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Something Fore

『なにか青いもの、なにか古いもの、なにか新しいもの、なにか借りたもの、そして花嫁の左靴に六ペンス』  サムシングフォー。幸せになるためのジンクス。おまじない。  毎年、六月十九日には父が母に青いものを贈っている。  熱狂的な日本好きの両親ではあるのだが、母国の文化を軽んじているわけではない。結婚式はそのサムシングフォーを身に着けたのだという。 「ラスティも本当に好きな人にはサムシングフォーを贈りなさいね」  母はマザーグースを諳んじながら、オレに何度もそう言ってきかせた。父も同じことを口にして、母と幸せそうに笑う。  歳を重ねても仲睦まじい姿を見せるものだから、こちらが照れてしまうほどだ。  そして、オレが一人暮らしをするときに、父がオレに六ペン硬貨を持たせてくれた。  将来、大切な人ができたときに渡しなさいと言って。  部屋の掃除をしていると、その硬貨が入ったヴィンテージのコインケースが出てきた。  今は流通していないらしく、とても貴重なものらしい。 「大切なひとか……」  久秀さんの顔が思い浮かぶ。最近は忙しくてほとんど連絡をとっていない。彼はSNSをマメに更新するひとでもないので、今何をしているのかも分からない。  もしかしたら、オフで帰省しているのかもしれない。  最後に連絡を取ったのは一カ月以上前だ。こんな仕事をしていると、そう簡単にスケジュールが合うこともない。  オレと久秀さんとでは、出演するミュージカルの系統が違うのだから、それはやむを得ないのだ。 「久秀さん元気しとるかな」  ふと寂しくなって、短いメッセージを送ってみる。『こんにちは、元気?』という極めてシンプルなものだ。反応や返事は期待していない。きっと、彼は多忙なのだと思う。  諦めて画面を閉じようかというときに、既読が付いてすぐに『久しぶり、元気だよ』と返信があった。  そしてそのすぐあとに電話がかかってくる。相手は言わずもがな、久秀さんだ。 『ハロー、スイートオレンジ。元気してる?』 「……元気しとるよ」  久しぶりに聞いた久秀さんの声にドキドキする。それを悟られたくなくて、わざとそっけなく応えると久秀さんはおかしそうに笑った。 『なんだよ、そっけないな。俺の声、忘れちゃった?』 「そうやな、忘れた」 『おいおい、お前に愛を囁いた男の声だぜ? つれない坊ちゃんだ』 「そういう歯の浮くセリフ、よく湧いてくるな」 『はは、まぁお前の声を久しぶりに聴けて、舞い上がってるんだよ』  電話の向こうで久秀さんは嬉しそうにしている。オレだって嬉しいのに、それを素直に言葉にできないのは経験の差だろうか。 『ところで、ラスティって今日オフ?』 「あー、夜から予定あるけど」 『おっと、そうか。じゃあ、今から行くわ』 「は?」  言ったか早いか、ピンポーンとインターフォンが鳴った。そしてオレが応対するよりも早く玄関の扉が開いて、久秀さんがヘラヘラとした笑顔を見せながらやってきたのだ。 「不審者!」 「失礼な! こんな色男捕まえて不審者はないだろ」  咄嗟に出た言葉に、久秀さんはムッと眉間に皺を寄せた。 「な、なん、なんで……、さっきまで電話しとったやん」 「ああ。お前んちに来たタイミングでメッセージもらったからな」  どうやら先ほどまでの電話は、オレの部屋に来る途中でのやり取りだったようだ。そういえば、オートロックが開く音とエレベーターの音が聞こえていたような気がする。  しかし、それにしてもなぜ、オレが在宅していることを久秀さんは知っていたのだろう。ただ純粋に怖い。  そのことを問うと、久秀さんはオレのSNSの画面を開いて見せてきた。 「今日はオフだから掃除した、って書いてんじゃん。それ見て来たんだよ」 「それも怖いわ!」  一歩間違えればストーカーのそれである。久秀さんの愛が重いのは相変わらずだし、突飛のない行動をとるのも今更のことだが、さすがにこれは怖い以外の感情を抱けない。  きっとオレはドン引きの顔をしていたと思う。  しかし、久秀さんなオレのそんな反応すら予想していたのか、ニッと左口角を上げて笑って見せた。 「まぁ、そんなことよりさ、ほらコレ。