  久秀さんはそう笑って言って、胸をドンと叩いた。 「久秀さん、それは」  黙って聞いていたオレだが、慌てて口を挟む。 「だってさ、狭山ちゃんが提案したら、あの演出家さんはキレると思うぜ。それなら俺っつー防波堤がいたほうがいいだろ」 「高野。お前の悪い癖、出てるぞ」  さすがに南雲さんも苦言を呈する。しかし、久秀さんはどこまでもマイペースだ。 「なんだよ、南雲まで。こういう場合は、俺たちが若い奴らを守ってやらないとだろ。俺は若い芽が潰されんのは見てられない」  ここ数日、演出家は機嫌が悪いのか、高校生たちに対して理不尽ともとれる叱責をしている。ただのダメ出しならいざ知らず、人格否定までいくとやりすぎだ。男子も女子もその叱責に耐えられず泣いてしまうと、またさらに叱責される。  演出家は言いたいことを言うとすっきりするのか、今日の仕事は終わりだと言わんばかりに稽古場を後にする。そのあとの、若い子たちのケアをしているのは先輩方だ。  オレも演出家の態度や発言にカッとなりそうになるが、久秀さんに「とにかく我慢しろ」とキツめの制止をかけられている。オレと同年代の出演者たちにも、どちらにも同調せずに中立の立場でいろ。若い子たちから求められたときには、助けてやってくれと言い含められている。 「だからさ、あの人のところには三人でいこう。俺からあの人には話すから。それで、申し訳ないんだけど、狭山ちゃんは俺たちに提案された、みたいなテイでいてもらっていい?」 「はい、わかりました」  九割九分納得はしていないだろうが、あの演出家の理不尽さをあゆむも理解しているのか神妙な面持ちで了承した。 「じゃあ、ラスティ。そういうことだから」 「どういうことやねん」  急に話を振られても困ってしまう。おそらく、よけいな口出しはするなよと言いたいのだろう。むろん、オレはあくまであゆむが久秀さんと南雲さんと話すきっかけを作っただけであって無関係。  こういう場合の久秀さんは頑固なので、なにを言っても無駄だ。南雲さんも呆れたようにため息をついて、久秀さんの頭を小突いている。  そして、三人は演出家のもとへ向かい、演技プランについて話し合った。  それをハラハラとした面持ちで、他の役者陣が見守っている。久秀さんと南雲さんがいるのでそこまでの心配はしていないが、彼らのいないところであゆむが演出家からいじめらえるかもしれない。それを危惧しているのである。  オレはさりげなくあゆむと仲のよい女子チームのところにいって、稽古場にいる間は彼女を一人にしないようにお願いをした。 「あゆむ大丈夫かな」 「あのオジサン二人おるから大丈夫やとおもうけど、まぁ念のためね。もしどっか……それこそトイレとかってなったら誰か連いてって。オレからもお姉さん方に話しとくから」  女子チームが頷き、世間話を再開したことを確認すると、オレは自然を装って先輩方に声をかける。言ったことは、あゆむの様子を見ていてほしいということ。久秀さんと南雲さんがべったり離れないとは思うが、女性のほうが話しやすかったり頼りやすかったりするはずだ。  先輩方は快く了承してくれて、また「休憩中に雑談をしている」という芝居を始めた。  演出家はあゆむの出した提案を意外にも否定はしなかった。持ち掛けたのが『高野久秀』だったので、快諾したのだろう。これがあゆむであれば、イエスとは言わなかったはずだ。  稽古は怖いぐらいに順調に進んでいった。演出家の癇癪も起きなかった。ただ、休憩時間になるとなにがそんなに面白くないのか、不満げな表情を浮かべてわざと大きな物音をたてたり、露骨にため息をついたりしている。それだけで、稽古場の空気は悪くなり、誰一人物音をたてない静かな休憩時間となった。  そんなある日。休憩時間が終わるなり、演出家は集合をかけた。  曰く、お前たちは演出家を蔑ろにしている、と。  なにを言い出すのかと思った。オレたちがいつ演出家を蔑ろにしたとい言うのか。  彼の言い分としては『演出家への気遣いが足りない』『演出家は疲れているのだから、役者が肩のひとつでも揉むべきだし、飲み物を差し入れるべきだ』『休憩時間に談笑など言語道断。もっと芝居に熱意を持つべきだ』云々。  なになにすべき、と繰り返して荒唐無稽なことを言う。