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第71話

 僕はおじいちゃんの後を継げるだろうか……そんなことを考えながら歩いていたらぬかるみに足を入れてしまった。 「うわっ」  思わず声が出た。工房に向かう道は一部しか舗装されておらず、途中から砂利道になっている。車も行き来できる道の砂利は地面に埋もれて減ってしまっていた。そのせいで水はけも悪くなっているらしく、ところどころ泥の水溜りが出来ている状態だった。  履いていたスニーカーは新しくおろしたものだった。よりによって白っぽい色のものを選んだので、跳ねた泥がかなり目立っている。  僕は自分のうかつさにウンザリした。昨日雨が降っていたのだから、この道が泥でぐちゃぐちゃなことくらい予想できたはずなのに……。せめて撥水できるスプレーをかけておけば良かった。  今更後悔しても仕方ないのに、一気に気分が沈んでしまった。元々うじうじした性格の僕は、今日持ってきた面をおじいちゃんに見せることまで気が乗らなくなってしまった。これで作品をダメ出しされたら、しばらく立ち直ることが出来ないかもしれない。  足元を気にしながら、なんとか工房の入り口に着いた。インターフォンを押そうとした時、玄関の中から話し声が聞こえてくるのに気付いた。男性ふたりの声。  片方はおじいちゃんの声で少し困っているような感じだった。「いや、それは……」と言う声はおじいちゃんのものだ。「無理は承知なのですが……」と答えた方の声に聞き覚えはない。  その人は詰め寄っている様な声音(こわね)ではないが、おじいちゃんの声の具合からなんだかトラブルのように聴こえた。僕はインターフォンではなく、引き戸を直接コンコンと強めに叩いた。そして返事を待たずに、そっと戸を開けた。 「こんにちは。おじいちゃん、桜です」 「おお、桜。良く来たね」  訪問客の向こう側からおじいちゃんがこちらを覗いて言った。お客さんも僕の方を振り返っている。来客は四十代後半くらいの男性で、着物に羽織という(いき)な装いだった。七三分けで眼鏡をかけたその来客は、眉根を寄せた困り顔のまま僕を見ている。 「すみません、ご来客中に……」  僕は男性に向かって頭を下げた。押し売りか何かのトラブルかと思ったが違うようだ。 「いえ、こちらこそ突然押しかけたので……。お約束でしたら申し訳ございません」  客人は僕のような若輩者にも丁寧な態度で頭を下げた。「いやいや」とおじいちゃんが言う。 「この子は孫の桜です。桜、こちらは推古会(すいこかい)阿佐美(あさみ)さん。今日は明日舞台で使う小面が壊れてしまったことで、相談に来られたんだ」  阿佐美さんは改めて僕の方を向いて、また丁寧に頭を下げた。 「庄造さんにはいつも大変お世話になっております。おじい様とのせっかくのお時間の邪魔をして申し訳ございません」 「初めまして。花里桜です。あの、僕は遊びに来たようなものなので……お気になさらないでください」  阿佐美さんは困り顔のまま少し笑みを浮かべた。 「桜さんはうちの息子と同じ年代に見えますが、しっかりしてらっしゃる。それに引き換えうちの息子は……!」  阿佐美さんは忌々(いまいま)しそうに額に手を当てた。 「息子が明日舞台に立つのですが、小面に大きなヒビが入ってしまって……。どうもネットで購入したものらしいのですが、作りが良くなかったみたいなのです。ちゃんとしたものを使うよう言っているのに、古臭いことは嫌いだと言って自分で買ったものしか使おうとしないんです。 まったくあいつは親の言う事を聴かず勝手なことばかり……! しかも通販だか何だかでまた買うと言うんです。お急ぎ便にすれば明日届くからなどと気楽に構えているので、急ぎこちらへ(うかが)った次第なのです……」  阿佐美さんは気負った口調で一気にしゃべってから、ハッとした顔で僕を見た。 「すみません……このような身内の愚痴を一方的に話してしまって。息子の身勝手さにはほとほと参っていたのでつい……失礼いたしました」  阿佐美さんは僕とおじいちゃんに向かってまた頭を下げる。とても気遣いのできる性格らしいが、恐縮し過ぎていて気の毒になって来た。 「まぁ、そういう事で今日は小面をお求めになって来てくださったんだ。ただ生憎(あいにく)、今はご注文いただいているものしか置いてないもんでな。さてどうするか……」  そう言っておじいちゃんは腕を組んで考え込む。これは僕の出番はなさそうだ。僕の作って来た面も小面だけど、とてもおじいちゃんのレベルには達していない。今ここにいても阿佐美さんの邪魔になるだけだろう。 「おじいちゃん、僕は失礼するね。また後で来るから」 「桜……せっかく来てくれたのにすまないね」  おじいちゃんこの場に僕を引き留めても仕方ないと思ったのだろう。阿佐美さんはますます眉をしかめて、申し訳なさそうに頭を下げる。

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