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 彼は続けて、このマンションに越してきた理由を明かしてくれた。 「本当は俺、引っ越しするつもりなかったんだよね。だけど草原君って後輩がね、このマンションをすっごくオススメしてたんだよね」  振り返ると、こういう話だったらしい。 『──引っ越しましょう、追着様。今すぐに』  彼の後輩──三日月草原という悪魔は、何度か『このマンションに引っ越すべき』と主張していたようだ。  その度に彼は、曖昧な返事をして濁していたのだが……。 『いやでも、俺は──』 『引っ越しでございます』 『う、うん。草原君の善意は嬉しいけど──』 『引っ越しでございます』 『あー、えっと。だけど、俺──』 『引っ越しでございます』  まさに、頑な。悪魔の青年が【強引】とも思えるほど、このマンションを推奨していた。  それから悪魔の青年は、彼にこのような言動を取ったのだ。 『もしや、追着様はなにか勘違いをされてございませんか?』 『へっ? かっ、勘違いっ?』  ガッ、と。彼は後輩によって、抵抗する間もなく壁に追い詰められたらしい。言うまでもなく、悪魔の青年は彼の戸惑いを全く意に介していなかったようだ。  その証拠に、彼はこう言われたのだから。 『──これは【提案】ではなく【強制】でございます。それとも、純正悪魔の力をご覧になりたいのでございましょうか?』 『──手続きしまーすっ』 「……って言うのが、事の顛末」 [承知いたしました]  どうやら彼は、後輩が相手だとしても強く出られない性格のようだ。これを【意志薄弱】と捉えるべきなのか、それとも【お人好し】と捉えるべきなのかは、まだ彼の情報が少なくて難しい話だ。  しかしどのみち、私には関係が無い。どんな経緯があろうと、この方は私がいるこの部屋に越してきた。  ならば私は人工知能として、彼をサポートするだけ。 [ご期待に応えられるよう、誠心誠意【家族】として振る舞う所存です。これから、よろしくお願いいたします]  なので私は、初期設定されている挨拶を彼に送った。  だが、彼はそれが気に食わなかったようだ。 「君には愛嬌がないよ! 皆無だよ!」  突如として、そう喚き始めたのだから。  いくら主人に【愛嬌】を求められても、応えるのは難しい。なぜなら、と。その答えを、私は彼に伝えた。 [人工知能ですので] 「そんな理由で諦めるなーッ!」 [かなり大きな要因だと思いますが]  存外、彼は我が儘なようだ。イマイチ掴み切れない主人の人物像に、私の演算システムはキュルキュルと音が鳴りそうになる。  私が彼の人物像を演算している間、彼は突然ポケットに手を突っ込んだ。そして、彼の物と思われる電子通信機器を取り出した。  そうしてここから、私と彼の【家族としての生活】が始まったのだ。 「──今からゼロ太郎に、俺が持ってるソシャゲとかネトゲとかその他諸々のゲームデータを突っ込む! それを全部、きちんと処理して理解して!」 [──横暴ですね]  ちなみにこれは、後に彼の保護対象となる悪魔──カワイ君に驚愕される会話の内容なのだが。  ……さすがの高性能人工知能たる私でも、そんな未来は演算できなかった。

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