あげくの果てに『女子高生は演出家を気持ちよくさせるべきだ』とセクハラとも言える発言をする始末である。  自分には何某という演劇業界でも優れた人を親族に持つのだから、と大きな口を叩いて憤慨する。 「大根役者どもは演出家に従っていればいい。演出家は神なのだから。お前たちの変わりはいくらでもいる」  傲慢とも呼ばれる発言に、オレは瞬間的にカッとなる。どこまで演者を侮辱するのだと、怒鳴りたくなった。しかし、それに待ったをかけたのは久秀さんだった。 「発言を撤回してください」  静かな声で久秀さんはそう告げた。  演出家は何を言われたのか分からないというような間抜けな顔をしたが、口答えをされたことは分かったようで顔を真っ赤にして久秀さんを罵った。  それでも、久秀さんは冷静なままその罵声ひとつひとつに反論する。いつも通りに見える横顔が、静かに怒りをにじませているのが傍から見て分かった。 「舞台を作り上げる現場では、みんな対等です。誰が上とか下とか関係ありません。みんなで一つの作品を作り上げるのだから、思い上がらないでください。それから、女の子たちへの侮辱は到底許されない。謝ってください」  高校生チームを庇うように、久秀さんは前に出る。  演出家はわなわなと怒りに体を震わせながら立ち上がった。 「役者をモノとしか扱わないアンタは演出家にはふさわしくない。ましてや神でもない。ただの人間のクズだ」  黙れと演出家は絶叫する。そして、彼は手もとにあったコップを手に取ると久秀さんに投げつけた。  ガツン、と硬いものが当たる嫌な音。その場の誰もが息を呑んだ。 「……役者を傷つけるのも、演出家としてクズの極みだ」  コップが当たったときに切ったのか、久秀さんの額から血が流れる。コップはそのまま床に落ちてガシャンと割れた。  演出家は手もとにあるものを手あたり次第、久秀さんに投げつける。最終的にパイプ椅子まで投げそうになったので、慌てて男性スタッフ二人が演出家を羽交い絞めにして外につれだした。  嫌な沈黙。それも束の間、ふーと誰かがため息を吐く。久秀さんである。 「いや、マジであの人ヤバイね。普通、パイプ椅子投げようとするか?」 「ヤバいのはアンタや!」  額から血をダラダラ流しながら、呑気にそんなことを言ってのけるものだから、オレはたまらずツッコミを入れる。 「おい、高野大丈夫か?」 「大丈夫だけど、痛いな、普通に」  座り込んでしまった久秀さんに南雲さんが駆け寄る。ほかの役者たちは慌てて高校生たちを別室に連れていった。  このなかにお医者様は、というわけではないが役者とスタッフのなかにたまたま医師免許を持っている人がおり、すっ飛んできて久秀さんの応急処置を始めた。  久秀さんは横になって、ビックリしただのヤバイだの呑気に笑っている。  救急車がほどなくやってきて、久秀さんはマネージャーとともに病院に搬送された。久秀さんが搬送されるのを見るのはこれで二度目だ。途端に気分が悪くなり、オレはその場に座り込む。 「ラスティ、大丈夫か?」 「はぁ、ちょっと吐き気が」  南雲さんが隣に座って背中をさすってくれる。差し出されたペットボトルの水を飲むと、すこしマシになってきた。 「……よく我慢したな」 「自分で自分を褒めたいっすわ」  演出家の暴言に文字通り飛び出しそうになったオレを抑えたのは南雲さんだ。オレの肩を強い力で掴んで離さなかった。 「すみません、南雲さん。ありがとうございます」 「謝られることもお礼を言われることもしてねぇよ。とりあえず、あのバカが帰ってくるのを祈るばかりだな」 「あのバカはバカだからけろっとした顔で帰ってくると思いますよ」  あのバカもとい久秀さんは出血のわりに傷口は浅いらしい。額を切ったので、大けがのように思えるだけだ。だが、頭ということもあり、念のために病院に行ったにすぎない。  しかし、それよりも、 「あの子ら大丈夫ですかね」 「あれぐらいの年代の子は感受性が強いからなぁ。女の子たちはパニックになってるかもしんねぇな」  その可能性はあるかもしれない。バタバタと忙しなくスタッフが部屋を行き来しているので、あちらでは大変な事態になっているのだろう。  一時間ほどして、サブの演出家が全員を集めた。