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一度部屋から追い出され──もとい、出てしまえば、腹をくくるしかない。
「追着係長。こちら、課長から渡すよう頼まれた資料です」
職場でパソコンとにらめっこしていると、名前を呼ばれた。俺は眼鏡をかけたまま、声がした方をくるりと振り返る。
視線の先に立つ女性職員が持っているファイルは、俺が課長から頼まれた仕事をする上で必要な書類の束だ。俺が借りようとした時は、課長がそのファイルを見ていたので借りられなかったのだが……。
「うん、ありがとう。助かるよ」
どうやら、課長は使い終わったみたいだ。俺は思わず笑みを浮かべてしまいながらも、女性職員からファイルを受け取った。
すると、俺にファイルを手渡した子は一度、なぜかビクッと体を震わせたではないか。
「い、いえ……」
加えて、んんっ? 顔が赤くなった、ような?
不可解な変化の真意が分からない俺を置いて、用事を終えた女性職員は去っていく。なんだろう、俺、なにかしちゃったのかな。
なんて戸惑う俺に、隣に座る月君が声をかけてきた。
「センパイ、センパイっ、いつも鈍いセンパイですけど、さすがに気付きましたよね?」
いつも鈍い? ……は、よく分からないけど。俺は体を月君に向けて、静かに頷いた。
「うん。先輩、分かっちゃった」
「いやそんな『アイコピー』って返事をするあの競走馬娘ちゃんみたいなテンションで言われても。……いや、それはいいか。ですよねっ、ですよねっ! 分かりましたよね!」
ネタの説明が長いよ、照れちゃうよ。ボケは説明される方が恥ずかしいんだからね。……というツッコミは本格的に収拾がつかなくなるので、しない。
俺はしっかりと月君の目を見て、もう一度頷いた。月君は笑顔で『待っていました!』と言いたげだ。なぜ?
ということで、俺と月君の答え合わせだ。
「今のは……風邪、だね」
「そうそう、風邪──……へっ?」
俺は自分の口元に手を当てて、悩む素振りを見せる。
「マスク渡した方が良かったかな? でも、ありがた迷惑になっちゃう可能性もあるよね。それに『風邪を移すなよ』って意味で取られる可能性もあるから、失礼かもしれないし……。大丈夫かなぁ、あの子」
顔が赤くて、ちょっと不可解な行動……。うん、どう考えても風邪だ。しかも、発熱を伴うタイプの風邪だよ。
うんうんと頷く俺は、月君に最適解を返したつもりだ。確信しかないのだから。
だが、どうやら月君は俺の答えがお気に召さなかったらしい。
「センパイ、マジ鈍すぎッス」
疑い半分、憐れみ半分。そんな割合の顔と声を、向けられてしまった。
しっ、心外だ! こんなにも目敏い俺のいったいどこがどう鈍いと言いたいんだ、月君は! 驚愕が止まらないよ!
だが、そんな俺はスルーの方向らしい。若しくは、受け止めた上での対応か……。月君はわざとらしいため息をそれはそれは深く深く大袈裟に吐いた後で、俺をジッと見つめた。
「センパイ、もっと周りからの評価を気にしましょうよ」
「失礼な! こう見えてかなりの気にしいだよ、俺は!」
さすがの俺も黙ってはいられない。己の胸にドンと手を当て、俺は月君としっかり向き合う。
「──だから可笑しなセンスにならないように、このスーツもワイシャツも靴も靴下もネクタイも、ブルーライトカットを目的にしたこの眼鏡だって! 全部ゼロ太郎に選んでもらったんだからね!」
「──そういうことじゃないです」
じゃあどういうことなんだいっ! 先輩、分かんないっ!
これがジェネレーションギャップというものなのかと衝撃を受けつつ、俺は負けじと月君に応戦し続けた。
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