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第一話:元貧民の少年、皇子の護衛としてステップアップする

 三年後──。 「ディオス。髪も服もだらしなく着るのはよせ。もう行くぞ」 「こっちはやること多いんだよ。細けーこと気にしてられっか」  氷原のような淡いブルーグレーの瞳でリシェルが言うと、ディオスは仏頂面でシャツの立ち襟を直した。 「そうはいかない。人は自分より身なりのだらしないものに命を預けないものだ。お前も人の上に立とうというのであれば……」  屋敷の玄関を出ながら、リシェルが冷たい瞳のままディオスに小言を言った。今日はこれから朝礼拝に行かねばならない。  リシェルの手を取ってから三年。  ディオスは家臣たちに、作法、格闘、剣術、政治、法律、ダンス、その他皇子の側に控えて護衛するために必要な知識や技能をみっちり仕込まれた。リシェルとともに帝国高等学院に通って法学や政治学を修め、首席のリシェルほどではないが優秀な成績で先月卒業した。  自ら宣言しただけのことはあって、ディオスは学んだすべてを貪欲に吸収し、身につけた。  リシェルとともに舞踏会に出席し、完璧な立ち居振る舞いで貴族と会話し、令嬢と華麗なステップを踏んでダンスを舞いながら、毒の混入されたワインを発見して下手人をあぶりだした。  法務官との対談の帰り道、物陰から現れた覆面の集団を、一人で全員殴り倒した。  これらの功績が認められ、ディオスはリシェルの家臣として騎士に叙任され、生まれ故郷の一部を領土として与えられた。  もっともこれらの身分は体裁を整えるためのお飾りにすぎず、領地経営などしたことはないし、ディオスの実際の仕事は、リシェルに付き添ってその身を守ることである。  なお、すでに家来も何人かついており、非番の日や訪問先の安全確認などの下働きは、彼らにまかせるようになっている。 「かしこまりましたー」  ディオスはまったく心のこもっていない敬語で返した。  もちろん、心から敬語をしゃべっているフリもできるのだが、リシェルに 「心にもない敬語はやめろ。私はお前が偉くなるための踏み台なのだろう?」  と言われて以来、公式な場以外ではタメ口でしゃべっている。  さげすむようなリシェルの冷たい瞳に、ディオスはフンッと顔を背けて、トラバーチンの石畳を並んで歩き出した。  大聖堂に続く木陰の石畳を歩くと、九月の朝日がリシェルのプラチナブロンドに木漏れ日を落とした。  耳の下で切りそろえられた美しい髪は、ゆるやかにうねって初秋の風になびいている。  ディオスが、風にそよいで一瞬見えたリシェルのうなじに目をやっていると、 「リシェル皇子、覚悟ぉぉぉぉ!!」  という雄叫びとともに、顔をスカーフで隠した見るからに怪しい男が、木の上から躍りかかってきた。  しかし間合いに入るよりも早く、ディオスが男とリシェルの間に入り、素早くナイフで切りつける。 「ぐああっ!」  肩口を浅く斬られ、男は石畳の上にズデーンと落ちた。  起き上がる暇を与えず、ディオスは男をうつ伏せにひっくり返して腕をひねり上げ、後ろ固めにすると、ポケットから出した縄で速やかに縛り上げた。 「連行しろ!」  ディオスがどこへともなく呼ばわると、下っ端護衛が数人わらわらと寄ってきて、男を引っ張っていった。 「身なりからして、反帝国民族主義者だな」  ディオスは乱れた髪をかき上げながら、忌々しげにつぶやいた。現在帝国と戦火を交えている国はないが、反乱を企てる組織も国内にはいくつかあった。  城の敷地内に部外者は入れないはずだが、どうにかして侵入したらしい。 「先ほどの男、門番に立っているのを見たおぼえがある。おそらく私を暗殺するために兵士になったのだろう」 「そりゃご苦労なこった」  志願しても都での勤めができるようになるには、ある程度の実績が必要だったはずで、その努力には恐れ入る。 「さて行くぞ。よくやったディオス。」  リシェルが賛辞を口にしたが、「一応褒めてやった」というような淡々とした口ぶりである。  何事もなかったかのように、さらりと髪をなびかせて、再び石畳を大聖堂に向かって歩き始めた。 「こんなの朝の運動にもなりゃしねーよ」  ディオスもポケットに手を突っ込み、リシェルの斜め後ろについて歩き始めた。 「きゃっ、ご覧になって? リシェル様とディオス様よ」 「クールビューティでノーブルなリシェル様と、野性味あふれるイケメンのディオス様……。並んで歩いていらっしゃると、まるで絵のようですわね」 「リシェル様のお側を片時も離れず、お守りするディオス様……。なんて尊い君臣の交わりなのかしら……」  大聖堂に向かう二人を遠巻きに見つめる、貴族のご令嬢のさざめきが聞こえてくる。 「先ほどリシェル様に襲い掛かった暴漢を、ディオス様が身体を張って撃退なさったの、ご覧になりました?」 「ええ……! なんと尊い忠誠心なのでしょう!」  ──バーッカじゃねえの?  護衛という仕事上、周囲に気を配っていなければならず、習い性で嫌でも聞こえてしまうのだが、ディオスは笑いをこらえるのに必死だった。  尊い君臣の交わり、なんてものはない。  最初の約束のとおり、ディオスにとってリシェルは、自らが上に行くための踏み台にすぎない。  リシェルのほうも、三年間ずーっと冷徹な表情を崩すことはない。  会話の内容も、今後のスケジュールや勉強内容など、無味乾燥なものばかりだ。  そもそもリシェルは、「もっと敬語をちゃんとしろ」とか「施政者としての務め」だとかの、小言だか独り言だかわからない話しかしない。  ディオスはいつも、「へいへいほー」と話半分に聞いている。  単なる仕事上の関係であり、忠誠心だとか敬愛だとかそんな騎士物語みたいな美しい感情は、いっっっっさいないのだ。  歩くたびにサラサラと揺れるプラチナブロンドと、その隙間から見える長い睫毛を横から見ながら、ディオスは心の中でぼやいた。  ──こいつ見てくれはいいけど性格は悪いし、仕事じゃなかったらナシだよな~。  この二十四時間後、まったく異なる感情で同じ道を歩くことを、ディオスはまだ知らない。

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