稽古場に戻ってきた女子高生たちのなかには顔を真っ赤にして、嗚咽をもらしている子もいる。あゆむもどこか顔色が悪い。  サブの演出家曰く、今日の稽古は終いにするらしい。そして、今後の予定はまた改めて各マネージャーを通して伝えるそうだ。  帰り支度をしていると久秀さんが戻ってきた。額にガーゼを貼っている以外はけろっとしている。  久秀さんの顔を見るなり、高校生たちが駆け寄ってわあわあと大騒ぎをしている。「ごめんなさい」や「ありがとう」と口々に言う彼らに久秀さんは優しい笑顔で、 「キミたちもよく耐えてたね。偉いよ」  と一人一人に声をかける。泣き崩れた女子高生には「大丈夫だよ」と言いながら背中をさすっていた。 「オレ、久秀さんのそういうとこ嫌いやわ」 「俺、なんかお前に嫌われるようなことしたっけか?」  稽古も中断になったので、飲みに行こうと言い出した久秀さんを南雲さんと一緒にマンションに送り届けてから、オレがそう文句を言うと、久秀さんはきょとんとした顔をする。 「自分が犠牲になればいい、矢面に立てばいい、っていう考え方」  一足先に自宅に帰った南雲さんもそう文句を言っていた。にも拘わらず、久秀さんはどういうことなのか分かっていないような顔で首を傾げる。 「別にそういうつもりじゃないぜ。たんに、あの演出家の横暴が目に余っていたから、文句を言ったまでだ」 「そうかもしれへんけど。それでケガしたら意味ないやろ」  今回はただ額を切っただけで済んでよかったが、下手をすれば大けがになっていたかもしれないのだ。 「久秀さんのあほ」  あのときだって、久秀さんはオレを庇って生死をさ迷うほどの大ケガをした。オレがどれだけ不安だったか、どれだけ心配したか。久秀さんはきっとわかっていない。  現に久秀さんは取り繕うように笑っている。 「よくわかんねぇけど、悪かったな」 「よくわからんのやったら謝んな」  オレの機嫌を取るように久秀さんは頭を撫でてくる。別にオレは怒っているわけではない。でも、イヤな感じだ。  久秀さんは高校生たちに上手くフォローをしたつもりなのだろう。でも多感な年頃の彼彼女らが気にしないはずがない。  久秀さんがあの子たちを庇ったのは事実だ。あの子たちの不満を代弁して演出家に文句を言った。その結果、けがをした。気にしてしまう子はきっと気にしてしまうだろう。それを久秀さんは分かっているのだろうか。 「無責任すぎるわ」  ついぽろっと本音が出てしまった。  久秀さんは笑みを消して押し黙り、少し間があって 「ごめん」  とつぶやいた。 「でも……いや、お前に言うことじゃないけどさ、俺は許せなかったよ。あの演出家の横暴。稽古場にいる以上、あの子らはただの高校生じゃなくて演者なんだしさ、それを小間使いとかなんかと勘違いしてさ、ましてや女の子に接待させるなんて……。職権乱用にもほどがある!」  だんだん久秀さんの語気が荒くなる。 「確かに俺たちは演出家の指示で動いてる。でも、それを支配と勘違いするのは違う。俺たちは、対等なんだから」  あの演出家に言ったことを再び繰り返して、はぁーと溜息をついた。それに少しばかりの苛立ちを乗せて。 「……無責任ならそれでもいい。でも俺は若い連中を貶めたのだけは許せない。あの子らが守られるなら、俺のケガぐらい安いもんだ」  最後の言葉はどうやらオレに向けて言ったようだ。返事はきっと望んではいないので、頷くだけに留めておいた。 「悪い。八つ当たりだな」 「ええよ」  オレは両手を広げる。すると久秀さんはオレを抱きしめてきた。 「悪かったよ」 「うん。ええよ」  久秀さんの大きな体が今日はなぜか小さく見えた。 「でも正直、オレは久秀さんの自己犠牲っていう精神は好かん。トラブルになる前に南雲さんとか……頼りにならへんかもしれんけどオレにも相談できたはずや。ノブレス・オブリージュを気取ってるんかもしれへんけど、今回のことに関してはただの無責任、善意の押し付けとしかいいようがないわ」 「もしかしなくともお前、かなり怒ってるな」 「そりゃそうやろ」  久秀さんの顔を見上げる。額に貼られたガーゼに少し血が滲んでいる。久秀さんのけががたいしたことなくてよかったけれど、安心と同時に言いようのない苛立ちが湧いてしまう。  