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二人を見送ってから、俺はカワイとゼロ太郎が待つ部屋に向かって歩いていた。
不思議と、その歩みは遅い。草原君に言われた言葉と、ゼロ太郎が以前くれた言葉……。その重みを背負っていると思うと、どうしても軽やかな足取りにはなれなかった。
それでも、部屋までの距離なんて大したことは無い。玄関扉を開いて、俺は二人が待っている部屋に戻った。
「ただいま、カワイ。ただいま、ゼロ太郎」
「ヒト、おかえり」
[おかえりなさいませ、主様]
カワイは普段通りで、ゼロ太郎は……どうだろう。俺と草原君の会話はスマホ越しに聞いていたはずだから、ちょっと気まずいな。
だけど、とにかくカワイはいつも通りだ。帰ってきた俺に近付き、尻尾をゆっくりと左右に振っている。
「兄、最後までメーワクかけた? たぶん、ヒトに変なこと言ったよね?」
「えっ? あー……いや、全然! そんなことないよっ!」
「ううん、絶対ウソ。兄はいつも空気が読めない変わり者」
「お兄さんに対する信頼の方向性が悲しすぎるよ」
でも否定しきれない。だって、だってその通りだから!
そんな中で不謹慎かもしれないけど、ちょっぴり立腹中なカワイを見て俺は、はたと気付く。
そう言えば俺、カワイの本名はおろか、家族のことも全然知らなかったな。……なんてことに。
その気付きが、俺の顔に出てしまったのかもしれない。俺の顔を見上げているカワイが、そっと眉を寄せたのだから。
「珍しい」
「え、なにが?」
「ヒトが、拗ねてる」
ドキリ、と。胸の辺りが、嫌な感じに跳ねた。
「拗ね、てる……って、わけじゃないんだけど。えっと……」
自分の頬を、そっと引っ張る。俺って、そんなに分かり易い男なのかな。ちょっと凹むと言うか、恥ずかしい。
「……カワイのお兄さんが草原君だって、知らなかったなぁって。カワイとも草原君とも、一緒にいる時間は結構あったのにさ……」
言葉にすると、さらに情けない。こんなことで拗ねてしまうなんて、幼稚どころの話ではないじゃないか。
気まずそうに視線を逸らす俺を見上げたまま、カワイは淡々と言葉を返す。
「うん。ボクも、ヒトの後輩? に、悪魔がいるって聞いてはいた。だけど、それが兄だって知らなかったよ」
……確かに。言われてみると、それもそうか。カワイの言葉が、スッと俺の耳に届いた。
「ボクも、拗ねた方がいい?」
「……敵わないなぁ」
だから堪らず、カワイの頭を撫でてしまう。ゆっくりだったカワイの尻尾の動きが、少しだけ速くなった。
「でも、知らなくたって関係ないよ。あんな兄だから、関係ない」
「随分と冷たい……。カワイは草原君が嫌いなの?」
「嫌いじゃないし、尊敬できる部分もある。だけど『アイツってキミのお兄さんなの?』って言われると、肯定よりも先に否定したくなる。反射的に」
「いったい、カワイと草原君の間になにが……」
一人っ子だから、カワイの複雑な弟心が分からないのかな。表情が硬くなったカワイを見つめながら俺は、頭を撫でる手の動きをほんの少しだけ速めてあげた。
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