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第65話

 服を着てみると、さっきまでの夢のような時間の終わりを告げられた気がした。  電車に乗っている時に感じていた、風吹との微妙な気持ちのすれ違いも思い出してしまった。風吹はどうして拓さんのことを訊いてこないのだろう……。いや、違う。それを風吹の問題にすり替えてはダメだ。  なぜ僕は、拓さんの義理の弟──菫を殺した犯人であるマツウラソウヤのことを風吹に話さないでいるのか……。自分でもそれがなぜなのか分からなかった。気が重い話ではある。でもとても重要なことなのに──。  心に(かすみ)が掛かったような気分のまま、リュックを背負おうとして持ち上げた。その時、不意に後ろから風吹に抱きしめられた。 「風吹……?」 「桜、俺はお前を愛してる」  風吹は僕の頭におでこを付けて言った。もう幾度となく聴いた言葉。さっきむつみあっていた時も、何度も言われた言葉だ。でも今言われた愛の告白は、いつもよりもっと重く、もっと深く、僕の心の奥に響いて落ちていった。 「──桜が俺に言えなかったり、言いたくないことがあるのも分かってる。ガキの頃から俺は桜をなんか……〝自分のもの〟みたいに思ってるとこがあった。だから今までは桜の日常の出来事でも、俺の知らない事があるのが嫌だったり、頭にきたりすることもあったけど……」  風吹は一旦言葉を切ってから、僕の頭に額を()りつけた。僕は何も言う事が出来なくて、息すら止めて風吹が続きを話してくれるのを待った。 「それは完全に俺のエゴだ。桜には桜の世界がある。桜が思ってること、桜しか知らないことを、無理矢理訊き出したりしたくない。桜の心と、考えを尊重する。でももし、話したくなった時が来たら、どんなことでもいいから俺に話してほしい。だから俺を──桜の世界から切り離さないでくれ」  聞いていて涙がこぼれた。僕は……僕はとんでもないクソ野郎だ。大切な風吹を、この世界で誰よりも愛しているひとを、こんなにも不安にさせていたなんて……。 「……僕は風吹のものだよ。風吹は僕のものにならなくていいけど、僕は風吹だけのものだから……。今は菫のこともあって、色々考えたいんだ。考えがまとまったら、必ず話すよ。風吹を切り離すとか、僕は一瞬でも考えたことないからね」  風吹は僕を抱きしめる腕に少し力を込めた。そして僕の髪に顔を埋めて頭のてっぺんにキスをする。僕も目の前にある風吹の筋張った腕に唇を押し当てた。愛しさと哀しさが風吹の腕から僕の中に染みわたって来るようだった。 「……時間過ぎると料金変わっちゃうよね? もう行こ」  僕は風吹の腕をポンポンと軽く叩いた。風吹は僕から腕をほどく。お互い何も言わず自分の荷物を持って、出入り口に向かった。  ドアの前には室内に入る時に見た自動精算機が待っていた。操作は難しい事もなく、すんなり支払い出来た。風吹は「俺が誘ったから」と言って全額払ってくれようとしたけど、僕はちゃんと折半(せっぱん)してもらった。  前もコテージに連れて行ってもらったし、風吹に甘えてばかりでは申し訳ない。  外はさすがに暗くなっていた。家に帰るまでの道すがら、ふたりで他愛のない話をした。後期課程が始まるので、どの講義を取るか一緒に決める事にした。地元に戻りお互いの家に別れたけど、夕食後、風吹はいつも通りベランダから僕の部屋に来た。  狭いベッドで、清潔なパジャマを着て、風吹のそばで眠る夜は僕の何よりの幸福だった。  その日、僕はひとりで電車に乗っていた。  長い夏休みも終わり、大学は後期の日程がスタートした。慌ただしく過ごす毎日が戻ってきて、あっという間に日々が過ぎていく。  外気もかなり冷えて秋が深まったその日は、一限目しか講義が無い日だった。金曜日で部活もなく、時間に余裕があったので僕は出掛けることにした。風吹は授業の後、バイトに行ってしまった。夕方まで帰ってこないらしい。  今、僕は祖父の家へ向かっている。面打師(めんうちし)である祖父の家に行くのは久しぶりだった。祖父の影響で僕も時間がある時に面を作っている。先日もう何枚目かになる小面の面が出来上がったので、祖父に見て貰うために工房へ行くつもりだった。  電車に揺られながら、僕はここ最近の出来事を思い出していた。風吹と初めてラブホテルに行った次の日、進藤先生から電話が来た。「成川くんの様子は落ち着いてきたよ」と先生は教えてくれた。 「とりあえず傷が良くならないことには食事も取れないだろうから、今は点滴で様子を見てる」 「そうですか。葵くんは目を覚ましましたか?」 「ああ、明け方に少しだけ。自分が入院してると知ったらビックリして、またお金がないから帰ると言ってたけど、とにかく休みなさいと伝えたらブツブツ言いながらも眠ってしまったよ」 「何から何まですみません。僕、何かできる事ありますか?」 「お気遣いありがとう。今のところは俺の方で対応するけど、成川くんが快復したらお見舞いに来てあげて。彼も安心するだろうし」 「はい、もちろん行きます」  僕は即答した。進藤先生は自分もお仕事で大変なのに細やかな対応をしてくれて、本当にいい人だな、と思った。 ----------------------------- いつも読んでいただきありがとうございます。 私生活が忙しく、また体調の問題もあり、これからしばらくは隔週の更新とさせていただきます。 創作の進み具合によっては長い間隔でお休みをいただくこともあると思います。 進みがゆっくりとなってしまいますが、今後もお付き合いいただけますと幸いです。

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