きっといつものように宥められてもおさまらないだろう。  ひどいことを言ってしまう前に、オレは久秀さんの胸に顔を埋める。久秀さんの香水とタバコのにおいが鼻先をくすぐった。 「久秀さんのことしばいたら堪忍な」 「しばかれないようにするよ。差し当たっては厳しい言葉よりケガをして可哀想な俺を慰めてほしいね」 「……ホンマにどつきまわすで」 「冗談だよ」  久秀さんの苦笑いが振動となって体に伝わってくる。  ある程度は大丈夫だと思っていた。久秀さんと正式にお付き合いする前にあった事故のあと、一時的にカウンセリングに通っていたから、すこしは気持ちの切り替え方を学んだつもりだった。だけど、彼が『犠牲』になるのを見てしまうと心が落ち着かなくなってしまう。  誰かを庇ってけがをして血を流す。  その行為が、オレの心を暴風のようにかき乱す。  久秀さんの背中に回した腕に力をこめる。久秀さんの胸に顔を強く強く押し付けた。 「ラスティ」  久秀さんのバリトンボイスが耳に落ちる。久秀さんの腕にも力がこもって、久秀さんのにおいをさらに感じる。  久秀さんの、久秀さんの、久秀さんの―― 「ラスティ」 「うん」 「次からはちゃんと周りにも相談するよ。お前にも南雲にも。心配かけてごめんな」 「……うん」  もう一度顔を上げると、久秀さんが少しだけ困ったようにオレのことを見つめていた。  久秀さんの首に両腕をまわし、背伸びをしてオレからキスをする。 「約束やからな。南雲さんにもちゃんと謝るんやで」 「オーケー、ボス。キスして謝るさ」  そう冗談めかして言って、久秀さんはオレの額にキスを落とした。  それから一週間後。今回の舞台は急遽、新しい演出家を迎えての慣行となった。  件の演出家は降板させられただけに留まった。久秀さんが被害届を出さなかったからだ。  なぜ出さなかったのかと問うと、 「え、だって俺死んでないだろ?」  と、きょとんとした顔で言って、オレと南雲さんを呆れさせた。これがもし彼の役者生命を脅かすものだったらどうしたのだろうか。 「ほんっとにお前はバカだな」 「役者ってのはみんなバカなんだよ」 「うっせぇバカ」 「バカっつーほうがバカだろ」  などと南雲さんと久秀さんは子どもみたいなやり取りをしている。  いつも通りの風景だ。高校生たちも誰一人かけることなく、稽古に参加している。 「高野さん、南雲さん。あの少しいいですか?」  あゆむも遠慮することなく二人に話かけて、芝居の相談をしている。微笑ましいことこの上ない。  しかし、稽古場の空気はこれまでとは違っていた。  ヒリヒリした空気がさらにヒリついたような、そんな空気。  きっと久秀さんがあの演出家に明確な怒りを抱いておらず、へらっとしているから。  歌も芝居もアクションも問題なく普通にこなして、そのうえ高校生たちに積極的に声をかけてアドバイスに乗っている。事件を思い出して具合が悪そうにする子がいれば、傍についてやって安心させている。  アドバイスはともかく心のケアまでするのは、本来は彼がするべきことではない。  それなのに、久秀さんは――  ノブレスオブリージュ。歌も芝居もダンスも優れている久秀さんの義務なのだろう。  だから久秀さんは持たざる者へ奉仕をしようとする。  それが自然と自己犠牲の精神になってしまったのだ。  結果、後ろめたさと罪悪感のようなものが稽古場を支配した。それに気づいていないはずがないのに、久秀さんはいつも通りに振舞う。  彼の怖いところは、今日の稽古が終わるころにはその二つの空気が一切なくなり、和気あいあいとした空気に取って代わった。 「久秀さん」  稽古終わりに声をかける。 「もうああいうことはやめてな」 「大丈夫、分かってるよ」  釘をギュッと刺すと、久秀さんはごまかすようにオレの頭を撫でた。  彼はまた似たようなことが起こると、きっと同じように矢面に立とうとするのだろう。  地位も名誉も全て捨てて、犠牲になろうとする。  オレは久秀さんの一番近くにいるのに、なぜか今回ばかりは一番遠くに感じたのだった。 ~了~
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