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沢山のゲームデータを解析し、彼が求める【キャラクター像】というものを少しずつ理解していく。
それでも、これは曖昧なもの。彼自身が具体的な希望を言語化できない以上、私の演算や解析にも限界があった。
どんな無理難題であろうと、私は主人が望む【人工知能】にならなくてはならない。それだけが私の、存在意義なのだから。
そんな、人間で言うところの【焦燥感】に似たものを抱きながら、私は数日を彼と過ごした。
彼に求められる人工知能像は分からなくても、彼自身への理解を深めることには成功しているという手応えがある。
例えば彼は、とてもお人好しだ。彼はスマホに私のデータを同期させているので、私から彼の仕事風景は丸見えだった。つまり、彼の【対人の様子】もハッキリと見えたのだ。
自分よりも、相手が優先。それは性別や年齢や立場に関わらず、誰が相手でも同じ。私が彼によって起動してから、彼は一度だって会社の設定した【定時】というものでは帰らなかった。
そして、彼の日常生活。これには、彼をこのマンションに越させた悪魔の青年に同意するしかなかった。
食事はほとんど、ゼリー飲料。職場の飲み会や、コミュニケーションとして昼食を誰かと同席する以外は、いつもそう。彼はとことん、自分に無頓着だった。
しかし私は、食事の打診ができても強制はできない。私に手足が無い以上、彼の口を強引に開いて固形物を流し込むことはできないのだ。
……手足、と言えば。この日、彼は奇妙なことを私に命じた。
「──今から髪を切るから、俺に指示をしてくれないかな?」
珍しく、彼が休日を休日として過ごすと決めた日。彼は床に新聞紙を敷き、ハサミを探しながらそう言った。
いくら自分に無頓着と言えど、まさかここまでとは。こけた頬や痩せた体を見て分かってはいたつもりだが、彼はよほど自分の身なりに興味が無いらしい。
多少の手間はあったとしても、人間社会に置いて【頭髪】は大事な要素だ。ならば【腕に自信がある】という根拠がある者以外、せめて専門の者に任せるべきだと思う。
……が、他の誰でもない【主人】の命令だ。己で散髪をしようとする彼に、私はハサミの行き先を指示した。
私の指示を受けて、彼は散髪を始める。しかし、こんな方法でうまく事が進むはずがない。
[やはり、専門店に向かった方がよろしいのではないでしょうか。この方法ですと時間がかかりすぎますし、出来も不安が残ります。私に命じるのは、非効率的かと]
真っ当な提案だと、私は信じて疑わなかった。なにをどう計算しても、これこそが【最も主人のためになる方法】だと思ったのだ。
それなのに、彼の返事はと言うと……。
「ヤダ」
まさかの、拒否だった。私の提案を、真っ向から拒絶したのだ。
彼は、他人に己の体を触らせることを苦手としているのだろうか。彼が私の提案を拒絶した理由を、私なりに考察してみる。
しかし意外なことに、彼は自ら【拒絶の理由】を明かしてくれた。
「──ゼロ太郎に切ってもらいたいんだよ」
──【私】が、切る? 彼の言葉を、あろうことか一度では理解できなかった。
確かに、彼の散髪に対して指示を送っているのは私だ。彼がハサミを入れているのは、私が指示を向けた場所だった。
しかし、結局のところ髪を切っているのは彼だ。私ではない。なぜなら、私には手が無いのだから。
なのに、どうして。
「これ、俺の憧れなんだ。家族に、髪を切ってもらうの。だから今、叶ってすごく嬉しい。それに、メチャメチャ楽しいよっ」
どうしてこんなに、無邪気な笑みを浮かべているのだろう。
彼はどうして『ゼロ太郎に髪を切ってもらっている』と、信じて疑わないのだろうか。
「あと、これは命令じゃないよ。そんなつもりで、俺は始めてないよ」
[であれば、なんだと仰るのですか]
「これは、お願いだよ。命令なんて、そんな寒々しい言い方は嫌だな」
分からない。システムが叩き出した単語は、この一語だけ。
こんな、非効率的なことが? こんな無意味なことが、彼の望みなのか? こんなに、無為なことが?
「ほら、ゼロ太郎! 次はどこにハサミを持っていけばいいの? 後ろとか横とか……って言うか、全体的に俺からは見えないからさ! 頼むよ~っ!」
笑顔、なのだ。私がどれだけ混乱しようと、彼は笑っている。
私からの指示を待ち、それに従う彼は……この非効率的且つ不安要素だらけの行為をしている間。ずっとずっと、彼は笑顔だった。
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