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第2話

「ふぁ~あ、疲れた~!」  廷振王子による馬球の特訓を終えて、愛馬を引きながら厩舎(きゅうしゃ)に戻る途中、羽小敏は思わず弱音を吐いた。  体を動かすことが大好きな申玄紀は、まだ物足りなさそうな顔をしているし、みんなに付いて行くだけでやっとの唐煜瑾は、馬から降りることも出来ず声さえ出ないようだ。  相変わらずの柔和な笑みで平然としていた包文維だけが小敏の相手をする。 「そうだね。さすがに三日目になると疲れるね」  科挙試験を目指す少年たちを預かる責任上、廷振王子は午前中は私塾の蘇三涛老師が課題として与えた宿題を片付ける時間とし、午後からを馬球の特訓の時間と決めていた。  膨大だと思われた宿題も、すでにすべて終えてしまった包文維が指導役となり、朝食後二刻はしっかりと勉強の時間に充てられている。  それが終わると昼食で、その後の一番暑い時間に人馬一体となって広い馬球場を駆け回るのだ。もちろん、廷振王子の使用人や、貴族である梁寧侯爵家の唐煜瑾や安承伯爵家の申玄紀には侍従が付きっ切りで、やれお茶だ、やれ菓子だと世話を焼くので、熱中症の心配などはないのだが、それでもやはり少年たちの体力は照り付ける太陽が奪っていく。 「公子がた、お食事の仕度が出来ておりますよ」  廷振王子の侍従で、この期間だけは公子たちの世話係となっている李豊(り・ほう)が、母屋から離れている厩舎にまで声を掛けに来た。公子たちの父親くらいの年齢の男性だが、王府には長く使えているらしく、廷振王子の信頼も厚く、年若い公子たちの扱いも良く心得ている。  疲れ切った少年たちの何よりの癒しは、王府の食事だった。廷振王子の指示で、特訓で疲れ切った育ち盛りの少年たちのために、濃いめに味付けをした肉が毎食たっぷりと出され、特に将軍家では質素な食事を旨としている羽小敏などは、連日のご馳走に上機嫌で過ごしている。  その上、裕福な梁寧侯爵から、弟の煜瑾が好むような南国の瑞々しい果物が毎朝届けられる。 「阿暁…手を貸して」  グッタリとしている当の唐煜瑾は、従者である阿暁の腕に縋るようにして馬から降りた。  小敏や包文維は、王府の馬丁に愛馬を預け、申玄紀は自分の従者である朱猫に、自分と唐煜瑾の馬を預ける。  涼国の王都・安瑶の北の郊外にある廷振王子所有の別荘は、近くに軍用馬の放牧場があり、通常の王家の別荘よりも馬場が広大で、当然に馬球場もかなり広い。その一番北に厩舎がある。  公子たちに与えられた宿舎は、厩舎から一番近い建物だが、厩舎から馬球場と馬場を挟んだ東南の角にあるので、疲れた体を引きずるようにして、歩いて戻らねばならない。  ダラダラと宿舎に向かって歩くこの時間が、一番疲れを感じると言っても良かった。 「ねえ、李豊」  まだ馬球がやり足りないといった様子の申玄紀は、退屈そうに世話係に声を掛けた。 「何でございますか、申家の坊ちゃま」 「ん~。このお屋敷に幽霊が出るって本当?」  サラっと口にした申玄紀に、李豊を除いた全員がギョッとして足を止めた。 「え~?何々~?玄紀はどうしてそんなことを知ってるの?本当に幽霊なんているの?」  恐いもの知らずの小敏は、「幽霊」などという未知なものに好奇心いっぱいで聞いて来る。 「朱猫がね、使用人の宿舎で聞いたらしいです。美しい女性の幽霊が、真夜中にすすり泣くらしいですよ」 「へ~」  面白そうに聞く小敏とは裏腹に、疲れ切っている煜瑾は、ますます顔色を悪くして苦々しい顔つきになった。 「幽霊などとくだらない。その様に縁起の悪い物が、王府に居るはずが…」 「おりますねえ」  言下に否定しようとした煜瑾だったが、それを李豊に肯定され、思わず息を呑んだ。 「李…李豊…?な、何を言って…」  顔色の悪い唐煜瑾を横目で見て、李豊はもったいぶって大きく頷いた。 「皆さまは、お屋敷に近い、こちらの東の庭園を通られますが、馬場を挟んだ向こうの西の庭園に、もう誰も近寄らない大きな四阿…と申しますか、小さな離れがございます」  厩舎が馬場と馬球場の北側にあり、公子たちはいつも一番の近道である馬場の東側の庭園を抜けて宿舎である屋敷に戻る。 だが馬場の西側にも庭園があるとは公子たちは知らなかった。 「あれは、ただの雑木林だと思っていたのですが、庭園なのですか」  冷静な包文維が不思議そうに訊ねると、李豊は公子たちに歩を進めるように促しながら話を続ける。 「元は庭園でございますが、今では荒れるがままに任せてあり、すっかりあのように荒れ果ててしまいました」  すっかり夢中になった小敏は、李豊にピタリと並んで歩き、話の続きをせがむ。どうせただの噂話だろうと思っていた玄紀も、まさか本当に幽霊がいると知らされ、顔色が変わり、思わず小敏の腕に縋りついている。  従者の阿暁に手を取られて歩いていた煜瑾は、ますます歩く速度が遅くなり、文維だけが相変わらず泰然としていた。 「この別荘は、先代涼王の従弟殿下が身分の低い夫人のためにお造りになりました」  ここから李豊のこの別荘にまつわる話が始まった。  宿舎までの道はまだ半分残っている。  楽しそうに聞いているのは小敏だけではあったが、李豊は淡々と公子たちに話して聞かせるのだった。

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