渡しに来たんだよ」 「爆弾か?!」 「違うって」  掲げて見せたのは、有名なブランドのペーパーバッグだった。持ち手のところに青いリボンが結んである。大きさ的に、アクセサリーか何かのようだった。 「サムシングブルーってお前なら知ってるだろ?」  サムシングブルー。幸せになるためのおまじない。大切なひとに贈るもの。  理解した途端に、ぶわっと顔が熱くなる。  久秀さんはペーパーバッグをオレに渡して、無遠慮にソファに腰掛ける。どこかオレの反応を楽しんでいるようだ。 「開けてみてもええ……?」 「いいよ。そのためにもってきたんだから」  オレはなかに入っているものを取り出す。手のひらの収まるぐらいの化粧箱にも青いリボンが結ばれている。  それを開くと、なかにはブルーとシルバーの二色が使われた三連リングのネックレスが入っていた。 「あー、あとこれね」  そして、久秀さんはポケットからなにかを投げてよこす。それは、同じく青い装飾が刻まれたオイルライターだった。 「えーっとこれで、サムシングフォーは揃ったか?」  なんだっけ、と久秀さんは指折り数えている。そして、『借りたもの』が含まれていないことに気付くと、しまったというような顔をするが、すぐにまいっかと呑気に笑ってみせた。 「久秀さんこれ」 「今日はサムシングフォーを贈る日らしいじゃないのよ。だから、俺から愛するラスティにプレゼント」  久秀さんはソファから立ち上がり、オレの傍までくると頬にキスを一つよこしてきた。 「お前とずっと一緒にいたいし、お前を幸せにしたい。俺だけのスイートオレンジ」  今度は唇に触れてくる。 「これからもよろしくな」  なんてありきたりな言葉を吐いて、優しく微笑んでくれた。  久秀さんはわるいひとだ。付き合う前から突っ走り気味で、オレを置いてけぼりにする。あの頃より少しはマシになったかと思ったが、相変わらずオレのこととなるとかかってしまうようだ。 「久秀さんはズルい」  ぽつんと呟けば、久秀さんはなぜか得意げに笑ってみせる。オレの照れ隠しだと思ったのだろう。  どこまでも余裕な久秀さんに仕返しをしてやろうと思うが、オレにはなにもない。  いや、ある。  しかも、幸いなことに、今日の久秀さんは左胸にポケットのある服を着ている。  オレはテーブルの上に置きっぱなしにしていた、コインケースのなかにある六ペンスを手に取る。  そして、面白そうにオレを見ている久秀さんの左胸のポケットにそれを忍ばせた。 「オレのほうが趣旨理解しとるから」  そう言ってやった。  久秀さんはわけが分からないようで、自分の胸ポケットから六ペンスを手に移すと、不思議そうにそれを確認する。  たっぷり三分考えて、そのコインの意味を理解したのか、耳まで赤くなり、動揺を隠すように咳払いをした。 「お前、これは狡いって」 「うっさい。オレを誰やと思ってんねん」 「……そう、そうだな。オーケー、参ったよ、降参だ」  六ペンスをまたポケットにしまい込んで、両手を上げてみせる。 「オレやって、久秀さんのこと幸せにするんやからな。ずっと一緒におるんやからな」 「そりゃ光栄だ。愛してるよ、スイートオレンジ」  久秀さんは恭しく片膝をついて、オレの左手を取った。 「ここ、あけておいてね」  そして、左手の薬指にキスをする。  いつだったか、同じ場所を噛まれたことがある。予約だ、と久秀さんは言っていた。  久秀さんはそうやってオレが喜ぶことを言う。ときめくことをする。誕生日もクリスマスも。忙しいなりに、オレが嬉しいと思うものやメッセージをくれる。  オレの先を突き進む久秀さんには一生かなわない。  だからせめて、六ペンスで驚かせてやろうと思ったけれど、久秀さんの独占欲を強めただけだった。 「そのコイン、パパからもらったもんやから、大切なひとに渡しなさいって」 「……それは責任重大だな。幸せにするよ、ラスティ」  動揺させてやろうと思ったが、もう通用しないようだ。  甘い声で言われてしまっては、オレは黙ることしかできない。  幸せになるジンクスと言われているサムシングフォーも、久秀さんと一緒なら現実のものになる。  そんな気がするのだ。

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