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プロローグ:貧民の少年、帝国の皇子に見出される

 これは、この国の歴史書に記された、皇子と護衛の運命の記録である。 -------------------------------------------------------------------------------  美しく英才の誉れ高い、帝国第二皇子のリシェルがやってくると聞いて、アルモダの町の表通りには、人々が詰めかけていた。  リシェルは現在十五歳。秋から帝国高等学院で勉学に励みながら政務に携わることになっており、その前に全国を見て回ることとなった。  ここ、ティエラモダ地方の州都アルモダは、その最後に当たっていた。  見事な鞍を付けられた葦毛の馬に跨り、多くの家臣を伴って、パカ、ポコ、と歩みを進めるリシェルを見て、人々は賞賛と憧れを抱かずにはいられなかった。  耳の下で切りそろえられたプラチナブロンドの髪が、歩みを進めるたびにゆるやかにうねり、晴れた日の氷原のようなブルーグレーの瞳は、威厳ある眼差しで沿道の人々を見据えている。  リシェルが街の様子を淡々と見ながら馬を進めていると、好意的な眼差しの群衆の中でただ一人、怒りを込めた鋭い眼差しと目が合った。  リシェルと同じか少し年上の、少年から青年になりつつある、黒髪の男だった。  他の人々から一歩下がった商店の軒下から、唇を引き結び、眉をいからせてリシェルをじっと見上げている。  黒い髪は不揃いにうなじのあたりまでで切られ、長い前髪の隙間からのぞく琥珀色の瞳は、獲物を狙う猛禽のようにギラギラと光っていた。  血管の浮かぶ拳を握りしめ、着古してクタクタになった服に引き締まった身体を包み、足元は裸足だ。  興味をそそられて、リシェルは馬を止めた。 「そなた、名は何と申す」  超然としたたたずまいで、リシェルが馬上から声をかけると、きゃっきゃと浮ついていた群衆が静まり返った。 「ディオス」  ディオスはギラついた目線をリシェルに固定したまま、内に秘めた激情を押し殺すような声で答えた。  ディオスは大工の見習いで、両親は下水掃除を生業とし、無職の伯父と四人のきょうだいとともに、貧民街で暮らしている、とのことだった。 「何か私に言いたいことがあるようだな。申してみよ」  帝国や、皇帝に連なる血筋への漠然とした不満と言うには、ディオスの目つきはもの言いたげにギラついていた。  皇子としての自分にけちをつけられたようで、リシェルは問い質したくなってしまった。 「お前は、生まれに恵まれただけのお飾りだ」  群衆がしん、と静まり返り、あたりは緊張感に包まれた。 「なんと……」 「不敬な……」  随行の家臣たちのささやきが聞こえ、警備に当たっていた兵士が、慌ててディオスを連行しようと走り寄ったが、リシェルは表情を変えずに手を上げて制止した。 「よい。続けさせよ」  ディオスはリシェルを睨み上げたまま、表情を変えずにしゃべった。 「お前は、金持ちに生まれただけだ。乗ってる馬もいい服も、全部そのおかげだ。  そのキレイな顔だって、代々美人ばっかり嫁にしてりゃそうなるだろうよ。  それなのに、どいつもこいつも、すごいだのキレイだのキャーキャー言いやがって、アホなんじゃねえか。  俺が同じだけのチャンスをもらってたら、もっともっとすごくなれる。  少なくとも、腕っぷしなら俺の方が強い。  それだけじゃねえ。勉強だろうがダンスだろうが、同じだけのチャンスを与えられたら、絶対に俺が勝つ」 「貴様! なんということを!」  家臣が声を張り上げたが、ディオスは臆する様子もなく、堂々とリシェルを見上げている。 「なるほど。そなた、地位が欲しいのか」  リシェルは淡々と返したが、金貨一枚が欲しい物乞いではないことに、少し興味を惹かれた。 「ああ、ほしい」 「地位を得て、それからどうする?」  リシェルが問うと、ディオスはさらに眼差しに力を入れて頬を紅潮させた。 「もっともっと! さらに偉くなってやる! 最終的には王様かな」 「貴様!」  ハハンッとせせら笑ったディオスの肘を、兵士がつかんだ。 「やめよ!」  兵士を制止し、リシェルは馬を近づけて、ディオスのすぐ隣に寄せた。  腰の剣を抜けば、すぐにでも斬れる距離である。  しかしディオスは一歩も下がらなかった。  相変わらず、猛禽を思わせる鋭い瞳で、リシェルをまっすぐに睨みつけている。 「……いいだろう。その野心にふさわしい舞台を用意してやる」  手綱から片手を離し、リシェルはディオスに手を差し伸べた。  ディオスの表情が、ぴくりと動いた。 「お前は私の護衛となり、私が見るあらゆるものを見て、私が出会うあらゆるチャンスに立ち会うことを許される。  皇族、貴族、騎士、豪商……。望めばあらゆる者に会えるだろう。  与えられた好機を生かし、野心のままに進むのだ。  そして、私が真に皇子にふさわしいかどうか、その目で確かめるがよい」  飢えた猛禽の目が驚きに見開き、頭の先からつま先までリシェルを見つめた。  薄汚れた顔に不敵な笑みが浮かび、ディオスの日に焼けて骨ばった手が、白くたおやかな指を、しっかりとつかんだ。  ここを起点として、この国の歴史が動いていくことを、今はまだ、誰も知らない。

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