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 息が、可視化される。白くなって、宙にたなびいた。 「いきなりごめんね、こんなところに連れ出しちゃって。寒くない?」 「うん、平気。ボクよりもヒトの方が心配。上着だけで平気?」 「大丈夫だよ。今は俺、ちょっと暑いくらいだから」 「それはそれで、ちょっと心配」  カワイを連れて、初めての場所へ。お互いに上着を一枚足した姿で、俺たちは冷たい風が吹く屋上にやって来た。 「屋上って、入っていいんだね。知らなかった」 「一応、このマンションの入居者は誰でも自由に出入り可だよ」 「そうなんだ。教えてくれてありがとう」  そっか。カワイは確か、星空が好きなんだっけ。ベランダでご飯を食べた時にも思ったけど、それならもっと早くここに連れてきてあげたら良かったなぁ。  ……思えば、あの日も星が綺麗だった。カワイと初めてベランダに出た、あの夜だ。  カワイも同じ景色を思い出してくれているのだろうか。瞳を細めて夜空を見上げるカワイからは、なにを考えているのかがあまり伝わってこない。 「星、ピカピカ。キレイ」  俺に分かるのは、カワイが喜んでいるってことだけだ。 「空気が澄んでいるからかな。星がよく見えるね」 「うん、よく見える。嬉しい」  なんだか、幻想的に見える。お人形さんみたいに綺麗なカワイと、透き通った空気と、嘘みたいな星空。気を抜くと、ここが現実だって忘れてしまいそうだ。  もしかして、これは逃避なのだろうか。思わず俺は、自嘲的な笑みを浮かべてしまう。  理由はどうであれ、俺は今、笑った。だから……と言うのも変かもしれないけど、俺は少しだけ前向きになれた気がする。  だから俺は、今から【らしくないこと】を言えるんだ。 「カワイは『夜空に輝く星を掴みたい』って思ったことはある?」  星に向けていた、宝石のようなカワイの瞳。その両目が、俺を映した。 「俺は、正直に言うとないかな。月とか、太陽とか、雲とか……なにも、掴みたいって思ったことはない。それはきっと、在るべき場所にいる存在だから。その場所から遠ざけてまで手にしようなんて、そんなことを思った経験はないよ」 「それは、ヒトが自分に自信が無いから?」 「あははっ、ハッキリ言うね? ……でも、そうだよ。俺は俺に自信が無くて、価値も見出せていない。だから、勝手なことをできないって思い込んでた」  空を見上げて、言葉を続ける。俺の声と同じように、吐いた息が消えていった。 「でもね、カワイは別。カワイの居場所が魔界だとしても、俺はカワイを掴んでいたくなる。逃げ出されても、遠いところに行かれちゃっても、俺はカワイを掴みたい」  視線を、カワイに向ける。そうするとすぐに、カワイと目が合った。 「ねぇ、カワイ。俺ね、初めてだったんだよ。誰かに『いてくれて良かった』って言ってもらえたのは。カワイが初めてだったんだ」  カワイを変質者から助けた時に、カワイは俺に言ってくれたんだ。『ヒトがいてくれて、良かった』って。  言葉だけじゃない。あの時に手を繋いで伝わってきた体温も、笑顔も……。俺がずっと欲しかったものを、カワイは全部くれたんだ。 「少し照れくさいし、こんなタイミングで伝えていいのかも分からない。……だけど、聴いてくれるかな」  俺は言葉を区切って、カワイに手を向ける。それから俺は、そっと小指を立ててみせた。  それは、カワイと一緒にベランダでご飯を食べた日に、カワイと【指切り】をした小指だ。 「『俺の初恋相手、分かったら教えるね』って。俺と指切りしたの、覚えてる?」 「うん。覚えてるよ」 「良かった」  思わず、笑みを浮かべてしまう。だけどそれは、約束を覚えていてくれたことに対する安堵所以の笑みではなくて……。 「──俺は、カワイのことが好きだよ。俺の初恋相手は、君なんだ」  初恋相手を打ち明ける、照れくささ。俺が浮かべてしまった笑顔の意味なんて、このくらい気恥ずかしい理由が所以だ。

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