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第9話

 思いあまった貞真尼は、母屋に戻ると、千寿を似せた仏像を手にした。  その表情に決意が見える。  急ぎ居室である離れに戻ると朝夕に勤行を繰り返す仏の前に座り、見えぬ目ながら、自らが写した経典を取り出した。 「千寿…、聞こえますか」  仏像に語りかけながら、貞真は心に経を唱え写経した美濃紙に仏像を包んだ。 「参りましょう…」  囁くと、貞真は仏壇の蝋燭に手をかけた。  そして、その手で離れに火を掛けた。 「ぎゃー!」  左馬之介の腕の中で、修顕の躰が千寿の悲鳴を放ち、大きく仰け反った。 「どうしたのじゃ、千寿」  驚いた左馬之介が、急ぎ抱き留める。  が、すでにそこに千寿が居ぬことを左馬之介は感じた。 「…姉上、どうして」  離れの中心に正座し、仏像を抱きしめた貞真の前に苦悶の表情で千寿丸が現れた。 「やめて…、お許し下され、姉上」  泣きながら、千寿は姉に語りかける。 「熱うございます、姉上。苦しくて…」  千寿の声は貞真には届かぬのか、姉は穏やかな菩薩の笑みで、ただ座っていた。 「なぜ、…なぜですか、姉上。私は…千寿は逝きとうない。まだ死にたくはありませんのじゃ」  幼子が駄々をこねるように、千寿丸は姉である真由に縋った。  真由は、その美しい瞳に懐かしい弟の姿をはっきりと写して、静かに(さと)した。 「なりませぬ、千寿。そなたの宿命は仏の定められたこと。現世にいつまでも心をしばられていては、あなたのためにならないのです」 「いやじゃ、いやじゃ、姉上。私は、千寿は死にとうない」  泣きすがる千寿は、あの妖艶な美童ではなく、姉に手を引かれる無邪気な童子に戻っていた。 「怖がる事はありません。私も一緒ですよ、千寿」  真由は、幼い千寿をその膝に抱き上げ、母のように優しく抱きしめた。 「…姉上…」  その温もりに安心したように千寿は姉の胸に抱かれて目を閉じた。  左馬之介は、修顕の躰を放し、姿のない千寿を探すように立ち上がった。  その時、離れからの異変を感じた。 「!」  左馬之介が寝所を飛び出すと、そこには燃え上がる離れが見えた。  火の手は、貞真尼が常日頃居る仏間から上がったのが分かる。  左馬之介は、その火の中に寄り添うように居る美しい姉弟の姿を見た。  ふたりは、初めてここに来たときのように互いに縋るように身を寄せ、これからの旅立ちを待つようにしていた。 「行くな!」  さすがの左馬之介も、自分が置いて行かれることを察し、焦りを隠せない。  取る物もとりあえず、左馬之介は猛火に包まれた離れへと駆けだしていた。 「真由、死んではならぬ!千寿、そなたも、もう私を(のこ)して逝くな」  炎の中から、姉弟が左馬之介を見た。  そして、嬉しそうに微笑み、手招きをする。  情を知らず、温もりを欲した、寂しい者同士だった。  それらの魂は互いを引き合い、今こうして同じ場所へと導かれたのだった。  やがて離れは炎上したが、またも激しく雨が降り出し、母屋に火が移る事はなく、修顕の躰は助かった。  修顕が目を覚ましたのは翌朝のことだった。  目が覚めると、(すす)けた匂いが立ちこめる屋敷に一人取り残された修顕。  自分に何があったか、全てを把握出来ないまでも、あの優しい貞真尼に救われたのだと分かっていた。  疲れ切った躰を、ゆっくりと起こし、離れに向かうがそこは焼け果てて、二人の死骸すら見つからなかった。  察した修顕は、広い庭の隅に三つの石を並べ供養した。    そして、また旅路を行くことになる。 《おしまい》

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